11 / 29
2章
2-5
しおりを挟む
休日とはいえ、やはり習慣というものは馬鹿にできない。朝日と共に目覚めたノアは、せっかくだから朝食を作ることにした。
トーストを切り、野菜をちぎって、卵をフライパンに乗せる。ルーカスとケアラはしたたかに酔っていたから、しばらく起きないだろう。
湯を沸かしていると、とん、とん……と足音が降りてきた。ノアはぎょっとして後ろを向く。
案の定というか、カオルが立っていた。
「おはよう、ございます。……あの、私がやりますので、ノア様はゆっくりなさってください」
「なぜ起きてきた。靴擦れが治るまでは安静にしていろ」
「そういうわけには。それほど痛みませんし……」
「そちらの方が問題なんだがな」
痛覚が麻痺しているのか、痩せ我慢か。どちらにせよ良い兆候ではない。
寝巻きのままのカオルを横抱きにして、階段を登る。
「あっ、ノア様っ。自分で歩きます、から……っ!」
「歩くなとさっきから言っている。……まあ、こうして運ばれたいならまた降りてきても構わないがな」
「~~~~っ!」
「食事の用意ができたら運ぶ。会話もしたい。私も一緒に食べていいか」
「ど、どうぞ。その……お手数おかけして、申し訳……」
「ありがとうだ」
カオルをベッドに戻して、ノアは言う。
「謝るなら、そう言ってくれ。その方が私は嬉しい」
「は、はい。あの、その……、ありがとう、ございます……っ」
「よろしい」
ぽんぽん、と軽く頭を撫でて、朝食の用意に戻った。
◇
サラダ、トースト、目玉焼き、昨日のオニオンスープ、それから牛乳。
お皿に盛られたそれらに、今日は初めからお腹が鳴った。
くぅ、という音に顔を俯けると、ノアに小さく笑われる。
「食べられるだけ食べろ。残ったら保存に回す」
「はい、すみませ……あ、ありがとうございます」
促されて、カオルはスープをゆっくりと飲む。温かいものを胃に収めると、とても落ち着く。
ノアもひと匙含んで、美味いな、と言った。
「……癪だがルーカスには敵わんな。確か、何かを入れたと言っていたような……」
「おい、たーソース……? のようなことを言っていたような気がします」
「ああ、オイスターソースか。そんなものいつの間に揃えたんだか」
「た、卵もサラダも、と、とっても美味しい、です」
「それは良かった。好きなだけ食べて良い。足りなければ持ってくる」
ノアの言葉に、カオルはふるふると首を振った。正直、全て食べられるかどうかも怪しい。
「ルーカスさんは、どちらにいらっしゃるのですか?」
「やつは離れで暮らしている。今頃きっと夢の中だ。特に昨夜は、ケアラも来ていたからな」
「ケアラ、……さん?」
「私の昔からの仲間の一人だ。今は孤児院の経営と、教科書の校閲を任せている」
そしてノアは、甘みの強い苦笑を浮かべた。
「ケアラはルーカスの恋人だ」
「あ、そ、そうでしたか」
「まあ、あいつらはなぜか私に隠しているつもりらしいがな。ルーカスが離れに暮らしているのもそういう理由だ。向こうの声が届かない」
「そう、ですか……」
そういえば、とカオルは首をかしげた。
「ノア様は、お付き合いをされている方などはいらっしゃるのですか?」
言った途端に、ノアはトーストを咥えたまま目を丸くした。
次いで、口元を押さえてくつくつと笑われる。
「カオル……。お前は、私の妻ではないのか」
言われて、さーっと血の気が引いた。
そうだった。全て受け身でここまで流されてきたから失念していた。
「良い、良い。久々に腹から笑いそうになった。お前は意外と、抜けているな」
「すみません……」
「良いじゃないか。それぐらいの方が場が和む。安心して良い。この程度で怒る輩はここにはいない」
ノアはフォローをしてくれたが、顔から火が出そうだった。
◇
食事が終わると、ノアは食器を下げてくれた。何もかもさせっぱなしでカオルは小さくなるしかないが、彼が湯とタオルと、軟膏のようなものを持ってきた時は本気で首を振った。
「け、けけ結構です……っ! 手当は既にしていただいていますし、あとはもう放っておけば治りますので……!」
「化膿したら後が厄介だ。それに、その怪我は私の責任なのだから」
失礼、と掛け布団を捲られ、足首を優しく持たれる。手の形に熱が伝わり、それから暖かいタオルで汚れを拭われる。
「……っ、ん……っ」
「痛くはないか」
「痛く、ないです……っぅ、……っ」
痛くはないが、痛いほうがましだったかもしれない。
タオルを置かれ、軟膏を掬った指で撫でられて、ぞくぞくと背筋に妖しい感覚が走る。
これは、良くない。
とっても、良くない。
ノアの手が、ゆっくりと労るように足の上を滑る。足の指の根本に軟膏を塗られ、裏に出来てしまった不恰好なマメも撫でられて、くるぶしをさすられる。その度にカオルは、両手で口を押さえて目を瞑る。
「ん……っ、ぅ、……っ、ぁ」
(本当に、消えてしまいたい……)
ノアは真剣に労ってくれているのに。
治療行為で、しかも足に触れられているだけなのに。
元々が、手折られるために調整された血筋で、さらに一〇年近く展示と称されて様々な行為を強要されてきたカオルの身体は、これだけのことで早くも疼いてしまっていた。
「これで、あとは経過を見るか」
処置を終えたノアが、カオルの足をベッドに戻す。そのときに指が足の裏を掠めて、カオルは堪えきれずに声を漏らしてしまう。
「……あ、ん……っ!」
「…………カオル?」
「すみませ、あの……っ、ごめんなさ……っん、……っ」
私は今、どんな顔をしているだろう。とても見せられたものではない、ということはよくわかる。
違うんです、約束は理解しています。そんなつもりはなくて……っ。
「……すまない、無理強いをした」
そっと掛け布団を整えられて、ノアはゆっくりと立ち上がった。足が、長い。口元に手を当てていて、表情は見えない。
「飲み物がなくなったら呼べ。持ってくる」
とん、とん、とん、と規則正しい足音が遠ざかっていき、カオルは頭を天井に向けた。
質のいい布団に、清潔な部屋、暖かい飲み物に、差し込む陽光。
「………………熱い」
身体に灯ってしまった熱は、一向に消える気配がなかった。
◇
ケアラの奴め。相変わらず寝相が悪い……。
蹴られた腰をさすりながらルーカスが主屋に顔を出すと、ノアがシンクで頭から水を被っていた。
「ふぁぁああ……。寝た寝た。牛乳余ってるかなっと。兄貴? 何してんだ、寝癖直しか?」
「……黙って去れ」
「んー、そうするわ」
まだ眠い。ルーカスは牛乳瓶を片手に離れに戻る。
ノアの耳が赤かったような気がしたが、眠かったから気のせいかもしれない。
トーストを切り、野菜をちぎって、卵をフライパンに乗せる。ルーカスとケアラはしたたかに酔っていたから、しばらく起きないだろう。
湯を沸かしていると、とん、とん……と足音が降りてきた。ノアはぎょっとして後ろを向く。
案の定というか、カオルが立っていた。
「おはよう、ございます。……あの、私がやりますので、ノア様はゆっくりなさってください」
「なぜ起きてきた。靴擦れが治るまでは安静にしていろ」
「そういうわけには。それほど痛みませんし……」
「そちらの方が問題なんだがな」
痛覚が麻痺しているのか、痩せ我慢か。どちらにせよ良い兆候ではない。
寝巻きのままのカオルを横抱きにして、階段を登る。
「あっ、ノア様っ。自分で歩きます、から……っ!」
「歩くなとさっきから言っている。……まあ、こうして運ばれたいならまた降りてきても構わないがな」
「~~~~っ!」
「食事の用意ができたら運ぶ。会話もしたい。私も一緒に食べていいか」
「ど、どうぞ。その……お手数おかけして、申し訳……」
「ありがとうだ」
カオルをベッドに戻して、ノアは言う。
「謝るなら、そう言ってくれ。その方が私は嬉しい」
「は、はい。あの、その……、ありがとう、ございます……っ」
「よろしい」
ぽんぽん、と軽く頭を撫でて、朝食の用意に戻った。
◇
サラダ、トースト、目玉焼き、昨日のオニオンスープ、それから牛乳。
お皿に盛られたそれらに、今日は初めからお腹が鳴った。
くぅ、という音に顔を俯けると、ノアに小さく笑われる。
「食べられるだけ食べろ。残ったら保存に回す」
「はい、すみませ……あ、ありがとうございます」
促されて、カオルはスープをゆっくりと飲む。温かいものを胃に収めると、とても落ち着く。
ノアもひと匙含んで、美味いな、と言った。
「……癪だがルーカスには敵わんな。確か、何かを入れたと言っていたような……」
「おい、たーソース……? のようなことを言っていたような気がします」
「ああ、オイスターソースか。そんなものいつの間に揃えたんだか」
「た、卵もサラダも、と、とっても美味しい、です」
「それは良かった。好きなだけ食べて良い。足りなければ持ってくる」
ノアの言葉に、カオルはふるふると首を振った。正直、全て食べられるかどうかも怪しい。
「ルーカスさんは、どちらにいらっしゃるのですか?」
「やつは離れで暮らしている。今頃きっと夢の中だ。特に昨夜は、ケアラも来ていたからな」
「ケアラ、……さん?」
「私の昔からの仲間の一人だ。今は孤児院の経営と、教科書の校閲を任せている」
そしてノアは、甘みの強い苦笑を浮かべた。
「ケアラはルーカスの恋人だ」
「あ、そ、そうでしたか」
「まあ、あいつらはなぜか私に隠しているつもりらしいがな。ルーカスが離れに暮らしているのもそういう理由だ。向こうの声が届かない」
「そう、ですか……」
そういえば、とカオルは首をかしげた。
「ノア様は、お付き合いをされている方などはいらっしゃるのですか?」
言った途端に、ノアはトーストを咥えたまま目を丸くした。
次いで、口元を押さえてくつくつと笑われる。
「カオル……。お前は、私の妻ではないのか」
言われて、さーっと血の気が引いた。
そうだった。全て受け身でここまで流されてきたから失念していた。
「良い、良い。久々に腹から笑いそうになった。お前は意外と、抜けているな」
「すみません……」
「良いじゃないか。それぐらいの方が場が和む。安心して良い。この程度で怒る輩はここにはいない」
ノアはフォローをしてくれたが、顔から火が出そうだった。
◇
食事が終わると、ノアは食器を下げてくれた。何もかもさせっぱなしでカオルは小さくなるしかないが、彼が湯とタオルと、軟膏のようなものを持ってきた時は本気で首を振った。
「け、けけ結構です……っ! 手当は既にしていただいていますし、あとはもう放っておけば治りますので……!」
「化膿したら後が厄介だ。それに、その怪我は私の責任なのだから」
失礼、と掛け布団を捲られ、足首を優しく持たれる。手の形に熱が伝わり、それから暖かいタオルで汚れを拭われる。
「……っ、ん……っ」
「痛くはないか」
「痛く、ないです……っぅ、……っ」
痛くはないが、痛いほうがましだったかもしれない。
タオルを置かれ、軟膏を掬った指で撫でられて、ぞくぞくと背筋に妖しい感覚が走る。
これは、良くない。
とっても、良くない。
ノアの手が、ゆっくりと労るように足の上を滑る。足の指の根本に軟膏を塗られ、裏に出来てしまった不恰好なマメも撫でられて、くるぶしをさすられる。その度にカオルは、両手で口を押さえて目を瞑る。
「ん……っ、ぅ、……っ、ぁ」
(本当に、消えてしまいたい……)
ノアは真剣に労ってくれているのに。
治療行為で、しかも足に触れられているだけなのに。
元々が、手折られるために調整された血筋で、さらに一〇年近く展示と称されて様々な行為を強要されてきたカオルの身体は、これだけのことで早くも疼いてしまっていた。
「これで、あとは経過を見るか」
処置を終えたノアが、カオルの足をベッドに戻す。そのときに指が足の裏を掠めて、カオルは堪えきれずに声を漏らしてしまう。
「……あ、ん……っ!」
「…………カオル?」
「すみませ、あの……っ、ごめんなさ……っん、……っ」
私は今、どんな顔をしているだろう。とても見せられたものではない、ということはよくわかる。
違うんです、約束は理解しています。そんなつもりはなくて……っ。
「……すまない、無理強いをした」
そっと掛け布団を整えられて、ノアはゆっくりと立ち上がった。足が、長い。口元に手を当てていて、表情は見えない。
「飲み物がなくなったら呼べ。持ってくる」
とん、とん、とん、と規則正しい足音が遠ざかっていき、カオルは頭を天井に向けた。
質のいい布団に、清潔な部屋、暖かい飲み物に、差し込む陽光。
「………………熱い」
身体に灯ってしまった熱は、一向に消える気配がなかった。
◇
ケアラの奴め。相変わらず寝相が悪い……。
蹴られた腰をさすりながらルーカスが主屋に顔を出すと、ノアがシンクで頭から水を被っていた。
「ふぁぁああ……。寝た寝た。牛乳余ってるかなっと。兄貴? 何してんだ、寝癖直しか?」
「……黙って去れ」
「んー、そうするわ」
まだ眠い。ルーカスは牛乳瓶を片手に離れに戻る。
ノアの耳が赤かったような気がしたが、眠かったから気のせいかもしれない。
1
お気に入りに追加
70
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
お嬢様、お仕置の時間です。
moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。
両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。
私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。
私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。
両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。
新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
ミックスド★バス~家のお風呂なら誰にも迷惑をかけずにイチャイチャ?~
taki
恋愛
【R18】恋人同士となった入浴剤開発者の温子と営業部の水川。
お互いの部屋のお風呂で、人目も気にせず……♥
えっちめシーンの話には♥マークを付けています。
ミックスド★バスの第5弾です。
社長の奴隷
星野しずく
恋愛
セクシー系の商品を販売するネットショップを経営する若手イケメン社長、茂手木寛成のもとで、大のイケメン好き藤巻美緒は仕事と称して、毎日エッチな人体実験をされていた。そんな二人だけの空間にある日、こちらもイケメン大学生である信楽誠之助がアルバイトとして入社する。ただでさえ異常な空間だった社内は、信楽が入ったことでさらに混乱を極めていくことに・・・。(途中、ごくごく軽いBL要素が入ります。念のため)
【R18】黒髪メガネのサラリーマンに監禁された話。
猫足02
恋愛
ある日、大学の帰り道に誘拐された美琴は、そのまま犯人のマンションに監禁されてしまう。
『ずっと君を見てたんだ。君だけを愛してる』
一度コンビニで見かけただけの、端正な顔立ちの男。一見犯罪とは無縁そうな彼は、狂っていた。
緋剣の抵抗ー女騎士団長快楽拷問ー
blueblack
恋愛
ーー王国、侵略ーー
突如として発生し、瞬く間に隣国を責め落とした魔族を打ち破らんと、騎士団長のシルヴィア=メルネスは軍を率いて応戦する。
しかし、敵将の手に堕ち、虜囚としての辱めを受けることに。
戦利品、慰み者として誇りを踏みにじられても、緋剣は必死に抵抗するが……。
イケメンドクターは幼馴染み!夜の診察はベッドの上!?
すずなり。
恋愛
仕事帰りにケガをしてしまった私、かざね。
病院で診てくれた医師は幼馴染みだった!
「こんなにかわいくなって・・・。」
10年ぶりに再会した私たち。
お互いに気持ちを伝えられないまま・・・想いだけが加速していく。
かざね「どうしよう・・・私、ちーちゃんが好きだ。」
幼馴染『千秋』。
通称『ちーちゃん』。
きびしい一面もあるけど、優しい『ちーちゃん』。
千秋「かざねの側に・・・俺はいたい。」
自分の気持ちに気がついたあと、距離を詰めてくるのはかざねの仕事仲間の『ユウト』。
ユウト「今・・特定の『誰か』がいないなら・・・俺と付き合ってください。」
かざねは悩む。
かざね(ちーちゃんに振り向いてもらえないなら・・・・・・私がユウトさんを愛しさえすれば・・・・・忘れられる・・?)
※お話の中に出てくる病気や、治療法、職業内容などは全て架空のものです。
想像の中だけでお楽しみください。
※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんの関係もありません。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
ただただ楽しんでいただけたら嬉しいです。
すずなり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる