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戴冠式、そして
しおりを挟む精霊の泉から帰還した後、ジョーセフは3日ほど眠り続けた。
まるで現実を受け入れるのを拒否しているかのような長い眠りに、アーロンはただ静かに兄の目覚めを待った。
そして4日目。
目覚めたジョーセフは、ひとしきり暴れた。
手当たり次第に物を投げ、調度品を壊し、室内の床は破片、布片、紙片などで埋め尽くされた。
食事さえ皿ごと投げつけ怒鳴る為、怯えたメイドは部屋に入れなくなった。
自身への失望か、周囲への怒りか、それとも他の何かの要因か、あまりの暴れように、理由を探る事さえままならなかった。
アーロンも、暫くの間は部屋への訪問を控えざるを得なかった。
やがて体力の限界が来たのか、2日経ってようやくジョーセフのいる室内が静かになった。
この時点で、戴冠式まではあと1週間を切っていた。
「兄上、僕です、アーロンです」
数回のノックの後、扉越しにアーロンは声をかけた。
扉は開けない。万が一を考え、ジョーセフとの対面は控えてほしいとの家臣たちの言葉を受けてのことだ。
中からの返事はない。
だがアーロンは続けた。
1週間内に譲位の為の式があること。
その日をもって、王位はジョーセフからアーロンに移ること。
議会の決議でジョーセフの幽閉が決まったこと。
幽閉先は北の塔を予定していること。
残る日々を、アリアドネを悼みながら過ごしてほしいこと。
再び扉向こうで騒ぎが起こる事を予想した上でアーロンは話をしたが、意外にも室内は静かなままだった。
自殺を心配したアーロンが中を確認しようとするも、それは護衛たちに阻まれた。確認ならば、アーロンが去った後に護衛たちのみで行うと。
自殺を危惧した上で、何かの企みの可能性も捨てきれず、アーロンがいない時に扉を開けることにしたのだ。
だが、いざ室内に入ってみると、護衛たちが見たのは椅子に座ったジョーセフの虚な顔。
格子が嵌められた窓の向こう、約1週間前に行ったばかりの精霊の泉がある森の方向をぼんやりと眺めるジョーセフの姿だった。
暴れる様子はもはや見られず、後で騎士たちを伴ってだがメイドたちが床に散乱した食器の破片や紙片、布切れなどの掃除にも入ることができた。
食事の差し入れも同様だ。
以前の暴れぶりが嘘のように、ジョーセフは静かになった。
アーロンはその後、ジョーセフと会う機会を作れないまま戴冠式を迎えた。
アーロンの戴冠式は、国の儀式としては小規模に慎ましく行われた。
近隣諸国へは手紙による通達のみ。
これは主に、大国トラキア、そしてポワソン公国との関係を考慮しての事だ。
招待して断られるより、最初から国内関係者のみが参列する儀式と限定したのだ。
本来なら前国王が新たな国王の頭上に冠を授ける筈が、当然ジョーセフが公に姿を現すことはなかった。
ただでさえ数が少ない王族の中から代わりが見つかる訳もなく、神官のひとりが壇上に立ち、アーロンの頭に冠を乗せた。
こうして、タスマにより揺るがされ、ジョーセフによりさらに脆弱になったクロイセフ王国をアーロンが継いだ。
アーロンはこの時25歳。
譲位の翌日、ジョーセフは北の塔へと移送された。
辛くとも苦しくとも常と変わらず時は巡る。
アーロンが正式に国王となってから約1年が経とうとしていた。
そしてそれは、アリアドネが亡くなった日―――かつて王国に闇と雪が臨んだ日を再び迎えたという事でもある。
もはやその日に天変地異が地を襲うことはないが、国民は誰に言われずともその日を喪に服して過ごした。
それは国の慣例となりつつあった。
その翌日のことだ。
北の塔を護衛する騎士から連絡があった。
ジョーセフから伝言を預かっていると言う。
許可をして呼び入れた騎士は、アーロンもよく覚えている者だ。
かつての西の塔での惨劇で、タスマの凶刃からジョーセフを守って負傷した騎士ヨバネスであった。
ヨバネスは今もジョーセフ付きの騎士として、北の塔で警護の任に就いていた。それは彼自身の希望でもあった。
ヨバネスは言った。
「ジョーセフさまより伝言です。幽閉場所の変更を願いたいと」
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