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12. カミナリは苦手なのです

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「姫さま、少しはじっとしてくださいませ。そのようにいじられては髪が崩れてしまいます」

ハッとした。ウィリアムから贈られた髪飾りを初めてつけたことが嬉しくて、つい触ってしまう。

「そ、そうね。気を付けるわ」
「先ほどもそう仰いましたよ」

笑いながら言われ、思わず頬を膨らませた。

「だって……。ねえ、本当に変じゃない?髪を上げたほうが良かったんじゃないかしら」
「いいえ。ドレスにもよくお似合いです。きっとウィリアム様も喜んでくださいますよ」

今日の私は両サイドを編み後ろでまとめた髪に、淡いグリーン地に青い小花模様のドレスを着ている。
そして髪には、ウィリアムからもらった青い花の髪飾り。

青い花。ウィリアムの瞳の色。

ぽっと頬が上気するのが分かる。エミリーがそれを見てまた笑った。もう。エミリーったらさっきから笑ってばっかり。

「でも、ちょっと子どもっぽくないかしら。ドレスも。……やっぱりあの深い赤のほうが」
「いいえ。何度も申し上げましたでしょう。明日の晩餐会では思い切り大人びた姫さまをお見せするのです。今日はお可愛らしいところをお見せしておいて、そのギャップでウィリアム様をますます虜にしてしまいましょうと」
「そうですわ姫さま!騎士団長様から贈られたあのドレスを纏った姫さまときたら……まるで夢の中にいるようでしたもの。今日のお可愛らしいお姿からは想像もつきませんわ」

ソフィーにまでそう言われてしまえば黙るしかない。それでも落ち着かずにそわそわと髪を触っては、咎めるエミリーの視線に手を下した。

王宮内の応接室の一つに私たちはいた。舞踏会や晩餐会など、公式行事の際の控えの間として使われる部屋だ。
本当はコンサバトリーでウィリアムを迎えられたら良かったのだけれど、この突然の大雨では断念するしかなかった。ましてや遠くで空がゴロゴロ音を立てていたし……。

「ここなら窓もございませんし、雷が鳴っても余程のことがない限り聞こえませんから。ご安心くださいね」

ソフィーが言うのを聞きたくなくて耳を押さえる。

「いやっ。怖くなっちゃうからもう言わないで!」
「ソフィー!姫さまがお嫌いだと分かっていることをわざわざ口にしなくても」
「も、申し訳ございません!つい」
「…………」
「姫さま、もう大丈夫ですよ。さ、お手を下しましょう。……ああ、少し乱れてしまいましたね。ソフィー、手鏡と櫛をお願い」
「はい、ただいま!」

櫛で手早く髪を直すエミリーを手鏡越しに見つめる。また余計な手間をかけさせてしまった。

「さ、これで元通りです」
「…………ありがとうエミリー」

そう。私は雷が大の苦手だ。これは本当に小さい頃からのことで、あの音が聞こえると大泣きして手に負えなかったらしい。一度、雷が鳴り始めたときにお母さまの部屋のクローゼットの奥に隠れ、私が居なくなったと城中大騒ぎになったことがある。

あの時はお母さまの匂いのする奥まった小さな部屋で、心底安心していられた。安心しすぎてぐっすり眠ってしまったために発見が遅れ、見つかったときには髪を振り乱したお母さまに抱きしめられたあと、散々叱られたけれど。

確かにこの部屋なら、あの嫌な音は聞こえない。安心していたところでココン、と軽いノックの音が響き、間を置かず扉が開いた。

「レオノア」
「エド兄さま!」

嬉しくなって駆け寄った。最近、お父さまとエドワードお兄さまは仕事がとても忙しい。いつも一緒に摂っていた食事もバラバラで、お母様と二人きりの食事が寂しくて残すことが増えてしまっていた。

つい先日まで敵国だった国を治めるには、現状把握のための膨大な量の情報収集が不可欠だ。そのうえで決定権を持つ者が直接判断を下し、その国の状況に合う取り決めを行う必要がある。

戦勝国のルールをそのまま持ち込んでも上手くいかないからね、とはお父さまの言葉だ。頑張って、としか言えない自分が歯がゆいが、だからといってすぐに何かできるようになる訳でもない。
お前の役目は晩餐会で、ウィリアムのパートナーとして振る舞うことだよ、と優しく言われ、気持ちを切り替えて準備を進めていたところだった。

「どうなさったの?お忙しかったんでしょう?」
「ああ、いや、ほらあの……ゴロゴロいうのが。レオノアが怖がってるんじゃないかと思って、様子を見に来ただけなんだ。……大丈夫だった?」
「…………ありがとうにいさま。大丈夫だったらいいなと思っていたところなの」
「ふは。そうか。まあこの部屋なら大丈夫だろう。何かあったら僕は執務室に居るから。いつでもおいで」

髪を撫でながら優しく言うエドワードお兄さまの様子に、少し驚いて思わず手を伸ばした。

「エド兄さま……痩せた?」

頬に手を当てる。何だかやつれてしまったようだ。目の下が僅かに黒ずんでいる。

「お疲れなんでしょう?……ごめんなさい。私のことまで心配させてしまって」
「……レオノアの心配をするのは僕の喜びだよ。取り上げないでくれ」

私の手の上に重ねるようにして自分の手を当てたエドワードお兄さまは、目を閉じると少し笑った。

「……夜中にあのゴロゴロ…って音がすると、レオノアはいつも僕のベッドに潜り込んできたよね。必死で僕にしがみついて……」

ふふ、と声を出して笑う。

「くすんくすん鼻をすすって……。泣き虫だな、ってからかうと、泣いてないって言い張って。腕枕をして、こうやって髪を撫でてやったらようやく眠って。腕がしびれるからって頭を下ろすと、また目を覚まして泣くんだ。仕方なくしびれるのも我慢して寝かせてやったのに、熟睡したとたん僕を蹴飛ばしてさ。まったく、お前の寝相の悪さといったら!」
「もう!エド兄さま!」

事実だから否定もできず、顔を赤くするしかない。エミリーやソフィーまでクスクス笑っている。それなのにお兄さまったら!

「ぐっすり眠って元気いっぱいのお前に比べ、全然眠れなかった僕はもうフラフラで。授業中に眠らずにいるのが大変だった。そのことで文句を言うと『わたし、寝相わるくなんかないわ。だって朝おきたらいつもまっすぐにしてるもの』って!上掛けを蹴飛ばすお前のために、側仕えが夜中に何度部屋に入っていたことか。それも知らずに」
「お兄さま!もうダメ!」

とうとう私は叫んだ。

「いやだ、そんな昔のこと。早く忘れて!いじわるなエド兄さま」

まだ目を閉じたままのエドワードお兄さまの頬から手を引き抜こうとしたら、反対にグッと強く押さえられた。

「忘れないよ。絶対に忘れない。…………僕のかわいいレオノア」

忘れてちょうだい、ともう一度言おうとして口を噤んだ。開かれたエドワードお兄さまの瞳に、涙の膜が張っているように見えたからだ。
やっぱり疲れているのではないだろうか。今度こそ心配になる。

「エド兄さま、やっぱりお疲れなんでしょう。少しお休みされたら?私、お部屋までご一緒するわ」
「いや、大丈夫だ。……そろそろ戻らないと」

もう一度目を閉じたエドワードお兄さまは、私の手に顔をこすりつけた後、手のひらへそっとキスをした。

「…………私が本当の、神話の王女さまだったらよかったのに」
「!何を言うんだ!レオノア、お前は今のままでいい!」
「だってお兄さま。だってこんなに……こんなにやつれて……。それなのに私、何もできないの……」

だんだん声が小さくなる。こんなエドワードお兄さまを見るのは初めてで、見ているだけで辛かった。俯く私をエドワードお兄さまが強く抱きしめた。

「ごめんレオノア……!違うんだ。大丈夫、僕が悪かった。何でもないよ。ちょっと忙しすぎて食事がいい加減だったんだ。ちゃんとするからすぐに元気になる。だから心配しないで」

腕が少し緩んだから、隙間から見上げてみた。ニコリと笑んだお兄さまの目元にはまだ疲れが見えたけれど、食事をきちんと摂ってくれるならと言葉を飲み込んだ。

「……きっとよ?睡眠もね」
「分かってる。…………実は明日の朝、ギルニアに発つことになった。しばらく留守にするけど、ちゃんと寝て食事もするから心配しなくていいよ」
「えぇっ!せっかくフィル兄さまが戻られるのに」
「ああ。だから……明日の晩餐会には出席できない」
「……晩餐会よりもエド兄さまの体のほうが心配だわ」
「嬉しいことを言ってくれるね。レオノアの方こそ、僕がいない間にあのゴロゴロしたのが鳴っても泣くんじゃないよ」

エドワードお兄さまは指先で私の鼻をキュッとつまむと、腕をほどいて扉へと向かった。見送るために追いかけた私は、後ろ姿のお兄さまにもう一度念を押した。

「エド兄さま、約束ね?」

開きかけた扉をチラリと見ながら、エドワードお兄さまは頷いた。

「ああ、分かってる。……レオノア、キスを」

明日の朝の出発であれば、見送りはできるだろうか。出発時間を後で確認しようと思いながら、エドワードお兄さまの腕に手をかけ、背伸びをして頬にキスをした。

「ありがとう。僕のお姫さま」

いたずらっ子みたいな顔でお兄さまが笑った。子どもの頃の呼びかけに私も思わず笑って応える。

「どういたしまして、私の王子さま」
「このうえは夕食もご一緒する栄誉をお与えください」
「喜んで。エスコートしてくださるの?」
「もちろんでございます姫。部屋までお迎えに上がります。そのころにはあのゴロゴロいうけしからん奴も姿を消していることでしょう」
「もう!兄さまったらそればっかり!」

二人で笑いながら開いた扉の前には、無表情のウィリアムと、その後ろで手を上げたり下げたりしているオスカーが立っていた。


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