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3章

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 一週間は、あっという間に過ぎていった。
 ケアラの言う通り、カオルの学習進度は一般的な孤児のそれをはるかに上回っていた。実践の場で使えるかはともかく、知識だけなら仕事を受けても悪目立ちしない程度にはなった。
 そしてノアの手元には、手触りの良い箱が収まった。
 執務室で足を組んで、ふと口に出す。

「……いっそ両方ともカオルにあげてしまうか」
「それはなんか違う気がするからやめとけ」

 ルーカスに言われて、それもそうかと箱を開ける。サファイアが中央に嵌め込まれ、周りを囲むようにダイヤモンドが輝いていた。

「兄貴? 仕事してくれねえ? さっきから何回その動き繰り返してんだよ」
「ああ、すまんな」
「でもやっぱ気になるわ俺にも見せて。……へえー、はー。綺麗なもんだなあ。てか奥さん指小さ過ぎじゃないか。俺の小指ぐらいしかないぞ」
「……ケアラによるとこの程度らしいが」

 言われて少し不安になったが、今更どうにもならない。
 いつもより多い書類の山に目を戻して、ノアはゆっくりと息を吸う。明日は休みだから、その分の仕事もある。本腰を入れなければならない。
 ノアの気持ちを代弁するように、ルーカスが言った。

「どうなるかねえ。奥さん初めてのおつかいってやつだ。まあ俺らもべったり付いていくわけだが」

    ◇

 よく晴れた、お散歩日和だった。
 カオルは初めて、自由の身で王都の歓楽街に降り立った。
 何が何だか、多少険しい顔をしたノアに「一応だ」と言われてツバの大きな帽子を被せられて、頭が少し重たい。
 けれどそんなことも気にならないぐらい、左右から飛んでくる音、音、音。

「賑やか、ですね……」
「ここに来ればなんでも揃う。その弊害だな。何を買おうとする人もここに来るから、結果としてこうなる」
「でも、楽しいです。元気を貰えそうで」
「それは良かった。私は元気を吸われそうだが……」

 同じく帽子を深く被ったノアが、カオルに銀貨を渡した。

「好きなものを買ってくると良い。物価は大体学んだんだろう」
「はい。あの、ノア様は……?」
「私たちは車で待っている。何を買っても無理に問い質したりはしないから安心しろ」

 ぽんぽんと、帽子の上から労るように撫でられて、ノアは本当に戻っていった。
 歓声とも怒号ともつかない声が飛び交う只中に残されて、心細さが湧き上がってくる。
(……そんなこと、言ってられない)
 これは試験なんだ。とカオルは前に歩き出す。

    ◇

(ノア様と、ケアラさんと、ルーカスさんの……)
 もらったお金で図々しいとは思うが、何か贈り物にしよう、というのはすぐに決めた。
 でも、あの三人は絶妙にパターンというか、人としての基礎が違うので、困ってしまう。 
 そしてちょっと人酔いしてきた。
(……ハンカチなら、柄分けすれば大丈夫、だよね。価格帯も広いから、銀貨一枚で三枚買えるのも、あるはず)
 ぎゅうぎゅうと四方から押されて、流れ着くように目的の店にたどり着く。

「……なんだい嬢ちゃん。死にかけてるじゃないか。頼むから店の前で倒れてくれるなよ」
「は、はい。あの、すみません……。ハ、ハンカチを、見せてもらっても、よろしいで、しょうか」
「お客さんかい。そりゃ大歓迎だ。その辺に並んでるから好きに見てくれ。埃が付いてたら奥に在庫もあるから」

 頭を下げて、並んでいる色とりどりの布を眺める。
(ルーカスさんとケアラさんは、確か恋人……だよね。だったら、柄は同じのが良い。ノア様は、……なんだろう。黒、かな。でもそれだと色が重くなりすぎる気が……)
 最終的に、紺地に金の刺繍が入っているものを選んだ。ただ、そのハンカチが高い場所にかけられていて、手を伸ばしてもぎりぎり届かない。

「嬢ちゃんそれ欲しいのかい。無理すんな取ってやるから」
「いえ、背伸びすればなんとか……っ!」

 ぐーっと限界まで伸び上がって、目当てのハンカチを中指と人差し指でつまむ。 
 ちょうどそのとき、風が吹いた。
 押さえる暇もなく、大きな帽子が落ちる。前髪が風に靡いて、さらさらと後ろに流れていく。
 しん、と周りが静かになったのに、気づかないのはカオルだけだった。

「ひゃっ……。汚れて、ない。良かった。…………あ、あの。お会計、を」

 帽子を脇に抱えて声をかけると、店主は慌てて咳払いをする。

「あ、ああ。嬢ちゃ……お嬢さん、お名前は?」
「カオル、と申します」
「名字はなんだい?」

 エヴァンスです。と言おうとして、そこで固まった。
 ケアラには、身分はみだりに明かさない方が良いと言われている。なんでバレたのかはわからないけど、黙っていたほうがいいだろう。

「い、言えません……。ごめんなさい」
「ああ、ああ、気にすんな。とにかくハンカチ三点な。……本来ならそれで銀貨一枚だが、特別にもう一枚サービスだ。好きなものを選びな」
「え、え……?」

 不当な値段をふっかけられる危険性は叩き込まれたが、これは想定にない。
(なにか、騙そうとしてる……?)
 訝しげにみるが、店主はにこにことしているだけ。
 カオル自身にも目当ての品があって、結局お言葉に甘えることにした。

「じゃあ……、その、紺色と金のハンカチを、もう一枚……」
「はいよ。今後ともよろしく」

 ちゃんと四枚、商品を確認して、ぺこりと頭を下げた。これであとは帰るだけだ。ほんの数十分のことなのに、早くも彼らが恋しかった。
 が。

「お嬢さん、これもやるよ。煮ると美味い、今朝上がったばかりの魚だ」
「え?」
「こっちも持ってくといい。甘味はいいぞ。家族で食べな」
「え、え……?」
「ああ、持ちきれなくなってんじゃねえか。うちのカバンを使ってけ。おーい、刻印がデカイの持って来い」
「ええ、えええ……っ?」



「ああ、なるほどそうなるのか。……帽子を取るなと念を押すべきだったな」

 しばらくして帰ってきたカオルは、とても銀貨一枚分とは思えない大荷物を引きずっていた。

「あ、あの。ただいま、戻り、ました……。皆さんとても、親切で……」
「いや、多分違うが。……まあ、帰りの車で教える」

 カオルの風貌と身なりを見て、貴族相手に売り込めるチャンスと見られたのだろう。カバンの類についても、これほどの美女が持っていれば広告塔になる。

「お疲れ様」
「あ、ありがとう、ございます」

 汗ばんだ頬を綻ばせるカオルに労いの言葉をかけて、ノアは車の後部座席を開けてやった。
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