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過分の望み
しおりを挟む「お嬢さま。クルルス令息から贈り物が届きました」
「あら、また?」
侍女がリボンのついた箱を抱えてエリーゼの部屋に入って来て、テーブルの上に静かにのせた。
表情には少し呆れが浮かんでいるが、エリーゼがその光景に驚く様子はない。
「もう謝罪はいいと何度も言ってるのに、律義な方ね」
「今日は何でしょうね。お嬢さま、開けて確認してもよろしいですか」
「ええ、お願い」
許可を得た侍女は、箱にかけられていたリボンをほどき、包紙を丁寧に開けていった。
そしてゆっくりと蓋を外し中をのぞくと、嬉しそうにエリーゼを振り返る。
「絹の生地でございます。薄緑と水色と薄紫の三色の布がこんなにたくさん。こんな上等の生地が手に入ったと聞いたら、縫製職人が大喜びで飛んできますよ」
「私にも見せて。まあ、本当だわ。きれいな色ね」
―――特に、この薄い緑色はルネスの瞳みたい・・・
そんな、今まで簡単に口に出せた言葉が、なぜかこの日は恥ずかしく感じられて。
「・・・」
「お嬢さま? どうかなさいましたか?」
「・・・ううん。何でもないわ」
―――結局、口に出せないまま、エリーゼはそれを心の中だけの呟きとした。
エリーゼとオズワルドが婚約を破棄してから二か月。
破棄の後すぐに謝罪に訪れたケヴィンは、その後アリウスが公爵家当主として正式にクルルス子爵家の謝罪を受け入れてからも、こうしてたびたびエリーゼに詫びの品を送ってきた。
謝罪の手紙も何度か受け取っており、彼の誠意を感じたエリーゼは許すと書いた手紙を返した。
だが、そんな交流があるというのに、エリーゼはまだケヴィン・クルルスに直接会ったことはなく、彼の顔も知らずにいる。
貴族年鑑は、当主だけは名前と絵姿を載せているが、その家族に関しては名前のみの記載となる。
だから、顔を合わせる機会は社交の場が主となるのだが、残念ながらエリーゼは、ついこの間までオズワルドの意向に従って、かなり社交を控えていた身だ。
実際に爵位を継ぐのはまだまだ先だが、よくこの事態に危機感を覚えなかったものだと、今さらながら過去の自分の価値観のズレっぷりに呆れてしまう。
(すべてがオズワルド基準だったものね。オズワルドが喜ぶか、嫌がるか、その二択で全部を判断してた。あの日の夜会で目が覚めてよかったわ)
今のエリーゼからはそんな風に思われているオズワルドは、婚約破棄後すぐにエリーゼに手紙を書いて寄越した。
実を言うと、その後も何通も送ってきているのだが、それらはすべてアリウスのところでストップしているので、エリーゼはそのことを知らない。
最初の一通だけ渡したのは、エリーゼがどう判断するか確認する為だ。
そしてエリーゼは、読んで『無理・・・』と拒否反応が出た。
その後、返事としてただひと言、『あり得ません』と書いて送ったが、オズワルドは懲りていないのか、それとも現実から目を逸らしているだけなのか、今も手紙は送られてくる。
だが、手紙はもう二度と彼女にまで届くことなくすべて握り潰されている。
オズワルドの現在の処遇に関しては、最終的に領地の離れに蟄居という形で落ち着いた。
比較的緩い罰なのは、アリウスとの交渉の結果だ。
アリウスは、クルルス子爵家が提案した内容をゴーガン侯爵夫妻に説明した後、オズワルドに対して、これに相応する対処を求めた。
ゴーガン侯爵家がクルルス子爵家に賠償金を請求しキャナリーの処罰を求めた以上、ラクスライン公爵家は少なくともそれと同等の処罰をオズワルドに望む権利があると詰め寄ったのだ。
だが、なんだかんだとオズワルドに甘いゴーガン侯爵夫妻は、アリウスからそう迫られても、オズワルドの除籍とか、ましてや馬車でどこかにオズワルドを置き去りにするなどとても出来なかった。
それで、キャナリーの罰を軽くする代わりに、オズワルドの罰もまた軽くすることを提案したのだが、当の子爵家がこれを拒否した。
クルルス子爵家としては、既に見限った娘の処罰を軽くするより、賠償金額を軽くしたかったようだ。
結果、処罰内容全体で足し引きすることで、オズワルドを領地内蟄居とする代わりに、侯爵家への子爵家の賠償金額が大幅に減らされたのである。
蟄居中のオズワルドが、エリーゼにこまめに手紙を書いて送ってくるのはいただけないが、手紙を握り潰せば済む話なので、アリウスも黙認することにした。
書いても書いても返事が来ないというのも、それはそれで罰になりそうだと判断したからだ。
キャナリーは、公爵家と子爵家が話し合いをした数日後に、馬車に乗ってどこかに連れて行かれ、それに同行したケヴィンは、翌日になって一人馬車で帰って来た。
キャナリーの処遇についてはエリーゼも知っている。
ケヴィンからの謝罪文の中に、報告として含まれていたからだ。
この顛末には、少なからず驚いた。
好きだと叫んだオズワルドの言葉をまったく信じていないエリーゼは、オズワルドはてっきりキャナリーと結婚して平民になって暮らすものと思っていたのだ。
だが考えてみたら、エリーゼが公爵家だから、自分は侯爵家だから、などと言う人間が、爵位にこだわらない訳がない。
オズワルドとキャナリー、どちらも貴族の家の子だが、跡取りでない二人は結婚したら平民になる。
『キャナリーとなんてあり得ない』とオズワルドが言ったのは、そういう意味もあったのだろうか。
だからオズワルドは、エリーゼとの結婚にこだわったのだろうか。
ならば、この先新しくエリーゼの婚約者になる人も、オズワルドのように爵位目当てなのだろうか。
そんなことを考えていたら、エリーゼは次の婚約者を決めるのが何だか怖くなってしまった。
(私をひとりの人間として見てくれて、夫婦として互いに信頼と敬意を深めていけるような、そんな相手を夫に望むのは過分なことなのかしら)
確かに難しいかもしれない。
けれど、現実的でないとまでは思わない。
だってエリーゼは、妻となる人に誠心誠意尽くすであろう人物を、少なくともひとりは知っている。
でも彼は嫡男で、そして何より、他に想う女性がいるのだ。
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