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夏の記憶

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「夏の記憶」

暑い日差しが照りつける午後、アスファルトから立ち上る陽炎が、逃げ水のように揺らめき、視界を歪ませる。肌にまとわりつく湿気と、焦げ付くような日差しが、逃げ場のない暑さを強調していた。私は駅前の古びた商店街を歩いていた。ふと目に入ったのは、古い駄菓子屋のショーウィンドウだ。そこには、懐かしいラムネの瓶が並んでいた。瓶の中で、炭酸の泡が弾ける様子が見える。それは、子供の頃の夏を思い出させるものだった。

「ラムネか…」

思わず足を止め、私はその瓶をじっと見つめた。ラムネの瓶は、昔のままで、青いガラスに白いキャップ、瓶の口にはビー玉が乗っている。あの頃、瓶を開けるときの楽しさや、甘くてシュワシュワした味わいが、まるで今も残っているかのように感じられた。迷うことなく、その瓶を手に取り、レジに向かう。

財布から小銭を取り出し、店主に渡すと、ラムネの瓶を包んでくれた。私は袋を大事に抱えながら、少し歩きながら、ラムネを開けることを決めた。

広場のベンチに腰掛け、瓶のキャップを指で弾くと、パチンという軽快な音が響き、同時に瓶の口から白い煙のような炭酸が勢いよく噴き出した。瓶に口をつけると、冷たいラムネが喉を潤し、甘酸っぱい香りが鼻をくすぐる。シュワシュワとした炭酸が舌の上で弾け、喉を通る音が、遠い日のざわめきのように聞こえた。

ラムネの冷たさが喉を通り過ぎた瞬間、ふと、記憶の底から何かが浮かび上がってきた。夏の終わり、祖父母の家で過ごしたあの頃。庭に広がる緑の葉っぱは、夕日に照らされて黄金色に輝き、遠くで鳴くセミの声が、夏の終わりを告げていた。近くの川では、小さな網で必死に魚を追いかけた。捕まえた小さなハヤを手のひらでそっと見つめ、夕方になると、縁側で祖母が作ってくれた冷たい麦茶を、汗だくになって飲んだ。それから、忘れられない一番の記憶が浮かび上がった。

あの日、祖父母の家に遊びに行った日のことだ。私はその日、いつものように川で遊んでいた。帰る時間が近づくと、夕日の中でおばあさんが待っていた。そのとき、突然、彼が現れた。幼馴染の彼。大人になってから、時々街で見かけることはあったけれど、あの夏の記憶が鮮明に蘇ることはなかった。

「お前、元気か?」

彼は私に笑顔を見せたけれど、どこか寂しげな表情がその中に混じっていた。そのときは気づかなかったけれど、今思えば、彼はあの時、どこか遠くへ行くことを決めていたのかもしれない。彼の笑顔の奥にある影に、幼いながらも何かを感じ取っていたのかもしれない。胸の奥に、小さな石が落ちたような、かすかな痛みが広がった。

数日後、彼は引っ越し、私たちは別れることになった。最後に会った日、私は何も言わずにただ笑顔を浮かべていた。だって、子供の私は別れの意味を理解できなかったから。彼の心の中にある何かを、私は見逃していたのだろう。

その後、私は彼と連絡を取ることなく、年月が過ぎた。そして今、ラムネの瓶を握りしめながら、ふと気づく。あの時の別れが、私の中でどれほど大きなものだったのか、そして、それが未だに心の中で残り続けていることに。

ラムネの炭酸が弾けるたびに、あの夏の日の風景が、まるで目の前に広がるように思える。私は瓶をもう一度口にして、炭酸が喉を通る音に耳を澄ました。あの時と同じように、彼の笑顔が頭に浮かぶ。今なら、あの日のことをもっとちゃんと考えられたのに。胸の奥で、何かが静かに溶けていくような、空虚な感覚が広がった。

この部屋だって、スーパーから近い方がいいとわがままを言ったのは私だ。毎日満員電車に揺られる彼に対して。「自転車で行ける距離だし、運動不足解消にもなるよ」と彼は優しく言った。私はそれを、「どうせ電車通勤じゃないから気楽に言えるんだ」と決めつけて、「毎日自転車なんて嫌!駅から近い方が絶対に便利に決まってる!」と一方的に言い張った。今、この部屋の窓から見える景色は、あの時彼が見ていた景色とは違うのだろうか…。

二人だったら、きっと消費期限までに平らげられた六枚切りの食パンも、もう三日も期限を過ぎてしまっている。留め具のプラスチックを剥がすと、かすかに酸っぱい匂いが鼻をついた。かびていないか不安になりながら、そっと食パンに顔を近づける。白いカビが粉雪のように薄く広がり、ところどころ緑色の斑点が滲んでいる。乾燥してひび割れたパンの表面は、まるで今の私の心のようだ。トーストすれば、少しはこのカビも気にならなくなるだろうか。そう思った瞬間、食パンを持つ手が止まった。ふと、左手の薬指に目が止まる。うっすらと残る白い跡は、まるで記憶の欠片のように、そこに貼り付いていた。指でなぞると、乾いたパンの表面のように、心がきしんだ。

あの指輪が、再びこの指を飾ることはない。永遠を誓った証は、もう、ここにはない。

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