お金持ちごっこ

あなたのために生きる人はいない

あなたのために生きる人はいない

「どうして分かってくれないの！」

梨沙（りさ）は拳を握りしめ、涙をこらえていた。目の前にいる夫・直樹（なおき）は、冷静に首をかしげるだけだ。

「分からないって言われてもな…。俺は一生懸命やってるつもりだよ。」

この会話はもう何度目だろう。結婚して5年。最初のころは些細な言い合いだったものが、今では激しい口論にまで発展している。梨沙は日常の不満を口にするたびに、直樹の無関心な態度にさらに苛立ちを募らせていた。

「どうして家事を手伝ってくれないの？」
「子どものこと、もっと考えてよ。」
「私はこんなに頑張ってるのに、あなたはなんで何もしてくれないの？」

梨沙にとっては正当な訴えのつもりだった。でも直樹の返事はいつも曖昧で、どこか冷めていた。

その日、梨沙は一人で公園に出かけた。ベンチに腰を下ろし、子どもたちが遊ぶ姿をぼんやりと眺める。自分の中で渦巻く怒りと虚しさが、冷たい風とともに吹き抜けていくようだった。

ふと、隣に座った見知らぬ年配の女性が、ぽつりと言った。
「誰かに期待しすぎると、自分が傷つくだけよ。」

梨沙は驚いて振り向く。相手の言葉に何かを悟られたのだろうか。

「…そんなこと言われても、じゃあ私はどうすればいいんですか？我慢しろってことですか？」
「違うわよ。」女性は穏やかに微笑む。
「大事なのはね、『自分のために生きること』なのよ。」

梨沙は戸惑った表情を浮かべた。
「自分のために…？でも、家族のために頑張るのが普通じゃないですか？」

女性はしばらく考え込むように空を見上げ、それからこう続けた。
「家族を愛することと、自分を犠牲にすることは違うわ。あなたのために他人がいるわけじゃないの。それを忘れると、結局自分も周りも苦しむことになるのよ。」

その言葉は梨沙の胸に刺さった。彼女は思い出す。いつも「私ばっかり」「どうして私だけ」という気持ちで、直樹や子どもたちに向き合っていたことを。

家に帰った梨沙は、リビングでぼんやりとコーヒーを飲んでいた。その夜、直樹が遅く帰ってきた。疲れた顔で玄関を開ける彼に、梨沙はふとこう言った。

「おかえり。今日は疲れた？」

普段なら、ついにらみつけたり、皮肉を言ってしまうところだったが、その日は違った。直樹は驚いた顔をして、
「ああ、まあね。」
と短く答えた。その返事に特別な意味はなかったかもしれない。それでも梨沙は、ほんの少し心が軽くなった気がした。

それからというもの、梨沙は少しずつ自分の考え方を変えていった。完璧に家事をこなそうとするのをやめ、直樹に過剰に期待するのもやめた。子どもたちと過ごす時間も、義務感ではなく楽しむことを心がけた。

ある日、直樹がぽつりと言った。
「最近、なんか梨沙が変わった気がするよ。前より穏やかっていうか…。」

梨沙は笑顔を浮かべながら答えた。
「そうかもね。私、ようやく気づいたの。あなたに『〇〇してほしい』って期待ばかりしてたから、ずっとイライラしてたんだなって。」

直樹は不思議そうに眉をひそめたが、それ以上何も言わなかった。でも、その表情はどこか柔らかかった。

梨沙は、夫や家族を変えることはできないと悟った。ただ、自分が変わることで、少しずつ家庭の雰囲気が変わっていくのを感じていた。

「他人は自分のためにいるわけじゃない。」
それに気づいた瞬間、彼女の心には、以前にはなかった穏やかな光が差し込んでいた。