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1-13 打ち合わせ

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 18時―
朱莉は会社のロビーのソファに座って翔がやって来るのを待っていた。
今日の朱莉の服装は薄い水色のストライプ柄のブラウスにベージュのフレアースカートを合わせたスタイルだった。
やはりいくらカジュアルでと言われても、相手は次期社長になるような男だ。
あまりラフな服装でここへ来るわけには行かない。

鳴海先輩・・・まだかな・・・。
退勤時間を過ぎているので、大勢の男性社員やOLが朱莉の前を通り過ぎていく。
その誰もが・・・朱莉の目には生き生きと輝いて見えた。
自分もいずれはこのような生き生きとした目で社会に出て働ければな・・・。
そんな事を考えているうちに、朱莉は人込みに紛れて翔が出てきたのを見つけた。
鳴海先輩だ!
朱莉はソファから立ちあがって、翔がこちらへやって来るのを待っていた。

 やがて翔が朱莉に気が付いたのか、視線をこちらに向けたのだが何やら驚いたような表情を浮かべている。
そして朱莉に大股で近づいて来た。

「こんばんは。鳴海さん。本日もお誘い頂きましてありがとうございます。」

深々と頭を下げると、鳴海は戸惑ったように声をかけてきた。

「もしかして・・・朱莉さん・・かい?」

「はい、そうですけど?」

朱莉は顔を上げて返事をする。

「い、いや・・・これは驚いたな。・・・昨日までとはまるで別人のようだよ。」

翔が驚くのも無理は無い。昨日までの朱莉は黒い縁のフレームの眼鏡にまっすぐ伸びた黒髪を後ろで一つにまとめたヘアスタイルだったのが、今目の前に立っている朱莉は眼鏡を外している。眼鏡を外した事により今まで隠されていた大きな瞳や、すっきり通った鼻筋が良く分かるようになり、どこか日本人離れした美貌があらわになった。
セミロングの髪型は毛先をふんわりと軽くウェーブで巻いたヘアスタイルで今の朱莉に良く似合っている。

 あまりの変貌ぶりに、不覚にも翔は見惚れてしまい・・・ハッとなった。
まずいな・・・。朱里が実はこんなに美人だった事が・・・明日香にばれてしまえば、ますます彼女に対する風当たりが強くなるような気がする・・。
だが、今更契約を解除して他の女性を探すわけにもいかない。こうなったら明日香が嫉妬しないように、やはり彼女を守る為にも不必要な接触は避けないと・・・。

 しかし、当の朱莉はまさか翔が頭の中でそのような事を考えているとは露ほどにも思わずにすっかり浮かれた気分になっていた。
まさか本当に今夜2人きりで食事に行くことが出来るなんて・・。
まるで夢みたいだと幸福に包まれていた。

「それじゃ、行こうか。朱莉さん。」

翔は咳ばらいをすると言った。

「はい、鳴海さん。」

朱莉が返事をすると、翔が言った。

「う~ん・・・。その呼び方なんだが・・・。」

「?」

「朱莉さんも今は『鳴海』という苗字なんだから、鳴海さんという呼び方はどうだろう?俺の事は『翔』と呼んで貰えないかな?」

「翔・・・さん。」

朱莉は顔が赤くなりそうになるのを抑えながら名前を呼んでみる。

「うん、それでいい。なるべく周囲には不自然に思われたくないからね。よし、それじゃ行こうか。」

改めて翔は朱莉を見て笑顔で言った。


 翔が朱莉を連れてやって来たのはイタリアンのカジュアルレストランだった。

「この店の名物はアクアパッツァなんだ。本場のイタリア人シェフが腕を振るっているんだよ。」

テーブル席に案内されて、椅子に座るや否や翔が言った。

「そうですか、それでしたら私それを注文します。」

「いいのかい?他にもいろいろあるけど・・・?」

翔がメニューを差し出してきたが、朱莉は遠慮した。

「いえ。是非、翔・・・さんが教えてくれた料理・・・食べてみたいので。」

朱莉はなるべく意識しないように翔の名前を呼んだ。本当は名前呼びするだけで顔から火が出そうになるほど恥ずかしかったが、それを表に出すわけにはいかない。

「そうかい。それじゃ俺もそうしよう。すみません。」

翔は手を上げてウェイターを呼ぶとアクアパッツァを注文し、朱莉に振り返ると言った。

「朱莉さん。アルコールは飲むのかい?」

「あ。はい・・・。家で少し飲んでいた事はありますが・・・。」

「そうかい、ワインは飲める?この料理には赤ワインが似合うんだ。」

「はい、大丈夫です。」

朱莉がうなずくと、さらに翔はワインボトルを1本注文した。
ウェイターが頭を下げて、去った後に翔が言った。

「すまないね。お酒なんか頼んじゃって・・・。実は・・・今夜は明日香に琢磨と2人でお酒を飲んで帰るって伝えてあるんだ。」

本当はこんな話、わざわざ言うべき事ではないのかもしれないが、明日香に対する後ろめたい思いがあったので翔は言わざるを得なかったのだ。

「そうですか。分かりました。でも・・・明日香さんに嘘までつかせてしまって・・申し訳ございませんでした。」

朱莉は改めて翔の中は明日香の存在が大きいと言う事を思い知らされた。でもこのように、会話の端々で彼女の名前を出しているのは・・・おそらく絶対に自分の事を好きにならないようにと釘を刺しているのだろう。

「いや、謝るのはこっちの方だよ。本当に昨夜も悪い事をしたと思っているんだ。まさか明日香の奴があんな態度に出るとは思わなくて・・・。音は悪い性格じゃないんだが、どうにも嫉妬深いことがあって・・これからも何か明日香が言ってくるかもしれないが・・・適当にあしらってくれればいいから。」

翔は言うが、適当にあしらうなんて・・・朱莉にはとてもそんな真似は出来そうになかった。正直な話、朱莉の中ではまるで自分は第2婦人で、明日香は本妻・・・そんな感覚を持っている位なのだから。

 やがて2人の前に料理が運ばれてきた。
確かに翔が勧めるだけあって、この料理は魚介類から出たスープが具材と良く馴染み、とてもおいしい料理であった。
2人で食事をしながら、翔がぽつりぽつりと話し出した。

「実は、今夜朱莉さんを誘ったのには訳があるんだ。3日後にこの会社の会長であり、俺の祖父が日本に帰国して来るんだ。その時に朱莉さんを始めて紹介する事になるんだけど、色々祖父から尋ねられることがあると思うから、事前に打ち合わせをしておきたくてね・・・。祖父との顔合わせ・・・・どうしても失敗するわけにはいかないんだよ。」

何所か懇願するような翔の言い方に朱莉は合点がいった。ああ、今夜私を食事に誘ったのはそういう事だったのか。確かに理由が無ければ自分を誘う等あり得ない話だ。

「・・・分かりました。疑われないように頑張ります。」

朱莉は頷いた。だって、これが私の仕事なんだからと自分自身に言い聞かせながらも朱莉の胸がチクリと痛んだ。

「そうか、話の理解が早くて助かるよ。それじゃ早速だけど、2人の馴れ初めについてなんだが・・・色々考えたんだけど、良い案が浮かばなくてね。朱莉さんは何か思いつかないかな?」

翔のその言葉に・・改めて朱莉は思った。鳴海先輩・・・やっぱり高校時代同じ吹奏楽部でホルンを教えてくれたこと・・・覚えていないんだ・・・。なら・・なら少しだけ・・過去の話をしたい・・・。
朱莉は思い切って翔に言った。

「あ、あの・・・。私が翔・・・さんと同じ高校に少しだけ通学していたのはご存知ですよね?」

「ああ。そうだね。お互い交換したプロフィールにそう書いてあるからね。」

「では、高校時代同じ学校でそこで先輩後輩として知り合いになって・・・再び町で再会して・・・話が弾んで交際する事になった・・・と言うのはどうでしょうか?」

朱莉は完全に自分の事を忘れている翔に流石に吹奏楽部の話まではする事が出来なかった。

「ああ、なるほど・・・。確かにそれはいい考えかもしれないね。」

翔は朱莉の2人の馴れ初めについての作り話に満足したかのように頷いた。その後も2人は数日後に会長と会った時の為の会話のシュミレーションの練習を続けた。



 店を出ると翔が笑顔で朱莉に言った。

「今夜はありがとう。朱莉さんのアドバイス・・・とても役に立ったよ。この分だと当日うまく行けそうな気がするよ。お互いの為に頑張ろう。」

「は、はい。頑張ります。」

翔の笑顔に朱莉は頬が赤くなりそうになるのを必死で耐えながら返事をする。

「それで・・悪いんだけど。」

翔が申し訳なさそうに言う・

「明日香に・・・ばれるわけには行かないんだ。俺が先に帰って、明日香に何も勘ぐられないようにするから・・朱莉さんは30分ほど経過してから帰ってもらってもいいかな。ほら、すぐそこにコーヒーショップがあるだろう?悪いけど、少しだけそこで時間を潰しておいて貰いたいんだ。・・・これも君から明日香を守る為の措置だから。」

嘘だ。朱莉は心の中で思った。それは翔の立場と明日香を守る為の詭弁だと言う事は彼の表情で理解することが出来た。
だけど・・・朱莉はそれ相応の対価として翔からお金を貰っている。いわば雇用関係にあるようなものだ。
だから朱莉は素直に従う。

「・・・はい、分かりました。念のために40分時間を遅らせて帰宅しますね。」

笑顔で翔に告げる。

「うん。よろしくね。それじゃ今度は本番で・・・会おう。」

そして翔は背を向けて歩き出した。
一度も朱莉を振り返ることなく・・・・。
そんな翔を朱莉は悲し気な瞳で見送るのだった―。
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