妻と愛人と家族

揺れ動く心の行方

「揺れ動く心の行方」

リビングに入ると、妻の美咲が子どもたちと一緒にソファに座っていた。穏やかな笑顔で子どもたちの話に耳を傾ける彼女の姿は、まさに「安心」を象徴していた。結婚して十年、彼女との暮らしは安定していて、子どもたちもすくすくと育っている。俺にとって彼女は「安心の妻」だった。

けれど、最近俺の心には「不安」が芽生えていた。それは、会社の後輩であり俺の秘書を務める愛人の玲奈の存在だ。玲奈は俺にとって「抱き心地のいい愛人」だ。彼女の柔らかい肌に触れるたび、俺は日常の重圧を忘れることができた。玲奈の存在は俺にとって癒しであり、逃げ場だった。仕事のストレスや家庭での責任感から解放される瞬間、俺は玲奈の腕の中にいた。

「パパ、今日も遅く帰ってきたんだね」と小さな声で言う娘の声が現実に引き戻した。「ごめんな、ちょっと仕事が忙しくてさ」そう言って頭を撫でると、娘は嬉しそうに笑った。

美咲は俺の帰宅時間が遅いことに特に文句を言うわけでもなく、ただ「お疲れ様」と微笑んでくれる。それが心地よかった。美咲は俺にとって「安心」そのもので、いつも家庭を守り、俺を支えてくれる存在だ。だが、安心の裏にはどこか「退屈」があったのも事実だ。

玲奈との関係は最初は仕事の延長線上だったが、次第に深まり、今では仕事終わりに彼女の部屋に寄るのが日課になっていた。玲奈は俺に新鮮さと刺激をもたらし、何より俺の心を満たしてくれた。彼女は俺を持ち上げ、俺を必要としてくれた。彼女の手の中にいると、俺はまるで自分が特別な存在であるかのように感じられた。

ある夜、玲奈と過ごしていた時、彼女が突然口を開いた。「私、もうこのままじゃ嫌なの。あなたと本当に一緒になりたい」と言ったのだ。俺は驚き、言葉を失った。

「玲奈、わかってるだろう？俺には家族がいるんだ」
「わかってる。でも、私はあなたのことを本当に愛してるの。もう妻のところに帰ってほしくない」玲奈の声は震えていた。彼女の気持ちは痛いほど分かる。それでも、俺は美咲と子どもたちを裏切ることはできないという葛藤もあった。

その日以来、俺の心は揺れ動き始めた。玲奈との関係を続ければ、俺の心は満たされる。しかし、それと引き換えに失うものがあまりにも大きいことも理解していた。美咲がいる家庭、子どもたちの笑顔、それらは俺の人生にとって欠かせないものだった。

ある日、妻の美咲が珍しく声をかけてきた。「最近、あなたの様子が変わった気がするの。何かあったの？」彼女の問いかけに、俺は一瞬言葉を失った。美咲は俺の異変に気づいていたのだ。それでも、彼女は俺を責めることなく、ただ心配そうに見つめていた。

「いや、何もないよ。仕事がちょっと忙しくて」嘘をついた俺の言葉に、美咲は小さくうなずいたが、その目はどこか不安げだった。俺はそれ以上何も言えなかった。玲奈のことを話す勇気もなければ、今の生活を壊す勇気もない。自分の弱さに苛立ちながらも、何もできない自分がいた。

数日後、玲奈からのメッセージが届いた。「これ以上待てない。決めてほしい」その言葉は、俺にとって最後通告のように感じられた。俺は決断を迫られていた。どちらを選ぶにしても、誰かが傷つく。そんな状況に耐えきれなくなり、俺は仕事を早退して玲奈の元へ向かった。

玲奈の部屋に入ると、彼女は涙を流していた。「もう待てないの。私を選んでくれないなら、もう終わりにする」玲奈の言葉は、俺の胸に突き刺さった。俺は彼女を抱きしめ、「ごめん」と何度も繰り返した。しかし、彼女の涙は止まらなかった。

玲奈の部屋を出た後、俺は一人で夜の街を歩いた。どこへ行けばいいのかもわからないまま、ただ歩き続けた。俺の心は玲奈への愛と、美咲への責任の狭間で揺れ動いていた。どちらを選んでも、正解などないように思えた。

家に帰ると、美咲がリビングで俺を待っていた。「おかえり」と言って微笑む彼女の姿に、俺は胸が痛んだ。俺は何も言わずに彼女を抱きしめた。「どうしたの？」と不安げに尋ねる美咲に、俺はただ「何でもない」と答えた。彼女の温かさが、俺の揺れ動く心を少しだけ和らげてくれた。

だが、その夜、俺は決断することにした。玲奈とは別れを告げる。美咲との家庭を守ることが、俺にとっての唯一の選択肢だった。玲奈を傷つけることは分かっていたが、俺は自分が選んだ道を進むことにした。

「安心の妻」と「抱き心地のいい愛人」の間で揺れ動いた俺の心は、結局「安心」を選んだ。玲奈との日々は、俺にとっての甘美な夢だった。しかし、夢はいつか覚めるものだ。現実に戻った俺は、美咲と子どもたちと共に歩む道を選んだ。

それが正しいかどうかは、まだわからない。それでも、俺は前に進むしかないのだ。