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普通であることの難しさ

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普通であることの難しさ

朝の光が薄いカーテン越しに部屋を照らし出す。私は目を覚まし、時計を見ると、すでに8時を過ぎていることに気づく。「またやってしまった……」と、ため息をつく。今日もまた、いつものように始まりから遅れてしまった。朝のルーチンは決まっているはずなのに、何度試してもその通りに進まないのだ。

鏡の前に立ち、寝癖を直しながら、自分の顔を見つめる。目の下のクマがいつもよりひどく、昨夜の寝不足が表れている。私には、どうしても普通の生活ができない。仕事に遅刻することはしょっちゅうで、家事もまともにこなせない。友達と約束しても、忘れるか、予定が重なってしまう。スマホのリマインダーは常に鳴りっぱなしで、メモ帳にはびっしりとタスクが書かれている。でも、それらを片付けることはできず、ただ日々が流れていく。

「なんでこんなに簡単なことができないんだろう?」

自分を責める気持ちは毎日のように押し寄せる。注意欠如多動性障害(ADHD)だと診断されたのは数年前。それでも、薬を飲みながらも普通の生活を送ろうと努力しているつもりだった。だが、現実は甘くない。職場では細かいミスを繰り返し、上司からの信頼も失いかけている。家庭でも、簡単な家事ですら途中で気が散り、手をつけたまま放置してしまうことが多い。洗濯物は干しっぱなし、食器は洗いっぱなし。いつもどこかでつまづいている自分がいる。

通勤電車に乗ると、周りの人たちはみんな同じような服装をし、同じようにスマホを見つめている。誰もが規則正しいリズムで日常をこなしているように見える。「普通って、こんなにも難しいものなのか」と、心の中でつぶやく。私はいつもこの波に乗り遅れているような気がしてならない。目的の駅に着いて改札を通ると、またいつものように時間ギリギリでオフィスに駆け込む。周りの目線が痛いが、そんなことに構っていられない。とにかく席に着いて、今日もまた遅れを取り戻すために急ぎ足で仕事を始める。

パソコンの画面には未読のメールが山のように積まれている。返信しなければならないもの、対応を急がなければならないもの、それらが混在していてどこから手をつければいいのか分からない。頭の中は混乱して、手が止まる。気づけば、机の上に置いていたコーヒーカップをひっくり返していた。「ああ、まただ……」と、小さな声で呟く。周囲の同僚はちらりと私の方を見てすぐに目を逸らす。彼らには、私のこの不器用さが理解できないのだろう。

昼休みには、静かなカフェで一息つこうとするが、周囲の会話やカップの音が気になり、なかなか落ち着けない。テーブルに並べたランチも、食べる手が止まってしまい、考え事ばかりしている。スマホを見ても、何もかもが手に付かない。メールの返信も、やりかけの資料も、そのまま放置されていく。「どうして自分はこんなに要領が悪いのだろうか」と、また自分を責める。

仕事が終わり、帰宅するとまた家の中が散らかっているのが目に入る。片付けなければと思うが、どうにも手が進まない。部屋の片隅に積み上げられた雑誌や、本、服の山が私を圧迫してくるように感じる。自分の無能さが際立って見え、落ち込む。どうしても普通のことができない。それが、ただただ苦しい。

「普通に生きたいだけなのに」

その言葉が頭の中で何度も繰り返される。普通の仕事をして、普通に家事をこなし、普通に友達と笑い合いたい。ただそれだけなのに、どうしてこんなにも難しいのだろうか。目の前の洗濯物を見ても手をつける気になれないし、机の上の散らかった書類を見ると頭が痛くなる。何一つまともにできない自分に、涙がこぼれそうになる。

夜、ベッドに横たわりながら、また一日が終わったことに安堵する。そして、また明日も普通に過ごせるようにと祈る。けれど、朝が来ればまた同じことの繰り返しなのだと分かっている。それでも、私は今日も生きている。たとえ普通じゃなくても、少しでも自分を受け入れられるように。少しずつ、自分のペースで進んでいくしかないのだ。自分を責めることをやめて、少しずつ、自分を認めていく。それが、今の私にできる精一杯のことだろう。

日々の中での葛藤や苦しさ、それでも前に進もうとする姿が描かれた2000文字の小説です。注意欠如多動性障害(ADHD)に悩む人の心情や、普通であることの難しさをリアルに表現しました。










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