ギリシャ神話

創作

紅き牛と黄金の盃

「紅き牛と黄金の盃」

ギリシャの英雄ヘーラクレースに課された最後の試練の一つは、ゲーリュオーンの飼う紅い牛を手に入れることであった。この牛は、遥か西方の島エリュテイアにいる怪物ゲーリュオーンの所有物であり、その牛の群れは他のどの生き物とも異なる輝きを放っていた。

ゲーリュオーンは、三つの体を持つ異形の戦士であった。彼は、かつてペルセウスに討たれたメドゥーサの血から生まれた怪物クリューサーオールの息子であり、その強大な力を受け継いでいた。ゲーリュオーンが住むエリュテイアは、大洋オーケアノスの西の果て、常人が行き着ける場所ではない。だが、ヘーラクレースはこれまでの任務同様、何一つ恐れることなく冒険に出発した。

アフリカの砂漠を横切る途中、灼熱の太陽が彼の肉体を焼き尽くさんばかりに照りつけた。ヘーラクレースはその酷熱に怒りを覚え、持っていた弓を構え、太陽に向かって矢を放った。強大な英雄である彼の行動に驚いたのは、太陽神ヘーリオスであった。ヘーリオスは、ヘーラクレースの大胆さを称え、彼に黄金の盃を与えた。この盃は、オーケアノスの果てを渡るためのものであり、これによってヘーラクレースは海を越え、エリュテイアに到達することができた。

黄金の盃に乗り込み、夜空の彼方を越えてヘーラクレースは大洋の彼岸にあるエリュテイアへとたどり着いた。その島は、不気味な静けさに包まれ、風はほとんど吹かない。彼が島に上陸すると、まず彼を迎えたのは双頭の番犬オルトロスだった。オルトロスは、ゲーリュオーンの命を受け、牛の群れを守る凶悪な怪物であった。しかし、ヘーラクレースにとってその二つの頭は一つも同然だった。彼は躊躇うことなく巨大な棍棒を振り下ろし、オルトロスを打ち倒した。

次に現れたのは、牛の番人であったエウリュティオーン。彼もまたゲーリュオーンに仕える忠実な番人であったが、ヘーラクレースの強大な力の前には為す術もなく、あっさりと命を落とした。こうして、島の守りは完全に崩れ、ヘーラクレースは紅い牛を手に入れることに成功した。

だが、そこに突然ゲーリュオーンが現れた。三つの体を持ち、それぞれの腕に剣と盾を持ったゲーリュオーンは、まさに戦神の如き姿であった。彼の怒りは島を震わせ、声は大地を揺るがした。彼はヘーラクレースに向かって突進し、三つの体すべてから同時に攻撃を仕掛けてきた。

ヘーラクレースは冷静だった。ゲーリュオーンの力を理解していたが、同時に自らの力も信じていた。彼は瞬時に身をひるがえし、一本の矢を番えた。遠くに狙いを定め、引き絞った弓を一気に放った。その矢は、正確無比にゲーリュオーンの一つの体に突き刺さり、続けてもう一つの体、そして最後の体へと貫通していった。

ゲーリュオーンは倒れた。彼の巨大な体が地に崩れ落ち、紅い牛の群れは再び静けさに包まれた。ヘーラクレースは息をつき、目の前に広がるエリュテイアの光景を見つめた。彼が成し遂げた戦いの結果を感じながら、牛たちを連れて帰るべく準備を始めた。

しかし、冒険はまだ終わりではなかった。ヘーラクレースはエリュテイアを後にし、紅い牛を連れて再び黄金の盃に乗り、オーケアノスを越えて帰路についた。大洋を越える間、彼は思索にふけった。この試練の数々が彼に何をもたらしたのか。英雄としての名声か、それとも失われた命たちへの贖罪か。彼の胸中には複雑な感情が渦巻いていた。

その帰路の途中、彼はジブラルタル海峡を通過する際に、両岸に「ヘラクレスの柱」を残したと言われている。それは、彼の力と冒険の象徴として後世に語り継がれることとなった。また、山脈を叩き割って新たな海峡を作り出したという伝説も残されている。まさに、彼の行いは神々に匹敵するものであった。

こうして、紅い牛を携えたヘーラクレースは、エウリュステウスのもとへと帰還した。彼の試練はまだ続くが、この冒険もまた、彼の名を不滅のものとしたのである。