上 下
483 / 519

川口直人 57

しおりを挟む
 どの位の間、鈴音の部屋を見上げていただろうか―。

トゥルルルル…
トゥルルルル…

不意にスマホに着信が入って来た。

まさか…鈴音だろうか?


緊張しながら上着のポケットからスマホを取り出し…落胆した。着信相手は愛しい鈴音からではなく…俺にとっては絶望的な相手からの電話だった。その相手とは…。

『常盤恵理』

「はぁ…」

見慣れぬ名前の表示にうんざりした溜息が漏れてしまう。いっそこんな電話等出ないで切ってやろうかと思ったが、そういう訳にはいかなかった。何故なら俺は父を…そして川口家電の社員を人質に取られているようなものだったから。

出たくなくても出なければどんな事を言われるか分った物では無い。ため息をつきながら電話に出た。

「もしもし…?」

すると―。

『遅いじゃないっ!』

いきなり大きな声が響き渡った。

「何もそんなに大きな声を出す事は無いでしょう?」

『直人が早く電話に出ないからでしょうっ!』

常盤恵理は早くも呼び捨て呼ぶ。…今日会ったばかりなのに。鈴音の場合は恋人同士になってようやく自分から言い出して名前で呼んでくれるようになったと言うに、この女はたった半日で俺の事を『直人』と、しかも呼び捨てで呼ぶ。鈴音だってまだそんな風に呼んでいないのに…。

「どうもすみません。電話に気付かなかったものですから」

電話に出ながらマンションへと入って行く。

『まぁいいわ。それより今何してたの?』

恋人の部屋を見つめていました…。いっそ、そう言ってしまえればいいのだが…この女にそんな事を言えば何をしでかすか分らない。鈴音にだけは絶対に手を出して欲しくは無かった。

「これから自分の部屋に入るところですよ」

『え?まだマンションに帰っていなかったの?』

「はい、そうです」

『まさか…元恋人の所へ今まで行ってたんじゃないでしょうね?』

元恋人…。

本当にこの女はイヤな言い方をする。大体俺は鈴音に別れすら告げられていないのに?自分の中では鈴音と別れた実感がまるで無かった。何しろ最後の別れすら告げさせる事を常盤恵利は許してくれなかったのだ。

「いいえ、そんな事していません。大体抜け目ない貴女の事だ…。既に興信所をつけているんじゃないですか?」

俺は辺りをキョロキョロ見渡しながら言った。

『…そんな風に思っているのね…』

「当然じゃないですか。貴女なら何でもやりそうだ」

『ええ、そうね。この際だから言わせて貰うわ。貴方はいわば私にお金で買われたようなものなのよ。だから私の言うことは絶対に聞いてもらうからね?今後は毎日必ず私に電話を入れるのよ。朝と夜には必ずね。メールも絶対に入れるのよ。1つでもこれを怠ったら…貴方の父親の会社は終わりよ』

「…分かりました。どうせ俺には何も意見する事は出来ないのだから」

『…まだあるわ、直人。その言葉遣いが気に入らないわ。敬語で話すのはやめてくれないかしら?気分が悪いわ。私達は婚約者同士なのだから対等な言葉遣いをしてよ』

「…」

敬語を使って話すのは、ある意味俺にとってささやかな抵抗だった。それすらも禁じられてしまうのか…。だが、言うことを聞かなければ。

「…分かった」

『ねぇ…直人』

急に甘えた声で名前を呼んできた。

「…何だ」

『恵利って呼んでよ』

「…恵利」

嫌々名を呼んだ。

「フフフ…いい気分ね。明日の夜7時にデートするわよ。」

常盤恵利は早くも俺に命令してきた―。

しおりを挟む
感想 208

あなたにおすすめの小説

【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。

112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。 愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。 実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。 アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。 「私に娼館を紹介してください」 娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨ 〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

誰にも言えないあなたへ

天海月
恋愛
子爵令嬢のクリスティーナは心に決めた思い人がいたが、彼が平民だという理由で結ばれることを諦め、彼女の事を見初めたという騎士で伯爵のマリオンと婚姻を結ぶ。 マリオンは家格も高いうえに、優しく美しい男であったが、常に他人と一線を引き、妻であるクリスティーナにさえ、どこか壁があるようだった。 年齢が離れている彼にとって自分は子供にしか見えないのかもしれない、と落ち込む彼女だったが・・・マリオンには誰にも言えない秘密があって・・・。

忙しい男

菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。 「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」 「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」 すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。 ※ハッピーエンドです かなりやきもきさせてしまうと思います。 どうか温かい目でみてやってくださいね。 ※本編完結しました(2019/07/15) スピンオフ &番外編 【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19) 改稿 (2020/01/01) 本編のみカクヨムさんでも公開しました。

嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜

みおな
恋愛
 伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。  そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。  その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。  そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。  ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。  堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

処理中です...