縁（えにし)

12歳の大ピンチずかん

「大ピンチずかん」

夏休みの最後の週、12歳の翔太は図書館で偶然見つけた奇妙な本を手にしていた。それは「大ピンチずかん」という題名の古びた本だった。表紙はくすんだ茶色で、ところどころシミがついており、誰かが長い間触れずに置いていたのがわかる。何かに引き寄せられるように、翔太はその本を開いてみた。

ページをめくると、そこにはさまざまな「ピンチ」に関する記述がびっしりと書かれていた。「学校で宿題を忘れたとき」「友達とのケンカが大きくなってしまったとき」「家の鍵を忘れて入れないとき」…まるで日常生活の中で子供たちが直面するあらゆる困難が、丁寧にリストアップされているかのようだった。

しかし、ただの自己啓発本とは違う。読み進めると、ページの端に小さな文字で書かれた不思議な一文が目に入った。

「このずかんを読んだ者は、次に直面するピンチから逃れることはできない」

翔太はその文を目にして一瞬だけゾッとしたが、すぐに笑ってしまった。「そんなわけないだろう」とつぶやき、軽く肩をすくめた。しかし、彼は好奇心に負けてそのまま続きを読み進めることにした。

ずかんには、「大ピンチ」から抜け出すためのアドバイスも書かれていた。例えば、「先生に怒られそうなときは先に謝る」「友達とのケンカは言い訳をせずに本音を話す」といった内容だ。けれども、ピンチが予期せずやって来ることを暗示しているようで、不気味な感覚がどうしても消えなかった。

その日の夕方、翔太は家に帰る途中で不思議な感覚に包まれた。急に雲が広がり、空が暗くなった。彼は少し不安を感じたが、気にせずそのまま歩き続けた。ふと、家の鍵を探そうとポケットに手を入れると、冷たい感触がなかった。「あれ？」と、焦りが翔太を襲う。そう、彼は家の鍵を忘れていたのだ。

家の前に着いた翔太は、ドアノブを何度か回してみたが、当然開かない。部屋の中に誰もいないのは確実だった。母は仕事、父は出張、そして妹は友達と遊びに行っていた。

翔太はその場で途方に暮れ、座り込んだ。「やばい…本当にピンチだ」と心の中で叫んだ。

突然、図書館で読んだ「大ピンチずかん」の一節が頭に浮かんだ。「家の鍵を忘れて入れないとき…」その内容を必死に思い出そうとする。確か、対策として「冷静になって、周囲を観察せよ」と書かれていた気がする。

翔太は深呼吸をして、庭を見回した。すると、裏庭の古い窓がほんの少しだけ開いているのに気がついた。「あれだ！」と心の中で喜びながら、彼はすぐに裏庭へ走った。少し力を入れると、窓は完全に開き、なんとか中に入ることができた。

「ふぅ、助かった」と安堵の息をつく。しかし、すぐにまた別の考えが頭をよぎる。「あのずかん、本当に次のピンチを予告していたんじゃないか？」翔太は心の中でそれを否定しようとしたが、不安がどうしても消えない。

翌日、学校に行くと、友達の拓也が怒り気味で待っていた。「おい、昨日のゲーム、途中でやめてどこ行ったんだよ？ すげーいいところだったのに！」と声を荒げている。翔太は慌てて言い訳をしようとしたが、「大ピンチずかん」の教えが頭をよぎった。「言い訳をせずに本音を話せ」

「ごめん、鍵忘れて家に入れなくて大変だったんだ」と正直に話すと、拓也の表情が緩んだ。「なんだ、そんなことかよ！ 先に言えよな！」と、笑いながら軽く肩を叩いた。

翔太はその瞬間、ずかんの言葉が不気味なほど正確であることに気づいた。まるでピンチが次々とやってくるように見えたが、そのすべてをずかんの助言で乗り越えていくことができた。

数週間後、翔太は再び図書館に行き、「大ピンチずかん」を借りようとしたが、あの場所にはもうその本はなかった。司書に聞いても「そんな本は見たことがない」と言われ、翔太はますます不思議に思った。

それからというもの、翔太はピンチが訪れるたびに、あのずかんを思い出し、自らの判断で対処するようになった。ずかんは手元にはないが、その知恵は確実に翔太の中に生きていた。彼は大ピンチを乗り越えた経験から、次に何が起きても冷静でいられる自信を持つようになった。

「大ピンチずかん」が本当に存在していたのか、それとも単なる幻だったのか、翔太にはもうわからない。しかし、彼にとってその不思議な本との出会いは、成長の大きな一歩だった。