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番外編

夫婦というもの⑫

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「煮るなり焼くなり好きにしろ」

どっかと座り込んだブライアンに、ウィリアムは眉をひそめた。
売られた喧嘩を買ったのは事実だが、だからといって生殺与奪の権を握ったつもりはない。冗談であっても迷惑だ。勝手な言い草に反論しようと口を開いたとき、派手な音を立てて演習場の扉が開いた。

「お待ちください!」

髪を乱して駆け付けたのはグレンダだ。見れば扉の隅から、第三の見習い団員たちが数人顔を覗かせている。

「も、申し訳ありません。兄が大変無礼な真似を働いたと、つい先ほど耳に」
「何をしにきた。ここはお前の来るところではない。早々に立ち去れ」

冷ややかに応じるブライアンの言葉に、グレンダがキッと向き直った。

「お兄さま。いくら何でも酷すぎます。誰にも知られないよう試合うなど、許されることではありません」
「鍛錬の一環だ」
「鍛錬?このように秘密裏な?そんな陳腐な言い訳が通るとお思いですか。しかも」

開いた手で地面に刺さった剣を指し示す。

「真剣で行う鍛錬など聞いたこともありません!こんな……傷ついて、血を流して………」

傷ついた兄とウィリアムを見て言葉を詰まらせた。

「お兄さまの個人的な感情を、私がどうこうすることはできません。しかし、一歩間違えば命を失う可能性だってあったのです。それは、第一と第五の団員たちやウィルソン将軍、ひいては団長職を任じた陛下を裏切る行為だということが、なぜお分かりにならないのですか!」

いつもの遠慮がちな態度が嘘のような激しさでブライアンを非難したのち、ウィリアムに向かってひざまずいた。

「キングズレー団長。この度の兄の行いについては誠に申し訳ございませんでした。失礼は幾重にもお詫び申し上げますので、どうかご寛恕いただけないでしょうか」

うなだれるグレンダに対し、立ち上がったブライアンは突き放す口調で言った。

「俺のことでお前が頭を下げたとて何の謝罪にもならん。女だてらに騎士の真似事などやめろと、何度言えば分かる」
「お兄さまが私のことをどう思っていらっしゃるか、それはよく理解しています。しかし、今回の件はあまりにも…………あまりにも酷すぎる。お母さまのことと、魔力を持つ人々を虐げ蔑む行為は全く別のものです。あなたのしていることは八つ当たりでしかありません」
「何だと!」

気色ばんだブライアンがグレンダの腕を掴んで立たせると、両肩を持って揺さぶった。

「お前に何が分かる!あの日、母上がどんな目に遭ったか知りもしないくせに、利いた風な口をきくな!」
「分かります、分かっています!だからこそ言うのです。お兄さま、あなたがあれからどんなに苦しんだか私が知らないと、本当にお思いですか」

グレンダの瞳が潤む。

「お兄さまが毎晩悪夢にうなされながら口にした、お母さまの最期の姿を…………。たった一人でそれに耐え、立ち向かおうとするあなたは私の誇りです。でも、その辛さを魔力を持つ人に向けるのは間違っている!」

悲鳴にも似た叫びだった。

「原因は魔力ではないと、本当は分かっているはずです。治安は良くなり、あんなことは二度と起きない。もしお母さまがここに居たら、きっと……私のことを、魔力の使い方を学び役立てようとする子どもたちを導くと決めた私のことを、応援してくださいます。…………たとえ、お母さまの死の原因を作ったのが、私だったとしても」
「グレンダ!」

ブライアンがサッと顔色を変えた。グレンダはウィリアムに向き直り懸命に訴える。

「本当のことです。あの日、保養地を訪れてはしゃぎ過ぎた私は熱を出して寝込んでいました。そして砂糖菓子を……侯爵家いえでは食べられない、市場で売られているお菓子を食べたいと我儘を言った。父は仕事で遅れてくることになっていて、母が兄と一緒に私の願いを叶えるために市場へ」

必死で涙を堪えるグレンダが、顔を歪ませながら浅く息を継いだ。

「私が、あんなことを言いさえしなければ、母は死ななかった。兄も、こんな風に……魔力を持つ人々を目の敵にすることもなかったでしょう。キングズレー団長。今回の兄の無礼な行動も、元をただせば全ては私のせいなのです」

パンッと高い音とともにグレンダがよろけて地面に倒れこむ。妹の頬を打ったブライアンが怒鳴った。

「二度とそのことを口にするな!お前のせいなどではない!」
「いいえ、言わせてもらいます。お兄さま、あなたはお母さまの死の原因は、護れなかった自分にあると考え自責の念に苦しんできた。でもそれは見当違いです。悪いのは私であってあなたでは」
「まだ言うか!」
「やめろ!」

一歩踏み出したブライアンの前へ立ちはだかった、茶色の団服。グレンダを守るように両手を広げているのはウォルターズだった。

「そんなことしちゃダメだ」
「どけ、小童!お前には関係のないことだ」
「関係ならある!」

拳を握りしめて声を張り上げる。厳格さと貴族然とした態度で第三の見習い騎士たちから恐れられるブライアンだ。恐怖を押し殺しているのか、肩が強張っているのが見て取れる。

「グレンダ様は第三騎士団の団員だ。関係ないなんて言わせない。それに……」

少しの躊躇ためらいのあと、かすれた声で付け加えた。

「いつ誰が、どんな風に死ぬかなんて誰にも分からない。だから今、生きているうちに、伝えたいことをちゃんと言葉で伝えなきゃ。言い争って相手を従わせるんじゃなくて、ちゃんと、分かりあえるように」

ウォルターズの実感のこもった言葉に、虚を突かれたのか二人とも黙り込んだ。

「だから叩いたりしちゃダメなんだ。もっと話し合って」
「ウォルターズ、それ以上は言わなくていい」
「キングズレー騎士団長様……」

ウィリアムの呼びかけに、我に返ったウォルターズが驚いた顔を見せた後、強張っていた体の力をフッと抜いた。その頭に片手を置いたウィリアムは、言い聞かせる口調で続ける。

「後は家族の問題だ。だが、お前の言いたいことはきちんと伝わっただろう。…………マッコーデル第五騎士団長」

グレンダをチラリと見てから兄の方へ告げた。

「今日の交流試合は、互いに良い鍛錬となった」

短いが重い言葉だ。傷を負ったことはもちろん、今後どのようなことが起こっても――たとえ真剣を使用した試合が上層部に問題視されたとしても――責任は双方にあると示唆している。同時に、ブライアンとの闘いに第三者が口を出す必要はないことを知らしめた。それはこの場にいる全ての者に伝わったようだ。現にグレンダは口を噤み、二階の団員たちが一様に安堵の表情を浮かべていることからも分かる。

「オスカー」
「はい、ただいま」

答えてオスカーが二階から姿を消した。剣を受け取るために駆け下りてくるのを待たず出口へ向かったウィリアムが、何かに気付いたように足を止める。後ろには、グレンダを助け起こそうとするウォルターズと、それを見ているブライアンがいた。

もしこれが今日でなければ違ったかもしれない。母の死と、その原因となったものへの深い思索が彼の傷を抉ってさえいなければ。
ある種の浄化はあった。しかしそれすら生々しく、まだとても過去の事として葬り去れる状態にはなっていなかったのだ。

魔力のうねりを感じたウィリアムが勢いよく振り返る。眼前にはグレンダの手を引くウォルターズの後ろで、どこか茫然とし虚ろな目をしているブライアンの姿があった。

ブライアンの目に映っているのはグレンダではなかった。二十年前、市場で殺された母が――突き飛ばされた後、子どもを前にして笑顔で話しかけようとしていた母が――グレンダとウォルターズの姿に二重写しとなってそこにいた。あの無残な死。護りたくても護れなかった母がそこに――。

「うわぁぁぁぁーー!」
「ッよせ!!!」

爆発的な魔力の出現に、ウィリアムは二人の前に防御を張ろうと手を伸ばした。誤算は右手の腕輪だ。咄嗟とっさのこととはいえ未だ封じられたままの魔力は現れず、ウィリアムの叫びに反応し視線を向けたブライアンの力をもろに喰らった。

――風か!

妹のグレンダと同じ風使い。巨大な拳に殴られたようにウィリアムの体は宙を舞い、勢いよく演習場の壁に叩きつけられる。

「団長!」
「キングズレー団長!」

口々に呼ばれ、大丈夫だと返事をしようとするが口を開くこともできない。薄れゆく意識の中で、ウィリアムが考えたことはただ一つ。レオノアに心配をかけてしまう。それだけだった。
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