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29.ダイソン伯爵夫人③

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社交界はただ華やかで楽しい場所ではない。
己の才覚で存在を見せつけ、相手に侮られないようにすることも求められる。

それは爵位が高ければ高いほど必要になること。

そうでなければ高位貴族に相応しくないとみなされ社交界で相手にされなくなる。



他国の男爵家出身のラミアにとっては辛い状況だろう。
足りないものを補う為に彼女はダイソン伯爵家で暮らし始めた時から一生懸命に学んでいたが、高位貴族が生まれた時から叩き込まれるものを平民に近い暮らしをしていた男爵令嬢がすぐに身につけられるわけがない。

でも彼女の振る舞いから、彼女なりに今日まで最大限の努力をしていることは分かる。
礼儀作法・動作・イントネーションなど、私が知っている以前の彼女とは格段に違うから。

それでも高位貴族に求められるレベルにはまだ達していないのも事実。


これが普通の手順で他国から嫁いで来た男爵令嬢なら『だ』と周りも見守るように接していただろうが、状況がそれを許さない。


みんな彼女を『ダイソン伯爵夫人として付き合うべき相手か』と見極めようと試しているのだ、殊更厳しく…。




彼女にはまだまだ足りない部分はある。
囲まれながら反論の一つもまともに出来ていないのがその最たるもの。

それでも今の彼女が出来る唯一のこと『笑顔で耐え続けること』を実践できているのだから、今はそれだけで及第点と思っていいだろう。

無様な反論をして返り討ちにあうよりは、ひたすら耐えたほうが傷は浅くて済むのだから。


彼女は彼女なりに頑張っていることは伝わってくる。引きこもるほうが楽だが、夫エドワードと息子ケビンの為に『ダイソン伯爵夫人』として、この社交の場に自ら出てきている覚悟からもそれは窺える。



ラミアのその姿勢は素晴らしいとは思う。

ただ逃げるだけではなにも変えられないから。



でも私は彼女の現状がどうであろうと自ら関わるつもりはない。

ラミア達がいる場所は私から少し距離もあるし、周りの貴族たちもあえて私にラミアの存在を知らせる愚か者はいない。

ヒューイの今までの対応が素晴らしかったお陰だろう。


だからこのまま接触せずに済ませるはずだった。


だがその集団から目を逸らす時にラミアと一瞬目が合ってしまう。

それは本当に偶然で視線の交わりに意味などなかった。

しかし彼女は私の存在を認識すると、なぜかほっとしたような表情を見せる。

気まずげな表情でも、いたたまれない表情でもなく、私を見て安堵の表情…?


私が助けることを期待しているのだろうか。
そんなことを求めてしまうほど追い詰められているのだろうか。

…確かにそうなのかもしれない。
彼女の笑顔はぎこちなくなっているから。



酷いと思われようが助けるつもりはないので、私は何もしなかった。


するとラミアは周りを取り囲む女性達に『私から挨拶すべき方がいますので、…失礼致しますわ』と小さな声音で告げ、椅子に座っている私のほうに向かって真っ直ぐに歩いてくる。

誰に挨拶をするとは言ってないけれども、彼女の視線の先には私しかいない。
だから女性達もラミアを引き止めなかった。

これから起きる何かを期待しているのだろう。



彼女は私に挨拶をすることを口実にあの場から逃れることを選んだようだ。

それはあの状況の彼女にとっては最善策かもしれないが、愚策とも言える。

新たな話題を自ら提供しているのだから。


でも彼女にはそこまで考える余裕がなかった。
私を巻き込む意味を考えられないほど精神的に追い込まれていたのだろう。


 …確かに酷い言われようだった。
 でもね、もう少し考えて欲しかったわ。
 私を盾にする前に……。 


ラミアに同情はしない。
今ここに立つことを選んだのは彼女自身。
こうなることを承知でここに来ているのなら、彼女だけで乗り越えるべき問題なのだ。

そこに前妻である私を巻き込むべきではない。


ラミアはほっとした表情を浮かべ、まるで知人に挨拶に来るかのように歩いて来る。

その足取りは軽い。

悪いとは思っていないのだろうか…。
きっとそんなことよりもあそこから離れられた安堵しかないのだろう。

 
 こんな形で会うなんて…。


会うことは覚悟のうえで夜会に参加はしたけれども、こんな利用される形で再会はしたくなかった。

でも彼女はすぐ目の前まで来ている、もう避けることは出来ない。私は重い腰を上げ、彼女を微笑みながら迎え入れるしかなかった。


「ダイソン伯爵夫人、御機嫌よう」


完璧な微笑みを浮かべ、私はラミアに自分から優雅に挨拶をしてみせた。
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