上 下
8 / 29
2章

2-2

しおりを挟む
 いつまで経っても、お腹は空かなかった。
 裏返した食器をただぼうっと眺めているうちに、太陽は高く登り、暖かい日差しがリビングに差し込む。カオルは日光を避けるように、ふらふらと立ち上がった。

「……お掃除、しよう」

 理由はわからない。でも、ノアの逆鱗に触れたのだと言うことははっきり分かっていた。
 やっぱり、無理だったのだ。こんな常識も華もない汚れた女が、貴族様の元に嫁ぐなど。私は所詮、展示品。いや、旦那様の言葉を借りるなら娼婦か。まったく、その通りだ。

「………………帰ろう」

 一日分の夢のお返しとしては足りないけれど、ちゃんと掃除をして、汚れを落として、綺麗さっぱりいなくなろう。その方がカオルとしても楽だ。掃除は唯一、何にも考えずにできることだから。
 綺麗なままの食器を、静かに戻した。

    ◇

 情報は、三時間ほどでおおよそ集まった。居ても立ってもいられず、後半はノアが指揮を取った。
 本来なら極秘事項の山らしいが、上下水道を束ねるエヴァンス家は、有力貴族ほど恩を売りたい相手らしい。皆、ここぞとばかりにリークしてくれた。
(まだなにか奥に一段、闇を抱えていそうな雰囲気はあったが……)
 まるまると太った貴族共の下卑た笑みが、脳裏に浮かんで吐き気がする。「へえ、あのカオル嬢を」とあからさまに笑う者もいた。あの、とはどういうことだ。意味がわからない。
 ただしかし、はっきりとわかることは。

「…………やってしまった」

 カオルは白だ。間違いなく。
 理由はわからないが、彼女はイルミナ家で迫害を受けていた。よほど酷いものだったのだろう。孤児院でさえ、あそこまで怯えた子はそう見ない。
 夜這いにしても、実家の誰かの指示であった可能性が高い。
 それを……。

「やっちまったな。兄貴」
「……ああ。間違いなくここ数年で一番の失態だ。一度話を聞くべきだった」
「このクズ」
「…………」

 今回ばかりはぐうの音も出ない。
 ノアは無言で天井を仰ぐ。ルーカスが、挑むような目つきで書類の山をデスクに置く。

「お忙しいな、ノアの兄貴。あんたには仕事がたくさんある。どうする? 家で待ってる傷心の奥さんと、どっちを取る」
「……ここぞとばかりに私を試すような真似をするな」

 わかっている。そんなことは。
 最低限の荷物をまとめて、ノアは立ち上がった。

「帰る。車を出せ」
「あいよ」

 待ってましたとばかりに、ルーカスは車の鍵をくるりと回した。
 表で待っているのももどかしく、ノアも助手席に乗り込む。急くように細かく足を揺らす。
(ルーカスの言う通りだな。とんだ悪癖……。いや、言い訳か)
 そもそも、昨日の夜までは、おそらくカオルは追い詰められていたのだろうという結論をルーカスと出していた。それが、深夜の一件で全部吹き飛んだ。
 ノアが突き飛ばしたとき、カオルは救いを求めるように手を伸ばしていたのに。
 瞬間記憶能力を持つノアは、あの時しっかり見て、覚えていたのに。
 返す返すも、

「……ルーカス、一度私を殴ってくれないか」
「甘えんな。カオルさんに引っ叩かれろ」
「……その通りだ。スピード出せ。違反ぐらい揉み消してやる」

 車の遅さにやきもきとする。郊外に家を建てたのを悔やむ日が来るとは思わなかった。
 と、その時。
 流れる景色の中に、陽光に煌めく白い髪が掠めた。
 慌てて後ろを見て、ノアは叫ぶ。

「止めろ!」
「あ……? なんだお前、この期に及んで……」
「違う。カオルがいた。お前ちょっとここで待ってろ。私は出る」
「は? 見間違いだろ。家からここまで何キロあると思って……」
「見間違うわけがないだろう!」

 減速し始めた車から無理やり降りて、ノアは来た道を全力で走る。このまま見失ってしまえば捜索は困難だし、イルミナ家に戻られると再び連れ出せるか怪しい。
 ふらふらと、荷物を抱えて重たそうに歩く後ろ姿に、声を張った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

【R18】黒髪メガネのサラリーマンに監禁された話。

猫足02
恋愛
ある日、大学の帰り道に誘拐された美琴は、そのまま犯人のマンションに監禁されてしまう。 『ずっと君を見てたんだ。君だけを愛してる』 一度コンビニで見かけただけの、端正な顔立ちの男。一見犯罪とは無縁そうな彼は、狂っていた。

【R18】泊まった温泉旅館はエッチなハプニングが起きる素敵なところでした

桜 ちひろ
恋愛
性欲オバケ主人公「ハル」 性欲以外は普通のOLだが、それのせいで結婚について悩むアラサーだ。 お酒を飲んだ勢いで同期の茜に勧められたある温泉旅館へ行くことにした。そこは紹介された人のみ訪れることのできる特別な温泉旅館だった。 ハルのある行動から旅館の秘密を知り、素敵な時間を過ごすことになる。 ほぼセックスしかしていません。 男性とのプレイがメインですが、レズプレイもあるので苦手な方はご遠慮ください。 絶倫、巨根、連続絶頂、潮吹き、複数プレイ、アナル、性感マッサージ、覗き、露出あり。

お嬢様、お仕置の時間です。

moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。 両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。 私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。 私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。 両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。 新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。 私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。 海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。 しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。 海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。 しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。

【R18】絶倫にイかされ逝きました

桜 ちひろ
恋愛
性欲と金銭的に満たされるからという理由で風俗店で働いていた。 いつもと変わらず仕事をこなすだけ。と思っていたが 巨根、絶倫、執着攻め気味なお客さんとのプレイに夢中になり、ぐずぐずにされてしまう。 隣の部屋にいるキャストにも聞こえるくらい喘ぎ、仕事を忘れてイきまくる。 1日貸切でプレイしたのにも関わらず、勤務外にも続きを求めてアフターまでセックスしまくるお話です。 巨根、絶倫、連続絶頂、潮吹き、カーセックス、中出しあり。

【R-18】クリしつけ

蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。

社長の奴隷

星野しずく
恋愛
セクシー系の商品を販売するネットショップを経営する若手イケメン社長、茂手木寛成のもとで、大のイケメン好き藤巻美緒は仕事と称して、毎日エッチな人体実験をされていた。そんな二人だけの空間にある日、こちらもイケメン大学生である信楽誠之助がアルバイトとして入社する。ただでさえ異常な空間だった社内は、信楽が入ったことでさらに混乱を極めていくことに・・・。(途中、ごくごく軽いBL要素が入ります。念のため)

処理中です...