上 下
18 / 60

18.俯かない 

しおりを挟む
 何者かに誘拐されて必死の捜索にもかかわらず見つからなかった、その事実しか私は知らない。
 あまりの衝撃に、緩々と横に首を動かすのが精一杯だった。

「侍女達のお喋りを偶然耳にしたのでしょ? いいのよ、それは誰なんて尋ねないわ。いつかは知ったでしょうから。シャロン、あなたも私が赦せないのね」

「お母様の口から聞かせていただけますか……」

 どうとでも受け取れる曖昧な言葉でお願いする。
 そもそも何も知らないのだから、赦すも赦せないもない。だから、まず真実を知りたかった。

 母は私から目を逸らすように、何もない空間に目を向ける。

「十七年前、赤ん坊だったあなたはすやすやとお昼寝していたの。一度寝ると一時間は起きない子だったから、私はあなたを部屋に残して、訪ねてきた友人とお喋りをしていた。ほんの短い時間だったのに、様子を見に行くとベビーベッドからあなたの姿は消えていたの……。なぜ目を離したと、あなたのお父様は私を責めたわ」

 寝ている赤ん坊をひとりにするのはおかしいことではない。それに母親だって息抜きはする。
 身構えていたけど、母が語る事実に肩の力が抜けた。

「お母様のせいではありません。お父様はやり場のない怒りを向けてしまっただけだと思います」

「違うのよ、私が招いた結果なの」

 母はそう言うと自分の過ちを語った。

 貴族は普通、乳母に子供の養育を任せる。しかし、母は自分のお乳で子供を育てることを望んだ。高位貴族にとってそれは大変珍しいことで、父は難色を示したという。

『あなた、お願いですわ。この手で我が子を慈しみたいのです。もし無理だったら、その時には乳母を雇いますから』

 母の懇願を父は渋々受け入れ、兄も私も母のお乳で育てられた。そして、兄は何ごともなかったが、不幸なことに私は攫われてしまった。


 貴族にとって乳母をつけることは当たり前だからこそ、父は母を、母は自分を責めたのだろう。でも、私は母を責める気持ちは湧いてこない。責められるべきは、私を攫った誰かだと思うから。


「公爵邸には人目が多くあります。そんななか行われた犯行です。仮に乳母がいたとしても、結果は変わらなかったかもしれません。誰だって憚りには行きますから、そういう時は目を離していたでしょう」

 思ったままを素直に伝えた。

 私が公爵邸を出たのは、母の本音を聞いたからとは言わない。それを口にする時は家族を捨てる覚悟が必要だ。それがないから、距離を置くことを選んだ……。


「では、赦してくれるの?」

「赦すも赦さないも、私は恨んでいません」

 母は安堵の息を吐いてから、口元に手を当てて目元を潤ませる。

「そうね、そうよね。あなたは血が繋がった私の娘ですもの。どんなことがあっても、母である私を嫌ったりはしないわよね。そうだわ、少しだけお買い物に付き合って欲しいの。いいでしょ?」

 母は私の返事を待たずに、嬉しそうに席を立った。慌てて私も席を立ち、母のあとに続いてお店を出る。 

 なんだろう、何気ない母の言葉――母である私を嫌ったりしない――が引っ掛かった。
 私は母を嫌ってはいない。では、母は何があろうとも私を嫌わないのだろうか……。

 そんなことを考えながら歩いていると、見覚えのある豪華な馬車が目に映る。マーコック公爵家のものだ。あるじのためにすでに扉は開けられていた。

「お帰りなさいませ、奥様、シャロン様」

「公爵邸に戻らずに、いつものお店に行ってちょうだい」

 恭しく出迎えた侍女は「畏まりました」と告げてから御者にその旨を伝えに行く。大丈夫だと思うけど、念のために私は馬車に乗る前に釘を刺すことにする。

「お母様、狩猟用のドレスは買わないでくださいね」

「分かっているわ。残念だけど約束は守るから心配しないで、シャロン。でもね、普段着は贈らせてちょうだい。それではあまりに可哀想ですもの」

「えっ……」

 向けられた憐れみの眼差しに、私はぎゅっと両手を強く握りしめて俯いた。


 私は昨夜、何度も鏡の前に立って、今日、着る服を決めた。いつも高い位置で無造作にまとめている髪だって、おろして髪飾りを挿している。母に恥をかかせないように、頑張ってお洒落したつもりだった。自分の給金で買った服だから高級なものではないけど。

 老魔法士は『おめかしして』と目を細めた。
 ルークライは『似合っている、可愛い』と褒めてくれた。私だってなかなか良いと、今の今まで思っていた。


 ……なのに。お母様から見たら私はみっともないのですね……。


 母に悪気はないのは分かっている。でも、何度目だろうか、何気ない母の言動に傷ついたのは。何も言えずに俯いていると、その時。

「カァッ、カァー」

 鳴き声に顔を上げると、一羽の鴉が近くの木にとまった。足が一本しかないから白だ。自由気ままに散歩でもしているのだろう。白の来訪は、私に本来の自分を取り戻すきっかけをくれた。


  俯くな、しっかり前を見ろ!

――王宮の鴉は決して鳴かない泣かない


 白は鳴くことなくじっとしている。ルークライにしか懐かないのに、まるで私を応援してくれているようだ。

 ありがとうね、白。もう大丈夫だから、二度と自分を見失わない。


 私は母をまっすぐに見つめ返し、憐れみの眼差しと向き合う。

「私は可哀想ではありませんから、服は要りません。ですから、今日はここでお別れします。それから、もし良かったら私のことは、これからリディアと呼んでください。通称ですが、しっくりくるので」

「あなたはシャロンよ! リディアではないわ」

「戸籍ではそうです。ですが、お母様は可哀想なことがお嫌いですよね?」

 母は意味が分からないと、訝しげな顔を向けてくる。私は毅然と続けた。

「ふたりのシャロンがいるのは、慣れ親しんだ名前を変えるなんて義妹が可哀想と、お母様がおっしゃったからです。私もそう思います」

 母はハッと目を見開く。私が言わんとすることが分かったのだろう。

「でも、それとこれは――」

「私は同じだと思います、お母様」

 揚げ足を取るような嫌な言い方。でも、こうでも言わないと母には通じない。私が私らしくいられるのは、リディアのとき。そこを譲ってはいけないと思ったから一歩も引かなかった。

「……。やはり、私が赦せないのね」

 違います、と私は言わなかった。もうそれについては十分に言葉を尽くしたから。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

わたしの婚約者の好きな人

風見ゆうみ
恋愛
わたし、アザレア・ミノン伯爵令嬢には、2つ年上のビトイ・ノーマン伯爵令息という婚約者がいる。 彼は、昔からわたしのお姉様が好きだった。 お姉様が既婚者になった今でも…。 そんなある日、仕事の出張先で義兄が事故にあい、その地で入院する為、邸にしばらく帰れなくなってしまった。 その間、実家に帰ってきたお姉様を目当てに、ビトイはやって来た。 拒んでいるふりをしながらも、まんざらでもない、お姉様。 そして、わたしは見たくもないものを見てしまう―― ※史実とは関係なく、設定もゆるく、ご都合主義です。ご了承ください。

次代の希望 愛されなかった王太子妃の愛

Rj
恋愛
王子様と出会い結婚したグレイス侯爵令嬢はおとぎ話のように「幸せにくらしましたとさ」という結末を迎えられなかった。愛し合っていると思っていたアーサー王太子から結婚式の二日前に愛していないといわれ、表向きは仲睦まじい王太子夫妻だったがアーサーにはグレイス以外に愛する人がいた。次代の希望とよばれた王太子妃の物語。 全十二話。(全十一話で投稿したものに一話加えました。2/6変更)

誰が彼女を殺したか

みおな
恋愛
王太子の恋人、男爵令嬢が死んだ。 王太子は犯人を婚約者の公爵令嬢だと言い、公爵令嬢は男爵令嬢が親しくしていた王太子の側近たちではないかと言う。 側近たちは王太子の他の浮気相手ではないかと言い、令嬢の両親は娘は暴漢に殺されたのだと言った。 誰が彼女を殺したのか?

(完)妹の子供を養女にしたら・・・・・・

青空一夏
恋愛
私はダーシー・オークリー女伯爵。愛する夫との間に子供はいない。なんとかできるように努力はしてきたがどうやら私の身体に原因があるようだった。 「養女を迎えようと思うわ・・・・・・」 私の言葉に夫は私の妹のアイリスのお腹の子どもがいいと言う。私達はその産まれてきた子供を養女に迎えたが・・・・・・ 異世界中世ヨーロッパ風のゆるふわ設定。ざまぁ。魔獣がいる世界。

【完結】婚約者は私を大切にしてくれるけれど、好きでは無かったみたい。

まりぃべる
恋愛
伯爵家の娘、クラーラ。彼女の婚約者は、いつも優しくエスコートしてくれる。そして蕩けるような甘い言葉をくれる。 少しだけ疑問に思う部分もあるけれど、彼が不器用なだけなのだと思っていた。 そんな甘い言葉に騙されて、きっと幸せな結婚生活が送れると思ったのに、それは偽りだった……。 そんな人と結婚生活を送りたくないと両親に相談すると、それに向けて動いてくれる。 人生を変える人にも出会い、学院生活を送りながら新しい一歩を踏み出していくお話。 ☆※感想頂いたからからのご指摘により、この一文を追加します。 王道(?)の、世間にありふれたお話とは多分一味違います。 王道のお話がいい方は、引っ掛かるご様子ですので、申し訳ありませんが引き返して下さいませ。 ☆現実にも似たような名前、言い回し、言葉、表現などがあると思いますが、作者の世界観の為、現実世界とは少し異なります。 作者の、緩い世界観だと思って頂けると幸いです。 ☆以前投稿した作品の中に出てくる子がチラッと出てきます。分かる人は少ないと思いますが、万が一分かって下さった方がいましたら嬉しいです。(全く物語には響きませんので、読んでいなくても全く問題ありません。) ☆完結してますので、随時更新していきます。番外編も含めて全35話です。 ★感想いただきまして、さすがにちょっと可哀想かなと最後の35話、文を少し付けたしました。私めの表現の力不足でした…それでも読んで下さいまして嬉しいです。

まさか、こんな事になるとは思ってもいなかった

あとさん♪
恋愛
 学園の卒業記念パーティでその断罪は行われた。  王孫殿下自ら婚約者を断罪し、婚約者である公爵令嬢は地下牢へ移されて——  だがその断罪は国王陛下にとって寝耳に水の出来事だった。彼は怒り、孫である王孫を改めて断罪する。関係者を集めた中で。  誰もが思った。『まさか、こんな事になるなんて』と。  この事件をきっかけに歴史は動いた。  無血革命が起こり、国名が変わった。  平和な時代になり、ひとりの女性が70年前の真実に近づく。 ※R15は保険。 ※設定はゆるんゆるん。 ※異世界のなんちゃってだとお心にお留め置き下さいませm(_ _)m ※本編はオマケ込みで全24話 ※番外編『フォーサイス公爵の走馬灯』(全5話) ※『ジョン、という人』(全1話) ※『乙女ゲーム“この恋をアナタと”の真実』(全2話) ※↑蛇足回2021,6,23加筆修正 ※外伝『真か偽か』(全1話) ※小説家になろうにも投稿しております。

政略結婚のハズが門前払いをされまして

紫月 由良
恋愛
伯爵令嬢のキャスリンは政略結婚のために隣国であるガスティエン王国に赴いた。しかしお相手の家に到着すると使用人から門前払いを食らわされた。母国であるレイエ王国は小国で、大人と子供くらい国力の差があるとはいえ、ガスティエン王国から請われて着たのにあんまりではないかと思う。 同行した外交官であるダルトリー侯爵は「この国で1年間だけ我慢してくれ」と言われるが……。 ※小説家になろうでも公開しています。

妹と婚約者の逢瀬を見てから一週間経ちました

編端みどり
恋愛
男爵令嬢のエリザベスは、1週間後に結婚する。 結婚前の最後の婚約者との語らいは、あまりうまくいかなかった。不安を抱えつつも、なんとかうまくやろうと婚約者に贈り物をしようとしたエリザベスが見たのは、廊下で口付をする婚約者と妹だった。 妹は両親に甘やかされ、なんでも姉のものを奪いたがる。婚約者も、妹に甘い言葉を囁いていた。 あんな男と結婚するものか! 散々泣いて、なんとか結婚を回避しようとするエリザベスに、弟、婚約者の母、友人は味方した。 そして、エリザベスを愛する男はチャンスをものにしようと動き出した。

処理中です...