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2章

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 休日とはいえ、やはり習慣というものは馬鹿にできない。朝日と共に目覚めたノアは、せっかくだから朝食を作ることにした。
 トーストを切り、野菜をちぎって、卵をフライパンに乗せる。ルーカスとケアラはしたたかに酔っていたから、しばらく起きないだろう。
 湯を沸かしていると、とん、とん……と足音が降りてきた。ノアはぎょっとして後ろを向く。
 案の定というか、カオルが立っていた。

「おはよう、ございます。……あの、私がやりますので、ノア様はゆっくりなさってください」
「なぜ起きてきた。靴擦れが治るまでは安静にしていろ」
「そういうわけには。それほど痛みませんし……」
「そちらの方が問題なんだがな」

 痛覚が麻痺しているのか、痩せ我慢か。どちらにせよ良い兆候ではない。
 寝巻きのままのカオルを横抱きにして、階段を登る。

「あっ、ノア様っ。自分で歩きます、から……っ!」
「歩くなとさっきから言っている。……まあ、こうして運ばれたいならまた降りてきても構わないがな」
「~~~~っ!」
「食事の用意ができたら運ぶ。会話もしたい。私も一緒に食べていいか」
「ど、どうぞ。その……お手数おかけして、申し訳……」
「ありがとうだ」

 カオルをベッドに戻して、ノアは言う。

「謝るなら、そう言ってくれ。その方が私は嬉しい」
「は、はい。あの、その……、ありがとう、ございます……っ」
「よろしい」

 ぽんぽん、と軽く頭を撫でて、朝食の用意に戻った。

    ◇

 サラダ、トースト、目玉焼き、昨日のオニオンスープ、それから牛乳。
 お皿に盛られたそれらに、今日は初めからお腹が鳴った。
 くぅ、という音に顔を俯けると、ノアに小さく笑われる。

「食べられるだけ食べろ。残ったら保存に回す」
「はい、すみませ……あ、ありがとうございます」

 促されて、カオルはスープをゆっくりと飲む。温かいものを胃に収めると、とても落ち着く。
 ノアもひと匙含んで、美味いな、と言った。

「……癪だがルーカスには敵わんな。確か、何かを入れたと言っていたような……」
「おい、たーソース……? のようなことを言っていたような気がします」
「ああ、オイスターソースか。そんなものいつの間に揃えたんだか」
「た、卵もサラダも、と、とっても美味しい、です」
「それは良かった。好きなだけ食べて良い。足りなければ持ってくる」

 ノアの言葉に、カオルはふるふると首を振った。正直、全て食べられるかどうかも怪しい。

「ルーカスさんは、どちらにいらっしゃるのですか?」
「やつは離れで暮らしている。今頃きっと夢の中だ。特に昨夜は、ケアラも来ていたからな」
「ケアラ、……さん?」
「私の昔からの仲間の一人だ。今は孤児院の経営と、教科書の校閲を任せている」

 そしてノアは、甘みの強い苦笑を浮かべた。

「ケアラはルーカスの恋人だ」
「あ、そ、そうでしたか」
「まあ、あいつらはなぜか私に隠しているつもりらしいがな。ルーカスが離れに暮らしているのもそういう理由だ。向こうの声が届かない」
「そう、ですか……」

 そういえば、とカオルは首をかしげた。

「ノア様は、お付き合いをされている方などはいらっしゃるのですか?」

 言った途端に、ノアはトーストを咥えたまま目を丸くした。
 次いで、口元を押さえてくつくつと笑われる。

「カオル……。お前は、私の妻ではないのか」

 言われて、さーっと血の気が引いた。
 そうだった。全て受け身でここまで流されてきたから失念していた。

「良い、良い。久々に腹から笑いそうになった。お前は意外と、抜けているな」 
「すみません……」
「良いじゃないか。それぐらいの方が場が和む。安心して良い。この程度で怒る輩はここにはいない」

 ノアはフォローをしてくれたが、顔から火が出そうだった。

    ◇

 食事が終わると、ノアは食器を下げてくれた。何もかもさせっぱなしでカオルは小さくなるしかないが、彼が湯とタオルと、軟膏のようなものを持ってきた時は本気で首を振った。

「け、けけ結構です……っ! 手当は既にしていただいていますし、あとはもう放っておけば治りますので……!」
「化膿したら後が厄介だ。それに、その怪我は私の責任なのだから」

 失礼、と掛け布団を捲られ、足首を優しく持たれる。手の形に熱が伝わり、それから暖かいタオルで汚れを拭われる。

「……っ、ん……っ」
「痛くはないか」
「痛く、ないです……っぅ、……っ」

 痛くはないが、痛いほうがましだったかもしれない。
 タオルを置かれ、軟膏を掬った指で撫でられて、ぞくぞくと背筋に妖しい感覚が走る。
 これは、良くない。
 とっても、良くない。
 ノアの手が、ゆっくりと労るように足の上を滑る。足の指の根本に軟膏を塗られ、裏に出来てしまった不恰好なマメも撫でられて、くるぶしをさすられる。その度にカオルは、両手で口を押さえて目を瞑る。

「ん……っ、ぅ、……っ、ぁ」

(本当に、消えてしまいたい……)
 ノアは真剣に労ってくれているのに。
 治療行為で、しかも足に触れられているだけなのに。
 元々が、手折られるために調整された血筋で、さらに一〇年近く展示と称されて様々な行為を強要されてきたカオルの身体は、これだけのことで早くも疼いてしまっていた。

「これで、あとは経過を見るか」

 処置を終えたノアが、カオルの足をベッドに戻す。そのときに指が足の裏を掠めて、カオルは堪えきれずに声を漏らしてしまう。

「……あ、ん……っ!」
「…………カオル?」
「すみませ、あの……っ、ごめんなさ……っん、……っ」

 私は今、どんな顔をしているだろう。とても見せられたものではない、ということはよくわかる。
 違うんです、約束は理解しています。そんなつもりはなくて……っ。

「……すまない、無理強いをした」

 そっと掛け布団を整えられて、ノアはゆっくりと立ち上がった。足が、長い。口元に手を当てていて、表情は見えない。

「飲み物がなくなったら呼べ。持ってくる」

 とん、とん、とん、と規則正しい足音が遠ざかっていき、カオルは頭を天井に向けた。
 質のいい布団に、清潔な部屋、暖かい飲み物に、差し込む陽光。

「………………熱い」

 身体に灯ってしまった熱は、一向に消える気配がなかった。

    ◇

 ケアラの奴め。相変わらず寝相が悪い……。
 蹴られた腰をさすりながらルーカスが主屋に顔を出すと、ノアがシンクで頭から水を被っていた。

「ふぁぁああ……。寝た寝た。牛乳余ってるかなっと。兄貴? 何してんだ、寝癖直しか?」
「……黙って去れ」
「んー、そうするわ」

 まだ眠い。ルーカスは牛乳瓶を片手に離れに戻る。
 ノアの耳が赤かったような気がしたが、眠かったから気のせいかもしれない。
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