嫌われた令嬢、ヒルダ・フィールズは終止符を打つ

第８章 13 思い出話

　ヒルダとノワールは不動産会社にやって来ていた。

「それで家賃の予算はおいくらまでなら出せますか？」

男性社員がノワールに尋ねてきた。

「金貨1枚までなら大丈夫だ」

「「え？！」」

その言葉にヒルダのみならず男性社員までもが驚いた。ヒルダが今住んでいるアパートメントすら銀貨3枚なのだ。

「そ、それほどまでのご予算ですか…かなり大きな屋敷を借りることが出来ますね」

男性社員はパラパラと物件が記された用紙をめくりながら言った。

「ヒルダはどんな物件がいいんだ？」

不意にノワールが尋ねてきた。

「え？わ、私…ですか？ノワール様にお任せします」

しかしノワールは首を振った。

「駄目だ、ヒルダも一緒に住むのだから希望を出さなければ」

「そうですか。あの、なら特にお部屋の間取りは私とノワール様のお部屋とリビングとダイニングルームがあれば十分です。ただ…出来れば場所は希望があるのですが…」

「希望？どんな希望だ？」

「はい。出来れば海が見える場所に住みたいです。今のアパートメントからは海が見えないので」

「そうか、ヒルダは海が好きなんだな？」

「はい、海は好きです。いつか海の見える場所で暮らすのが私の夢だったのです」

「分かった、それなら海がよく見える場所を探してくれ。そうだな。出来れば美しい自然も近くにあるような場所がいい」

ノワールが嬉しそうに言う。

（ひょっとするとノワール様は私と暮らすことを楽しんでいらっしゃるのかしら…？）

けれどヒルダはその考えを頭から追い払った。

（ううん。きっとそれは無いわね…ノワール様は私を哀れんで面倒を見てくれることにしたのだわ。だって私は足も不自由だし、愛する人は皆私を置いて去って行ってしまうから…）


　その後もノワールとヒルダの物件探しは続き…1件の家を内覧することが決定した。そこは今ヒルダが住んでいるアパートメントから馬車で30分程の距離にある美しい海岸線が広がる住宅街だった。


ガラガラと走る馬車の中、不動産社員が御者をつとめる馬車の中にヒルダとノワールの姿があった。

「ヒルダ、見てみるといい。水平線の向こうに船が見える」

ノワールに言われて馬車の窓から外を眺めると、水平線の向こうに何隻もの船が見えた。それはとても素敵な光景だった。海沿いの道路には南国の木が植えられ、綺麗に刈り取られた芝生が広がっている。

「素敵な場所ですね…」

「ああ。俺も…実は海が好きなんだ」

ノワールがポツリと言った。

「え？」

ヒルダはノワールを見た。

「子供の頃から俺はずっと口下手で…兄や…弟のエドガーのように上手な事が言えなかったんだ。その代わり本を読むのが大好きで…本が友達のようなものだったんだ。だから…ヒルダは余り覚えていないかもしれないが、あの時話しかけてきてくれたことが凄く嬉しかったんだ…」

「そうだったのですか？」

その話はヒルダにとって驚きだった。

「冒険小説が大好きで、特に船に乗って世界中を巡る冒険活劇が大好きだった。だからいつかは海の見える場所に住みたいと思って、港町の『ロータス』にやってきたんだ。でも…まさかこんなところで偶然にヒルダに再会するとは思わなかったけどな」

ノワールはヒルダを見つめて笑みを浮かべた。それは今までに無いくらい、優しい笑顔でエドガーを彷彿とさせるものだった。

「ノワール様…」

（ひょっとすると…私は今迄ノワール様の事を誤解していたのかしら…？）

その時―

ガタンと音を立てて馬車が止まると男性が声を掛けてきた。

「お客様。目的地へ到着しましたよ」

「それじゃ、降りようか？ヒルダ」

ノワールがヒルダに手を差し伸べてきた。

「はい」

ヒルダがその手に自分の手を乗せると、ノワールはしっかりと握りしめてきた―。