上 下
41 / 62

40.祈り〜医者視点〜

しおりを挟む
「止めなくてよろしいのですか? 先生」

 看護士は窓の外を見ながら、机に向かってカルテを書いている私に話し掛けてきた。

 彼女の視線を辿らなくとも、何を見ているのかは分かっている。
 だが、私は立ち上がると彼女の隣に立って、とある病室の窓を見た。

 近くもなく遠くもないけれど、中にいる人の動きは分かる距離。階はこちらのほうが上なので、あちら側は見られていることに気づいていない。

 窓に掛かっているカーテンは風に揺れている。あちらの窓も開いている証拠だ。


 部屋の中央に置かれたベッドには患者――昏睡状態が続いている青年が横たわっている。

 彼は魔法士だった。凶暴化した狼竜に全身を爪で抉られ片足を落とされ、運ばれてきた時は正直すぐに命を落とすと思っていた。
 私は彼の横に立って『まだ心臓は動いています』と告げたが、あれは遠回しの死の宣告のつもりだったのだ。

 あれから、もう二週間が経過した。


 ――なのに、彼の心臓は止まっていない。


 最初はなぜ彼が生き続けているのか不思議だった。あの怪我、食事も取れない昏睡状態、それだけで死ぬ理由は十分だったからだ。

『手伝ってくれないか?』

『何をですか、先生』

『昏睡状態の彼が生きている理由を知りたいんだ』

 今隣に並んでいる看護士と一緒に、片っ端から文献を調べまくったのは一週間ほど前。
 そして、魔法士は愛する者同士なら魔力を与えることができると知ったのだ。

 通常魔力は回復を助けると言われている。だが、それは自分に限っての話だった。愛し合ったふたりの魔法士の片方に怪我を負わせて、もう片方の魔力が回復の助けとなるかという実験はされたことがない。
 そうでなくとも、魔法士は希少だし、愛し合うなんて口でいうほど容易くない。

 患者には魔法士の婚約者がいた。
 彼女もまた腕に酷い怪我を負っていた。無理をすれば腕を失いかねないほどの。

 ……そんな状態で魔力を与えるはずがない。

 誰だって我が身は惜しい。
 私は行き詰まった。 


 だが、ある日。私と看護士は今のように並んで窓際に立っている時に見たのだ。彼女が目覚めない婚約者に何度も口づけるのを。

 一度目はにこやかに笑いながら。

 ……二度目は何か話しかけながら。

 ………三度目は唇を噛み締めながら。

 …………四度目は嗚咽しながら。


 医学的には何が起こっているか分からない。
 しかし、彼女によって彼は生かされているのだと直感した。いや、それ以外に奇跡の説明がつかなかったのだ。


 だが、それは彼女の回復が遅れることを意味していた。現に彼女の回復は緩やかだ。
 それを知っているからこその、看護士の言葉だった。

「止めないよ、私は」

 そう告げる私を、彼女は責めるような目で見返した。あの日、私が『見たことは黙っていなさい』と彼女に言ったからだろう。
 彼女は誤解しているのだ、私が昏睡状態の彼がいつまで保つか実験していると。

「あの青年が生きているのは、彼女がいるからだ。だが、彼女が生きているのも、彼がいるからだよ」

「でも、魔力を与えているのは彼女の方だけです」

「精神的な支えとなっているんだよ。たぶん、彼が逝ったら、彼女は生きるのをやめてしまう」

「自殺するということでしょうか?」

 看護士は短絡的な言葉を口にする。だが、悪気があってではない。年齢の近い彼女を心配しているのだろう。

「いや、そうじゃない。誰だって半身を奪われたら生きられないだろ? そういうことだ」

 看護士は眉を寄せて、よく分からないという顔をしている。まだ若いので本物の愛に触れたことがないから仕方がない。

 ……いや、年齢は関係ないか。

 かくいう私だって経験はない。けれども、それなりに長く生きていると分かるのだ。口で伝えることは難しいが……。


 また、窓から彼らの姿を目に映す。

 婚約者は涙を零しながら、患者の紫銀の髪を手で梳いている。これほど愛しいものはないというように。

 ふたりの体は痛々しく悲惨な状態。それなのに、美しいと思ってしまう。いや、眩しいといったほうがいいだろうか。


「……先生の言うことが分かった気がします、私」

 看護士は呆けたように呟いた。私と同じように彼女も感じたのだろう。

「先生、私、見てみたいです。ふたりが一緒に笑っている姿を」

「ああ、私もだよ」

 医者だから多くの死を見てきた。正直神なんて信じていない。だが、祈らずにはいられない。


 窓から下を窺えば、今日もまた絶えず誰か――王宮の鴉だったり、騎士だったり、文官だったり、時には赤ん坊連れの女性だったり――が、彼らの病室を見上げている。彼らも祈っているのだ、ふたりが一緒に笑っている姿をまた見たいと。


 これほどの祈りを神が無視できるはずがない。

しおりを挟む
感想 346

あなたにおすすめの小説

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

どうして私にこだわるんですか!?

風見ゆうみ
恋愛
「手柄をたてて君に似合う男になって帰ってくる」そう言って旅立って行った婚約者は三年後、伯爵の爵位をいただくのですが、それと同時に旅先で出会った令嬢との結婚が決まったそうです。 それを知った伯爵令嬢である私、リノア・ブルーミングは悲しい気持ちなんて全くわいてきませんでした。だって、そんな事になるだろうなってわかってましたから! 婚約破棄されて捨てられたという噂が広まり、もう結婚は無理かな、と諦めていたら、なんと辺境伯から結婚の申し出が! その方は冷酷、無口で有名な方。おっとりした私なんて、すぐに捨てられてしまう、そう思ったので、うまーくお断りして田舎でゆっくり過ごそうと思ったら、なぜか結婚のお断りを断られてしまう。 え!? そんな事ってあるんですか? しかもなぜか、元婚約者とその彼女が田舎に引っ越した私を追いかけてきて!? おっとりマイペースなヒロインとヒロインに恋をしている辺境伯とのラブコメです。ざまぁは後半です。 ※独自の世界観ですので、設定はゆるめ、ご都合主義です。

あなたの妻にはなりません

風見ゆうみ
恋愛
幼い頃から大好きだった婚約者のレイズ。 彼が伯爵位を継いだと同時に、わたしと彼は結婚した。 幸せな日々が始まるのだと思っていたのに、夫は仕事で戦場近くの街に行くことになった。 彼が旅立った数日後、わたしの元に届いたのは夫の訃報だった。 悲しみに暮れているわたしに近づいてきたのは、夫の親友のディール様。 彼は夫から自分の身に何かあった時にはわたしのことを頼むと言われていたのだと言う。 あっという間に日にちが過ぎ、ディール様から求婚される。 悩みに悩んだ末に、ディール様と婚約したわたしに、友人と街に出た時にすれ違った男が言った。 「あの男と結婚するのはやめなさい。彼は君の夫の殺害を依頼した男だ」

王子様、あなたの不貞を私は知っております

岡暁舟
恋愛
第一王子アンソニーの婚約者、正妻として名高い公爵令嬢のクレアは、アンソニーが自分のことをそこまで本気に愛していないことを知っている。彼が夢中になっているのは、同じ公爵令嬢だが、自分よりも大部下品なソーニャだった。 「私は知っております。王子様の不貞を……」 場合によっては離縁……様々な危険をはらんでいたが、クレアはなぜか余裕で? 本編終了しました。明日以降、続編を新たに書いていきます。

ただ誰かにとって必要な存在になりたかった

風見ゆうみ
恋愛
19歳になった伯爵令嬢の私、ラノア・ナンルーは同じく伯爵家の当主ビューホ・トライトと結婚した。 その日の夜、ビューホ様はこう言った。 「俺には小さい頃から思い合っている平民のフィナという人がいる。俺とフィナの間に君が入る隙はない。彼女の事は母上も気に入っているんだ。だから君はお飾りの妻だ。特に何もしなくていい。それから、フィナを君の侍女にするから」 家族に疎まれて育った私には、酷い仕打ちを受けるのは当たり前になりすぎていて、どう反応する事が正しいのかわからなかった。 結婚した初日から私は自分が望んでいた様な妻ではなく、お飾りの妻になった。 お飾りの妻でいい。 私を必要としてくれるなら…。 一度はそう思った私だったけれど、とあるきっかけで、公爵令息と知り合う事になり、状況は一変! こんな人に必要とされても意味がないと感じた私は離縁を決意する。 ※「ただ誰かに必要とされたかった」から、タイトルを変更致しました。 ※クズが多いです。 ※史実とは関係なく、設定もゆるい、ご都合主義です。 ※独特の世界観です。 ※中世〜近世ヨーロッパ風で貴族制度はありますが、法律、武器、食べ物など、その他諸々は現代風です。話を進めるにあたり、都合の良い世界観となっています。 ※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。

婚約破棄のその後に

ゆーぞー
恋愛
「ライラ、婚約は破棄させてもらおう」 来月結婚するはずだった婚約者のレナード・アイザックス様に王宮の夜会で言われてしまった。しかもレナード様の隣には侯爵家のご令嬢メリア・リオンヌ様。 「あなた程度の人が彼と結婚できると本気で考えていたの?」 一方的に言われ混乱している最中、王妃様が現れて。 見たことも聞いたこともない人と結婚することになってしまった。

あなたに未練などありません

風見ゆうみ
恋愛
「本当は前から知っていたんだ。君がキャロをいじめていた事」 初恋であり、ずっと思いを寄せていた婚約者からありえない事を言われ、侯爵令嬢であるわたし、アニエス・ロロアルの頭の中は真っ白になった。 わたしの婚約者はクォント国の第2王子ヘイスト殿下、幼馴染で親友のキャロラインは他の友人達と結託して嘘をつき、私から婚約者を奪おうと考えたようだった。 数日後の王家主催のパーティーでヘイスト殿下に婚約破棄されると知った父は激怒し、元々、わたしを憎んでいた事もあり、婚約破棄後はわたしとの縁を切り、わたしを家から追い出すと告げ、それを承認する書面にサインまでさせられてしまう。 そして、予告通り出席したパーティーで婚約破棄を告げられ絶望していたわたしに、その場で求婚してきたのは、ヘイスト殿下の兄であり病弱だという事で有名なジェレミー王太子殿下だった…。 ※史実とは関係なく、設定もゆるい、ご都合主義です。 ※中世ヨーロッパ風で貴族制度はありますが、法律、武器、食べ物などは現代風です。話を進めるにあたり、都合の良い世界観となっています。 ※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。

後悔だけでしたらどうぞご自由に

風見ゆうみ
恋愛
女好きで有名な国王、アバホカ陛下を婚約者に持つ私、リーシャは陛下から隣国の若き公爵の婚約者の女性と関係をもってしまったと聞かされます。 それだけでなく陛下は私に向かって、その公爵の元に嫁にいけと言いはなったのです。 本来ならば、私がやらなくても良い仕事を寝る間も惜しんで頑張ってきたというのにこの仕打ち。 悔しくてしょうがありませんでしたが、陛下から婚約破棄してもらえるというメリットもあり、隣国の公爵に嫁ぐ事になった私でしたが、公爵家の使用人からは温かく迎えられ、公爵閣下も冷酷というのは噂だけ? 帰ってこいという陛下だけでも面倒ですのに、私や兄を捨てた家族までもが絡んできて…。 ※R15は保険です。 ※小説家になろうさんでも公開しています。 ※名前にちょっと遊び心をくわえています。気になる方はお控え下さい。 ※史実とは関係なく、設定もゆるい、ご都合主義です。 ※中世ヨーロッパ風で貴族制度はありますが、法律、武器、食べ物などは現代風、もしくはオリジナルです。話を進めるにあたり、都合の良い世界観となっています。 ※誤字脱字、見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。

処理中です...