1,131 / 1,658
おじけづかないように神の力に頼ってきました 2
しおりを挟む
忍耐が大切だった
その頃,私とスーザンは,巡回と地域の奉仕で田舎の方を訪問することに多くの時間を費やしていました。村での暮らしは独特で,かなり大変なこともありました。草ぶき屋根の小屋は小さくて,どうにか横になれるぐらいのスペースしかありませんでした。小さな出入り口を通ろうとして,何度頭をぶつけたか分かりません。川の水で体を洗い,夜にはろうそくの明かりで字を読み,料理には木炭を使いました。でも,これこそ宣教者の醍醐味だと思いました。私たちはクリスチャンの活動の最前線で働くためにやって来たからです。
地元の兄弟姉妹たちと暮らしてみて,食べ物,水,服,住まいなど,あって当たり前と考えがちなものを大切にすることを学びました。(テモテ第一 6:8)ほかのものは全部,おまけみたいなものです。この大事な教訓は今でも心に残っています。
使徒パウロが経験したほどの試練には遭いませんでしたが,自分たちの信仰ややる気が試されていると感じたことは何度もありました。私たちが通った道は大抵,ひどく荒れているか,ないも同然でした。車がでこぼこ道で激しく揺れたり,砂に埋まりそうになったりすることがありました。雨期には車が泥にはまり,なかなか抜け出せませんでした。1日の間に12回も車がはまってしまい,70キロしか進めなかったこともあります。
シャープ兄弟と数人の兄弟たちが,泥にはまったトラックを出そうとしている。
旅行する奉仕をしていた時,よくひどい道を通った。
それでも,奥地で大変な中奉仕している時ほど,エホバを身近に感じました。困難な状況を変えることはできなくても,エホバの助けがあれば忍耐でき,奉仕を楽しめることが分かりました。スーザンは元々アウトドア派でも冒険好きでもありませんでしたが,いろいろ苦労があっても決して弱音は吐きませんでした。その頃を振り返ると,奉仕はとてもやりがいがあって楽しく,たくさんのことを学べました。
ザイールにいた間,私は何度か逮捕されました。不正にダイヤモンドの売買をしているとの容疑をかけられたこともあります。もちろん不安を感じることもありましたが,エホバは私たちが割り当てを果たせるように必ず助けてくださる,と思いました。実際エホバはいつも助けてくださいました。
エホバに仕え続ける
1981年,キンシャサの支部で奉仕する招待を受けました。その1年前に,エホバの証人の活動が再び法的に認可されていました。兄弟たちは,当時あった支部よりも大きな支部施設を建てるために,土地を手に入れました。ところが,1986年3月に突然,大統領がエホバの証人の活動を禁止する法令に署名しました。支部の建設は中断され,程なくしてほとんどの宣教者が国を去りました。
シャープ兄弟が自分のオフィスでレコーダーに音声を吹き込んでいる。
ザイール支部で働いた時の様子
私とスーザンはしばらくとどまることができたので,できる限り伝道を続けました。でも常に監視されていて,気を付けていたつもりでしたが,ある時私は聖書レッスン中に逮捕されてしまいました。すでに囚人でいっぱいだった地下牢のような所に入れられました。暗くて蒸し暑く,空気がよどんでいて,壁の高い所にある1つの小さな通気孔からわずかに光が入ってくるだけでした。私は数人の囚人に腕をつかまれ,囚人たちのリーダーの所に連れていかれました。「ザイールの国歌を歌え!」と言われたので,「知らないので歌えません」と答えました。「じゃあ,自分の国の国歌を歌え!」と言われたので,「それも知りません」と答えました。すると,45分ほど壁際に立たされました。しばらくして,地元の兄弟たちの交渉のおかげで私は釈放されました。
ザンビア支部の敷地内に立っているシャープ兄弟姉妹
1987年にザンビア支部に到着して間もない時
国内の状況はなかなか良くならず,私たちは間もなくザンビアに移動することになりました。国境を越えた時,悲しみと安堵感が入り混じった複雑な気持ちでした。忠実な宣教者たちや地元の兄弟姉妹たちと一緒に奉仕して,素晴らしい18年間を過ごせました。大変な時もありましたが,たくさんの祝福を味わったので,いつもエホバが一緒にいてくださると感じていました。スワヒリ語とフランス語を話せるようになり,スーザンはリンガラ語も少し覚えました。たくさんの人に良い知らせを伝えることができて,私たち2人が教えた130人余りがバプテスマを受けました。さらに多くの人が真理を学ぶための土台を作ることに加われて,とてもうれしく思いました。その後エホバの証人はどんどん増えていくことになります。1993年には,最高裁判所が1986年の禁令を取り消しました。今ではコンゴ民主共和国に伝道者が24万人以上います。
私たちがザンビアにいる間に,新しい支部が建設され,その後さらに施設が拡張されました。1987年に私たちが入国した時と比べて,伝道者の数は3倍以上に増えています。
ザンビア支部を上空から撮った写真
若い時,全時間奉仕が1カ月も続かないだろうと言われていた私ですが,なんともう65年も続けることができています。エホバの祝福と,愛する妻スーザンのサポートのおかげです。全時間奉仕を心から楽しんで,エホバが善い神であることを味わい知ってきました。(詩編 34:8)
私たちは決して人より優れているわけではありません。献身の誓いを守り続けようと,一生懸命頑張ってきただけです。「おじけづ[く]」ことなく,信仰を強めて「生き続ける」ことができるように,エホバがこれからも助けてくださることを確信しています。(ヘブライ 10:39)
シャープ兄弟姉妹
私とスーザンは今でもザンビア支部で奉仕している。
「ダレル・シャープとスーザン: 魂をこめてエホバに仕える,と約束しました」という動画をご覧ください。
テモテ第一 6:8
8 ですから,食物*と衣服*があれば,それで満足します+。
詩編 34:8
8 エホバが善い神であることを味わい知れ+。
神のもとに避難する人は幸せだ。
ヘブライ 10:39
39 私たちは,おじけづいて滅びに至る者ではなく+,信仰を抱いて生き続ける者です。
このように働いてくださった兄弟姉妹がいらっしゃるので、
わたしたちは母国語で聖書を読み、学ぶことができているんですね。
心から感謝します。
人と比べるのではなく、自分の出来ることを神に祈りながら
私も続けていけたら嬉しいです。
過去、どんなに続けたくても病気が酷くて記憶が無くなって
思ってもいない事をして居たり周りに迷惑をかけたりする生活でした。
今、アルファポリスのおかげで平安な気持ちでみ言葉や新しい生き方を
学べることに感謝します。
ありがとうございます。
その頃,私とスーザンは,巡回と地域の奉仕で田舎の方を訪問することに多くの時間を費やしていました。村での暮らしは独特で,かなり大変なこともありました。草ぶき屋根の小屋は小さくて,どうにか横になれるぐらいのスペースしかありませんでした。小さな出入り口を通ろうとして,何度頭をぶつけたか分かりません。川の水で体を洗い,夜にはろうそくの明かりで字を読み,料理には木炭を使いました。でも,これこそ宣教者の醍醐味だと思いました。私たちはクリスチャンの活動の最前線で働くためにやって来たからです。
地元の兄弟姉妹たちと暮らしてみて,食べ物,水,服,住まいなど,あって当たり前と考えがちなものを大切にすることを学びました。(テモテ第一 6:8)ほかのものは全部,おまけみたいなものです。この大事な教訓は今でも心に残っています。
使徒パウロが経験したほどの試練には遭いませんでしたが,自分たちの信仰ややる気が試されていると感じたことは何度もありました。私たちが通った道は大抵,ひどく荒れているか,ないも同然でした。車がでこぼこ道で激しく揺れたり,砂に埋まりそうになったりすることがありました。雨期には車が泥にはまり,なかなか抜け出せませんでした。1日の間に12回も車がはまってしまい,70キロしか進めなかったこともあります。
シャープ兄弟と数人の兄弟たちが,泥にはまったトラックを出そうとしている。
旅行する奉仕をしていた時,よくひどい道を通った。
それでも,奥地で大変な中奉仕している時ほど,エホバを身近に感じました。困難な状況を変えることはできなくても,エホバの助けがあれば忍耐でき,奉仕を楽しめることが分かりました。スーザンは元々アウトドア派でも冒険好きでもありませんでしたが,いろいろ苦労があっても決して弱音は吐きませんでした。その頃を振り返ると,奉仕はとてもやりがいがあって楽しく,たくさんのことを学べました。
ザイールにいた間,私は何度か逮捕されました。不正にダイヤモンドの売買をしているとの容疑をかけられたこともあります。もちろん不安を感じることもありましたが,エホバは私たちが割り当てを果たせるように必ず助けてくださる,と思いました。実際エホバはいつも助けてくださいました。
エホバに仕え続ける
1981年,キンシャサの支部で奉仕する招待を受けました。その1年前に,エホバの証人の活動が再び法的に認可されていました。兄弟たちは,当時あった支部よりも大きな支部施設を建てるために,土地を手に入れました。ところが,1986年3月に突然,大統領がエホバの証人の活動を禁止する法令に署名しました。支部の建設は中断され,程なくしてほとんどの宣教者が国を去りました。
シャープ兄弟が自分のオフィスでレコーダーに音声を吹き込んでいる。
ザイール支部で働いた時の様子
私とスーザンはしばらくとどまることができたので,できる限り伝道を続けました。でも常に監視されていて,気を付けていたつもりでしたが,ある時私は聖書レッスン中に逮捕されてしまいました。すでに囚人でいっぱいだった地下牢のような所に入れられました。暗くて蒸し暑く,空気がよどんでいて,壁の高い所にある1つの小さな通気孔からわずかに光が入ってくるだけでした。私は数人の囚人に腕をつかまれ,囚人たちのリーダーの所に連れていかれました。「ザイールの国歌を歌え!」と言われたので,「知らないので歌えません」と答えました。「じゃあ,自分の国の国歌を歌え!」と言われたので,「それも知りません」と答えました。すると,45分ほど壁際に立たされました。しばらくして,地元の兄弟たちの交渉のおかげで私は釈放されました。
ザンビア支部の敷地内に立っているシャープ兄弟姉妹
1987年にザンビア支部に到着して間もない時
国内の状況はなかなか良くならず,私たちは間もなくザンビアに移動することになりました。国境を越えた時,悲しみと安堵感が入り混じった複雑な気持ちでした。忠実な宣教者たちや地元の兄弟姉妹たちと一緒に奉仕して,素晴らしい18年間を過ごせました。大変な時もありましたが,たくさんの祝福を味わったので,いつもエホバが一緒にいてくださると感じていました。スワヒリ語とフランス語を話せるようになり,スーザンはリンガラ語も少し覚えました。たくさんの人に良い知らせを伝えることができて,私たち2人が教えた130人余りがバプテスマを受けました。さらに多くの人が真理を学ぶための土台を作ることに加われて,とてもうれしく思いました。その後エホバの証人はどんどん増えていくことになります。1993年には,最高裁判所が1986年の禁令を取り消しました。今ではコンゴ民主共和国に伝道者が24万人以上います。
私たちがザンビアにいる間に,新しい支部が建設され,その後さらに施設が拡張されました。1987年に私たちが入国した時と比べて,伝道者の数は3倍以上に増えています。
ザンビア支部を上空から撮った写真
若い時,全時間奉仕が1カ月も続かないだろうと言われていた私ですが,なんともう65年も続けることができています。エホバの祝福と,愛する妻スーザンのサポートのおかげです。全時間奉仕を心から楽しんで,エホバが善い神であることを味わい知ってきました。(詩編 34:8)
私たちは決して人より優れているわけではありません。献身の誓いを守り続けようと,一生懸命頑張ってきただけです。「おじけづ[く]」ことなく,信仰を強めて「生き続ける」ことができるように,エホバがこれからも助けてくださることを確信しています。(ヘブライ 10:39)
シャープ兄弟姉妹
私とスーザンは今でもザンビア支部で奉仕している。
「ダレル・シャープとスーザン: 魂をこめてエホバに仕える,と約束しました」という動画をご覧ください。
テモテ第一 6:8
8 ですから,食物*と衣服*があれば,それで満足します+。
詩編 34:8
8 エホバが善い神であることを味わい知れ+。
神のもとに避難する人は幸せだ。
ヘブライ 10:39
39 私たちは,おじけづいて滅びに至る者ではなく+,信仰を抱いて生き続ける者です。
このように働いてくださった兄弟姉妹がいらっしゃるので、
わたしたちは母国語で聖書を読み、学ぶことができているんですね。
心から感謝します。
人と比べるのではなく、自分の出来ることを神に祈りながら
私も続けていけたら嬉しいです。
過去、どんなに続けたくても病気が酷くて記憶が無くなって
思ってもいない事をして居たり周りに迷惑をかけたりする生活でした。
今、アルファポリスのおかげで平安な気持ちでみ言葉や新しい生き方を
学べることに感謝します。
ありがとうございます。
0
お気に入りに追加
37
あなたにおすすめの小説
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
大きくなったら結婚しようと誓った幼馴染が幸せな家庭を築いていた
黒うさぎ
恋愛
「おおきくなったら、ぼくとけっこんしよう!」
幼い頃にした彼との約束。私は彼に相応しい強く、優しい女性になるために己を鍛え磨きぬいた。そして十六年たったある日。私は約束を果たそうと彼の家を訪れた。だが家の中から姿を現したのは、幼女とその母親らしき女性、そして優しく微笑む彼だった。
小説家になろう、カクヨム、ノベルアップ+にも投稿しています。
寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。
にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。
父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。
恋に浮かれて、剣を捨た。
コールと結婚をして初夜を迎えた。
リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。
ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。
結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。
混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。
もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと……
お読みいただき、ありがとうございます。
エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。
それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。
Aegis~裏切りに報いる影の正義
中岡 始
現代文学
優子は結婚を夢見て信じた男性・大谷信之に裏切られ、貯蓄をすべて失うという冷酷な現実に直面する。通常の法的手段ではどうにもならない絶望の中、手を差し伸べたのは「リーガルアシスタンスネットワーク(LAN)」だった。被害者のために特別な「代替支援」を行うというLANの提案に、優子は一筋の光を見出す。
だが、その裏で動いていたのはLANとは異なる、影の組織Aegis(イージス)。Aegisは法を超えた手段で被害者のために「逆詐欺」を仕掛けるプロたちの集団だ。優子の加害者である大谷から金銭を取り戻し、彼に相応の報いを与えるため、Aegisのメンバーが次々と動き出す。怜は純粋で結婚を夢見る女性として大谷に接近し、甘く緻密に仕組まれた罠を張り巡らせていく。そして、情報の達人・忍がその裏を支え、巧妙な逆転劇の準備を整えていく。
果たしてAegisの手によって、大谷はどのような制裁を受けるのか? そして優子が手にするのは、失った以上の希望と新たな始まりなのか? 裏切りと復讐が交錯する、緊張の物語が今、動き出す。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる