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姦計
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「さて、じゃあ行こうか」
「行くのはあなた一人でしょう」
翌日、ヘルディとナスチャは並んでエルフの里の前にいた。
翡翠色の結界の前で腕を組んで、ナスチャは疑わし気な目を向ける。
「本当にどうにかできるの? この結界」
「まあ、物は試しだ。アリアの脳内に結界の情報はあったからね。開錠できるか試してみよう」
―――嘘だけど。
夢に侵入した相手の脳内を覗けるのは本当だが、アリアの脳は見ていない。あの綺麗な夢の裏側を暴くようでやる気にならなかった。
だから当然、結界が解けないのも知っている。
―――ミクファ=スカーレット。
ヘルディの狙いはそれだけだ。
ナスチャ他、部隊全員を後方に下がらせて、ヘルディは一人で結界の前に立つ。
◇
おかしな男がやってきた。
背が高く、よく引き締まった体を持っている。だが、それだけだ。魔術師の雰囲気ではない。
しかも、黒目黒髪。忌子の象徴。人間側の重役に就けそうな特徴ではない。
―――囮か?
訝しみながらも、ミクファは結界の中から相対する。
「止まれ」
男は綺麗にミクファの言葉を無視した。
ぺたぺたと、感触を楽しむように結界に触れる。
「へえ。これはすごい。押せば押しただけ弾力が返ってくる感じだ。剛体と言うより、ゴムに近いね。うん、さすが」
「汚い手で触るな!」
「おっと」
炎を纏った腕を横薙ぎに振るうと、男はのけ反って距離を取った。
神経を逆撫でする笑顔のまま、軽く頭を下げられる。
「やあ、こんにちは。ミクファ=スカーレットさんかな。お噂はかねがね」
「……初対面だろ」
「もちろん。でも、なんだかそんな気がしなくてね。アリアが君のことを、とても大事な弟子だと言っていたから」
「おい」
ばちちち、と空気が手の中で爆ぜる。
もう沸点はとっくに超えていたが、師匠の『冷静に』という言葉だけで耐えて、ミクファは言った。
「師匠を気安く呼び捨てにするな。汚れた忌子風情が」
「そうそれだ。みんな言うよね。でも残念、君の師匠は、忌子の手に堕ちたよ」
自己紹介が遅れたね、と言って懐から何かを取り出す。
「アリア=サレストの調教師、ヘルディ=ベルガウルです。どうぞよろしく」
「……お前がっ!」
取り出されたのは、数本の髪。
太陽を受けて翡翠色に輝く髪に舌を這わせて、ヘルディと名乗る男はくつくつと笑った。
「ナスチャから話を聞いていたのかな? そう、僕だよ。いやあ、それにしても君の師匠は綺麗だねぇ。どんな声で鳴くか、知りたくない?」
「……黙れよ」
「何度も煮え湯を飲まされたハイエルフを足蹴にして苦しめて、とても気持ちが良かったよ」
「……おい、もう黙れよお前」
ナスチャともまた違う。舌戦をしている認識すらない。ただ不快な風に煽られ続けているような感覚。
ミクファは顔をうつむかせる。
空気が焼ける。燃えて膨張する。
怒りを表すように、火柱がミクファの腕に巻かれた。
「で、アリアのお弟子さんに興味が湧いて、来てみたわけだけどね。正直がっかりだな」
ヘルディは構わず続ける。
やれやれと、大げさに肩をすくめて溜め息をついた。
「なんだい、その体たらくは。僕はアリアの調教師だよ? 倒せば気持ち良いだろうね。なのに、お師匠のゆりかごの中でぬくぬくと見ているだけかい。心底つまらない。興覚めだ」
「黙れっ!」
『冷静に』という師匠の声も、もう届かなかった。
立て続けに火球を放つ。器用に避けるヘルディめがけて、ミクファは結界から出た。
なにかを憐れむような黒い目が、肉薄する。
体の中心に拳を打ち込む。ヘルディはうまくそれを避ける。だが、足払いは綺麗にかかった。
ミクファの燃える拳を、ヘルディは左手で受ける。
―――なにか、握りこんでいる?
だが、そんなもの関係ない。全部まとめて消し炭だ。
じゅうう、と肉が焼ける音が響く。
馬乗りになるミクファの下で、ヘルディが絶叫した。
その声にかき消されないように、こちらも大声でミクファは叫んだ。
「そんなもんかよ! 口ほどにもないなあ、調教師!」
「……どう、だい? 今の、気持ちは」
すでに炭化しかけている左手でミクファの手首を撫ぜ、ヘルディは問う。
そしてミクファは、獰猛な笑みで答えた。
「最高だよ。師匠の仇をこの手で燃やせて」
「それはよかった」
そして、ヘルディの右手が持ち上がった。
◇
合図の途端に、二人の間に水壁が割り込んだ。
―――ナスチャは、優秀だ。
自制心と迅速さを併せ持つ。
飛びそうな意識が空転して、ヘルディはそんなことを考えた。
「ちっ!」
舌打ちして、ミクファは結界の中に戻った。
射殺さんばかりの目をとくに意味なく眺めていたら、軽く頬を叩かれ、顔を上げる。
「なにしてるのよあなたは!」
「あ、あ。ナスチャか」
「ああもう、とりあえず冷やさないと」
「いや、いいよ。どうせ切断だ」
見ればわかる。炭化した左腕は手遅れだ。
―――無理やり夢を繋げるのに、腕一本か。
思惑通りとはいえ、酷い買い物だ。
「ナス、チャ……。僕の左腕、せっかくだから……後で送ってもらえるかい?」
「……悪趣味ね。というかずいぶん余裕ね」
そんなわけがない。さっきから痛みでどうにかなりそうだ。
「あとは、たのん、だよ……」
それだけ言って、ヘルディの意識はフェードアウトしていった。
「行くのはあなた一人でしょう」
翌日、ヘルディとナスチャは並んでエルフの里の前にいた。
翡翠色の結界の前で腕を組んで、ナスチャは疑わし気な目を向ける。
「本当にどうにかできるの? この結界」
「まあ、物は試しだ。アリアの脳内に結界の情報はあったからね。開錠できるか試してみよう」
―――嘘だけど。
夢に侵入した相手の脳内を覗けるのは本当だが、アリアの脳は見ていない。あの綺麗な夢の裏側を暴くようでやる気にならなかった。
だから当然、結界が解けないのも知っている。
―――ミクファ=スカーレット。
ヘルディの狙いはそれだけだ。
ナスチャ他、部隊全員を後方に下がらせて、ヘルディは一人で結界の前に立つ。
◇
おかしな男がやってきた。
背が高く、よく引き締まった体を持っている。だが、それだけだ。魔術師の雰囲気ではない。
しかも、黒目黒髪。忌子の象徴。人間側の重役に就けそうな特徴ではない。
―――囮か?
訝しみながらも、ミクファは結界の中から相対する。
「止まれ」
男は綺麗にミクファの言葉を無視した。
ぺたぺたと、感触を楽しむように結界に触れる。
「へえ。これはすごい。押せば押しただけ弾力が返ってくる感じだ。剛体と言うより、ゴムに近いね。うん、さすが」
「汚い手で触るな!」
「おっと」
炎を纏った腕を横薙ぎに振るうと、男はのけ反って距離を取った。
神経を逆撫でする笑顔のまま、軽く頭を下げられる。
「やあ、こんにちは。ミクファ=スカーレットさんかな。お噂はかねがね」
「……初対面だろ」
「もちろん。でも、なんだかそんな気がしなくてね。アリアが君のことを、とても大事な弟子だと言っていたから」
「おい」
ばちちち、と空気が手の中で爆ぜる。
もう沸点はとっくに超えていたが、師匠の『冷静に』という言葉だけで耐えて、ミクファは言った。
「師匠を気安く呼び捨てにするな。汚れた忌子風情が」
「そうそれだ。みんな言うよね。でも残念、君の師匠は、忌子の手に堕ちたよ」
自己紹介が遅れたね、と言って懐から何かを取り出す。
「アリア=サレストの調教師、ヘルディ=ベルガウルです。どうぞよろしく」
「……お前がっ!」
取り出されたのは、数本の髪。
太陽を受けて翡翠色に輝く髪に舌を這わせて、ヘルディと名乗る男はくつくつと笑った。
「ナスチャから話を聞いていたのかな? そう、僕だよ。いやあ、それにしても君の師匠は綺麗だねぇ。どんな声で鳴くか、知りたくない?」
「……黙れよ」
「何度も煮え湯を飲まされたハイエルフを足蹴にして苦しめて、とても気持ちが良かったよ」
「……おい、もう黙れよお前」
ナスチャともまた違う。舌戦をしている認識すらない。ただ不快な風に煽られ続けているような感覚。
ミクファは顔をうつむかせる。
空気が焼ける。燃えて膨張する。
怒りを表すように、火柱がミクファの腕に巻かれた。
「で、アリアのお弟子さんに興味が湧いて、来てみたわけだけどね。正直がっかりだな」
ヘルディは構わず続ける。
やれやれと、大げさに肩をすくめて溜め息をついた。
「なんだい、その体たらくは。僕はアリアの調教師だよ? 倒せば気持ち良いだろうね。なのに、お師匠のゆりかごの中でぬくぬくと見ているだけかい。心底つまらない。興覚めだ」
「黙れっ!」
『冷静に』という師匠の声も、もう届かなかった。
立て続けに火球を放つ。器用に避けるヘルディめがけて、ミクファは結界から出た。
なにかを憐れむような黒い目が、肉薄する。
体の中心に拳を打ち込む。ヘルディはうまくそれを避ける。だが、足払いは綺麗にかかった。
ミクファの燃える拳を、ヘルディは左手で受ける。
―――なにか、握りこんでいる?
だが、そんなもの関係ない。全部まとめて消し炭だ。
じゅうう、と肉が焼ける音が響く。
馬乗りになるミクファの下で、ヘルディが絶叫した。
その声にかき消されないように、こちらも大声でミクファは叫んだ。
「そんなもんかよ! 口ほどにもないなあ、調教師!」
「……どう、だい? 今の、気持ちは」
すでに炭化しかけている左手でミクファの手首を撫ぜ、ヘルディは問う。
そしてミクファは、獰猛な笑みで答えた。
「最高だよ。師匠の仇をこの手で燃やせて」
「それはよかった」
そして、ヘルディの右手が持ち上がった。
◇
合図の途端に、二人の間に水壁が割り込んだ。
―――ナスチャは、優秀だ。
自制心と迅速さを併せ持つ。
飛びそうな意識が空転して、ヘルディはそんなことを考えた。
「ちっ!」
舌打ちして、ミクファは結界の中に戻った。
射殺さんばかりの目をとくに意味なく眺めていたら、軽く頬を叩かれ、顔を上げる。
「なにしてるのよあなたは!」
「あ、あ。ナスチャか」
「ああもう、とりあえず冷やさないと」
「いや、いいよ。どうせ切断だ」
見ればわかる。炭化した左腕は手遅れだ。
―――無理やり夢を繋げるのに、腕一本か。
思惑通りとはいえ、酷い買い物だ。
「ナス、チャ……。僕の左腕、せっかくだから……後で送ってもらえるかい?」
「……悪趣味ね。というかずいぶん余裕ね」
そんなわけがない。さっきから痛みでどうにかなりそうだ。
「あとは、たのん、だよ……」
それだけ言って、ヘルディの意識はフェードアウトしていった。
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