季節の織り糸

春秋花壇

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秋めく風の中で

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「秋めく風の中で」

八月三十日。夏の終わりが近づき、秋の気配が漂うこの日、奈美は久しぶりの休暇明けで会社に出勤する準備をしていた。窓の外には白木槿の花が揺れ、朝顔が色鮮やかに咲いている。その花々を見ると、まだ残る夏の余韻を感じながらも、どこか寂しさが心に広がった。

奈美は出勤前に庭を一回りし、朝の空気を深く吸い込んだ。庭先にはえのころ草と猫じゃらしが風にそよいでいた。えのころ草はふわふわとした穂を揺らし、猫じゃらしはまるで小さな猫たちが遊んでいるかのように見えた。その光景に微笑んだ奈美は、ふと遠くで蜩の声を耳にした。蜩の音は、夏の終わりを告げる合図のように、少し切ない響きを持っている。

通勤途中の道端でも、赤蜻蛉が飛び交い、秋めく風が吹いていた。奈美は歩きながら、「もうすぐ秋だな」と感じた。街路樹の下では、韮の花が静かに咲いているのが見えた。その小さな白い花は控えめでありながらも、確かに季節の変わり目を告げていた。

職場に到着すると、同僚たちは夏の休暇の話で賑わっていた。花火大会に行った人もいれば、海水浴に出かけた人もいる。奈美も休暇中に訪れた海での出来事を話しながら、同僚たちと笑い合った。だが、その一方で、心の奥にある空虚さを拭えないでいた。

「休暇明けって、なんだか現実に引き戻された気がするね。」同僚の一人が言った。奈美はその言葉に頷きながら、自分の心境と重ねて考えた。夏が終わりに近づくように、何かが終わり、何かが始まる。そんな季節の変わり目に、奈美は自分自身の気持ちも整理しなければならないと感じた。

昼休み、奈美はオフィスを出て近くの公園へ向かった。公園には法師蝉が鳴き、木陰に涼しい風が吹いていた。木漏れ日の中で、奈美はベンチに腰掛け、空を見上げた。青空はすっかり澄んでいて、秋の始まりを告げているようだった。

その時、公園の一角で踊る子供たちの姿が目に入った。子供たちは無邪気に笑いながら、鬼灯を持って走り回っている。赤く染まった鬼灯はまるで小さな提灯のようで、彼らの手の中で軽やかに揺れていた。その光景を眺めていると、奈美の心も少しだけ軽くなった気がした。

奈美は幼い頃、祖父母の家で同じように鬼灯を手にして遊んだ記憶を思い出した。夕暮れ時に友達と駆け回り、蜩の声を聞きながら、夏の終わりを楽しんだあの日々。大人になるにつれ、そうした些細な楽しみを忘れてしまった自分に気づかされた。

「大人になると、いつの間にか季節の変わり目を感じなくなってしまうんだな。」奈美は心の中でそう呟いた。いつからか、日々の忙しさに追われ、四季の移り変わりに目を向けることが少なくなっていた。だが、こうして秋めく風に触れ、懐かしい思い出を辿ることで、自分の中にある季節感を取り戻したように感じた。

仕事に戻る時間が近づき、奈美は公園を後にした。オフィスへ向かう途中、路上には猫じゃらしがまだ風に揺れていた。その姿を見て、奈美はふと立ち止まり、猫じゃらしを一つ摘み取った。軽く揺れる穂を手にして、まるで子供の頃に戻ったかのような気持ちになった。

「たまには立ち止まって、季節を感じるのも悪くないね。」奈美は笑顔を浮かべ、再び歩き始めた。秋の風は涼やかで、奈美の頬を優しく撫でた。空には法師蝉の声が響き、遠くには赤蜻蛉が舞っていた。休暇明けの憂鬱さも少しずつ薄れていき、奈美はまた、新たな一歩を踏み出す勇気を得た気がした。

オフィスに戻ると、奈美はデスクに猫じゃらしを飾った。それは些細なことだが、奈美にとっては大切なリマインダーだった。忙しい日常の中でも、季節の移ろいを感じる心を忘れないためのものだ。奈美は猫じゃらしを見ながら、自分自身もまた、秋の風に乗って新たなステージへ進んでいこうと決意した。

その夜、奈美は帰り道で小さな秋祭りに出くわした。提灯の明かりが揺れ、夜空に花火が打ち上げられていた。空に咲く大輪の花火を見上げながら、奈美は心の中で静かに願いを込めた。「また新しい季節が始まるね。」そう呟く奈美の顔には、もう迷いはなかった。秋の澄んだ空気が彼女の背中を押してくれるように感じた。


***


8月30日 季語

秋めく

ひぐらし

白木槿

朝顔 



花火



えのころ草

赤蜻蛉

鬼灯

朝顔

秋澄む

休暇明け

猫じゃらし

法師蝉

韮の花

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