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21.5.沈黙という罪〜母視点〜

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 シャロンとの食事を終えてマーコック公爵邸に戻って来たのは半刻前のこと。
 簡易なドレスに着替えていると、手伝っている侍女が心配そうに私――アリソンの顔を窺い見た。

「奥様、ハーブティーをお淹れいたしましょうか? 差し出がましいかと思いますが、お心を落ち着かせたほうがよろしいかと」

 この侍女は私とシャロンの会話を聞いていたから案じているのだ。気持ちは嬉しいけれど、今はひとりになりたい。

「今は要らないわ。ひとりにしてちょうだい」

「畏まりました、奥様」

 侍女が部屋から出ていくと、私は一階に降りて庭へと出てた。屋敷内にいたら私を心配して侍女が様子を見に来ることは分かっていたから。


「シャロン……」

 愛おしい我が子の名を紡ぐと、涙が頬を伝っていく。

 こんなはずではなかったのに……。


 一年前シャロンがこの家に戻ってきた時は本当に嬉しかった。これで、すべてが元に戻るのだと信じて疑わなかった。
 なのに、日が経つにつれ、私の罪悪感は消えるどころか増していった。

 
 平民として育ったシャロンは、貴族にとって当たり前のことを身に付けていなかった。
 私は最初気にしなかった。時間が解決すると思っていたから。現にあの子は礼儀作法も教養もちゃんと身につけた。

 でも、ほんの少し足りない時もある。

 その時、夫は悲しい目をするのだ。周囲の者も可哀想にという目をするのだ。

 ――『誘拐さえされなかったら、この子は苦労などしなかったのに』と、責められている気がした。


 いいえ、誰も私を責めていないのかもしれない。でも、罪悪感からそう思ってしまうのだ。


 私の罪は、乳母を付けなかったことではない。
 シャロンがいなくなったあの時、友人ではなく昔の恋人と会っていたことだ。

 彼は庭師の息子で私の幼馴染みでもあった。清い関係のまま終わり、嫁いだあとは連絡も取っていなかった。

 そんな彼が隣国に行くと教えてくれたのは、嫁ぐ時に付いてきた侍女――私の乳姉妹だった。彼女もまた彼と幼馴染みだったから。

『アリソン様、ジャックが隣国へ行くそうです。もうこの国には戻ってこないと言ってました』
『いつ出発するの?』
『三日後です。挨拶したいと言っていますが、お会いになりますか?』

 私は頷いてしまった。懐かしいと思ったから。

 あの日、彼は侍女の手引で裏口から入り、挨拶を済ませるとすぐに出ていった。もし、誰かに見つかったら侍女幼馴染みに会いに来たと誤魔化すつもりだったけど、幸いにも誰にも見つかずに済んだ。

 本当に十五分ほどだったのだ。なのに、シャロンはその間に消えてしまった。


 私は半狂乱になって叫んだ。

『シャロンがいないのっ、いなくなってしまったの……』

『アリソン様、もうすぐご友人がいらっしゃいます。十五分でいいですから会って話をしてください』

『何言ってるの、無理よ。そんなことより、シャロンを――』

 こんな時に何を言っているのだと思った。彼女の手を振りほどこうとした、その時。

『今、大事にしたらアリソン様はただでは済みません! たった十五分です。シャロン様は絶対に見つかります。でも今騒いだら、見つかったシャロン様ともノア様とも一緒に暮らせなくなります、確実に。だって、昔の恋人に会っていたのがバレてしまいますから』

 すべてを丸く納めたい、何も失いたくないと思ってしまった。あの時は、『公爵家の力を使えばすぐに見つかる』という侍女の言葉を信じてしまったのだ。

 だから、ジャックと会っていた時間は、部屋で侍女と一緒にシャロンをあやしていたと嘘をついた。他の友人と会っていた時にいなくなったと。

 ……なのに、シャロンは見つからなかった。

 私はもしかしたらと、ジャックを秘密裏に調べた。けれども、彼は誘拐には関わっていなかった。

 沈黙という罪を分かち合った乳姉妹は自ら命を絶った。詫びというより楽になりたかったのだろう。

 

 ――秘密は隠し通せたけど、その代償は大きすぎた。




 そして月日が経ち、あの子が私のところに帰って来てくれた。

 私はあの子を心から愛している。だけど、あの子は私に罪を忘れさせてくれない、愚かな母を赦してくれない。

 どうすればいいのだろうか。
 どうすれば私は赦されるのか。
 どうすれば背負った罪から解放されるのか……。

 もう私は十分苦しんだのにこれ以上どうしろと言うのですか、神よ。


 重すぎる十字架をおろしたい。そうしないと、あの子が戻ってきたから、こんなに苦しいのだと結びつけてしまいそうになる。いいえ、実際に結びつけて『今更……』と口にしたこともあった。シャロンはなにも悪くないのに。


「はぁ……」

「お母様、溜息なんて駄目ですわ。幸せが逃げてしまいますから」

「シャロン、帰って来ていたのね」

 血が繋がっていないシャロンが、立ち止まっていた私に抱きついてくる。

 彼女を見ていると、私は救われる。

 シャロンは貧乏な男爵家から引き取った子供。我が家の養女にならなかったら、今の彼女はいない。
 礼儀作法も教養も完璧な淑女。友人の中には王女だっている。

 誰から見ても幸せな子でいられるのは、私の過ちという過去があったから。

 ――本物じゃないシャロンは私の贖罪。


「お母様、お姉様とのお食事はいかがでしたか?」

「……あの子は私を赦せないみたいなの」

「大丈夫ですわ。時間が解決してくれます。……きっと、神様がお母様の憂いを晴らしてくださいますわ。どんな手を使っても」

 シャロンは何も知らないはずなのに、私の欲しい言葉を贈ってくれる。血が繋がっていないのに、この子は私を愛してくれているのだ。

 なのに、私は血が繋がっているシャロンのほうが愛おしい。この気持ちが本物のシャロンにいつか伝わることを願ってやまない。

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