妻と愛人と家族

春秋花壇

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最後の遊園地

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 最後の遊園地

橋本昌人が手紙を読み終えた瞬間、静寂がその場を包み込んだ。彼の声は、いつもとは異なる静かさと悲しみに満ちていた。漫才やコントの台本を手がけてきた彼が、このような手紙を読むことになるとは誰も予想していなかっただろう。

この手紙は、ある男性が亡き妻と6歳の娘に宛てたものだった。妻を突然の交通事故で失い、深い悲しみに沈んだ彼は、一度は死を選ぼうとした。しかし、彼が娘ミサトと過ごした最後の日が、その考えを変えることになる。

手紙に書かれていたその日、彼は娘を連れて遊園地に向かった。そこは家族で何度も訪れた場所で、彼にとっては妻との思い出が詰まった特別な場所だった。しかし、その日が彼と娘にとって最後の遊園地になることを、彼は心の奥底で知っていた。

遊園地に着くと、ミサトはいつものように無邪気に走り回った。彼女はまるで、この日が特別な日であるかのように、笑顔を絶やさなかった。彼女の無邪気さに触れるたびに、彼の心は痛みを感じた。しかし、彼はその痛みを押し殺し、娘の笑顔を最後まで守り抜こうと決意していた。

一番のお気に入りである急流すべりに乗った後、ミサトは水に濡れた髪を振り払いながら、満足げに彼のもとへと駆け寄った。その瞬間、彼は初めてその日の計画を本当に実行できるかどうか、疑問を感じた。

ミサトが彼の手を握り、にっこりと笑って「もういいよ、お父さん。もう、お母さんのところに行こ」と言ったとき、彼の心は一瞬にして崩れ去った。その言葉は、まるで彼女が全てを理解しているかのようだった。

その瞬間、彼は初めて自分の計画がどれほど愚かであるかを悟った。娘は母親を失っても、まだ父親がいることを知っていた。そして、彼女の無邪気な笑顔の裏には、父親と生きていく強さがあったのだ。

彼はミサトの手を強く握り返し、その場で泣き崩れた。娘は驚いた顔をしたが、やがて彼の涙をそっと拭い、もう一度「お父さん、大丈夫だよ」と囁いた。その言葉が、彼を生きる方向へと導いたのだった。

数年が経ち、ミサトは大人になり、父親との絆も一層深まった。彼は再び笑顔を取り戻し、二人で過ごす時間を大切にした。彼が手紙を読んだその場には、ミサトもいた。彼女は父親の手紙を聞きながら、静かに涙を流していた。

彼の語った手紙は、ただの手紙ではなかった。それは、父親としての強さと、娘としての優しさが織り交ざった物語だった。その物語は、今も二人の心に深く刻まれている。

そして、彼らの物語は、これからも続いていく。生きていくことが、どれほど大切で、どれほど美しいものかを知った彼らは、これからも互いを支え合いながら、前に進んでいくのだ。

橋本昌人は、手紙を読み終えると、しばらくの間その場に立ち尽くした。彼は自分の手でその手紙を大切に折りたたみ、胸にしまい込んだ。自分の仕事とは異なる形で、人々の心に残る物語を届けることができたことに、彼は深い満足感を覚えていた。

彼の朗読を聞いていた人々もまた、その物語に心を打たれた。そして、それぞれが自分自身の人生について考え始めた。どんなに辛いことがあっても、希望を見失わずに生き続けることの大切さを、彼らはこの手紙から学んだのだった。








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