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糞尿譚
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糞尿譚
川沿いの田んぼには、秋の収穫に向けた準備が着々と進んでいた。村の男たちは鍬を持ち、肥料を撒きに精を出している。彼らの中には、毎日がただ同じことの繰り返しだと嘆く者もいたが、その反面、黙々と作業をこなす者たちの表情には、どこか達観した安らぎすら漂っている。農作業とは、そんなものなのだ。生きていくために必要な労働であり、やがて実る作物を思い描きながら行う辛抱強い行為。
その中でも、与平(よへい)は一際目立っていた。彼は村一番の肥料撒きの名手として知られており、彼の手で撒かれた糞尿は他の誰よりも均等で、稲の生長を支える養分を完璧に与えると評判だった。だが、そんな与平にも悩みがあった。彼は毎年この季節が来るたび、肥料撒きの重労働に体が悲鳴を上げるのを感じていた。若い頃は、体力には自信があったが、年を重ねるにつれ、それが徐々に失われていくのを実感する。
「やれやれ、今年も始まったか」与平は腰に手を当て、目の前に広がる田んぼを見渡す。村の隅にある肥溜めから、今日も糞尿を汲み出し、それを田んぼに撒く。臭いは鼻をつくが、与平は慣れた手つきでそれを軽々と運んだ。肥料がなければ、稲は育たない。だが、この糞尿を扱う仕事は決して誰もがやりたいとは思わない。むしろ、嫌がられる仕事だった。だからこそ、与平のような者が必要だった。
「与平さん、今年もお疲れ様ですな」
隣の田んぼで働いていた若者、太郎が声をかけてくる。まだ二十歳そこそこの彼は、働き盛りであり、肥料撒きに疲れる素振りも見せない。
「おう、太郎。若いお前には分からんだろうが、この歳になると腰が言うことを聞かんのさ」与平は冗談めかして笑った。
「いやいや、与平さんほどの腕を持った人はいませんよ。今年もいい稲ができるに違いない」
太郎の言葉に与平は少しだけ肩の力を抜いた。確かに、長年この村で働いてきた自分の技術には自信がある。だが、それでも年々、体力が衰えていくのを感じると、どうしても不安になるのだ。いつか自分がこの仕事を続けられなくなる日が来るのではないか、と。
「ところで、与平さん、最近はどうです?調子は」太郎がふと尋ねる。
「まあ、悪くはないが、やっぱり歳には勝てんよ。腰が痛いし、夜になると膝もガクガクだ」
「それでも、この村で与平さんにかなう人はいませんよ。俺たち若い者が追いつくには、まだまだ時間がかかりそうです」
太郎の言葉に与平は少し照れくさそうに笑った。確かに、自分の技術が若い者に尊敬されていることは嬉しい。だが、彼はそれ以上に、自分の技術を次の世代に伝えることに意義を感じていた。自分がいなくなった後も、この村の田んぼは豊かに実り続けるのだろうか?そんな思いが、彼の心の片隅にいつもあった。
その日の夕方、与平は家に帰ると、妻の千代が夕飯を用意して待っていた。粗末だが温かい食事を前に、与平はふと、村の未来について考える。
「なあ、千代。俺ももう歳だ。いつまでもこの仕事を続けるわけにはいかんだろう」
千代は箸を止め、与平をじっと見つめた。
「そんなこと言わんでよ。まだまだ元気なんだから、与平さんならやれるさ」
「そうかもしれんが、若い連中が育たんことには、この村もいつかは終わりだ」
「それなら、若い人たちにもっと教えてあげればいいじゃないの。与平さんの知識や技術を、ちゃんと伝えなきゃ」
千代の言葉に、与平は少しだけ救われた気がした。確かに、自分ができることはまだある。自分がこの村で培ってきた技術を若い者に伝えること、それが今の自分にできる最も大切な仕事だ。
その夜、与平は疲れた体を横たえながら、明日もまた糞尿を撒くための力を蓄えた。彼はただの農夫かもしれないが、この村の未来を支えるために、自分ができることをし続ける。それが与平にとっての生き甲斐だった。
「俺はまだ、やれるさ」
そう自分に言い聞かせ、与平は深い眠りに落ちた。
川沿いの田んぼには、秋の収穫に向けた準備が着々と進んでいた。村の男たちは鍬を持ち、肥料を撒きに精を出している。彼らの中には、毎日がただ同じことの繰り返しだと嘆く者もいたが、その反面、黙々と作業をこなす者たちの表情には、どこか達観した安らぎすら漂っている。農作業とは、そんなものなのだ。生きていくために必要な労働であり、やがて実る作物を思い描きながら行う辛抱強い行為。
その中でも、与平(よへい)は一際目立っていた。彼は村一番の肥料撒きの名手として知られており、彼の手で撒かれた糞尿は他の誰よりも均等で、稲の生長を支える養分を完璧に与えると評判だった。だが、そんな与平にも悩みがあった。彼は毎年この季節が来るたび、肥料撒きの重労働に体が悲鳴を上げるのを感じていた。若い頃は、体力には自信があったが、年を重ねるにつれ、それが徐々に失われていくのを実感する。
「やれやれ、今年も始まったか」与平は腰に手を当て、目の前に広がる田んぼを見渡す。村の隅にある肥溜めから、今日も糞尿を汲み出し、それを田んぼに撒く。臭いは鼻をつくが、与平は慣れた手つきでそれを軽々と運んだ。肥料がなければ、稲は育たない。だが、この糞尿を扱う仕事は決して誰もがやりたいとは思わない。むしろ、嫌がられる仕事だった。だからこそ、与平のような者が必要だった。
「与平さん、今年もお疲れ様ですな」
隣の田んぼで働いていた若者、太郎が声をかけてくる。まだ二十歳そこそこの彼は、働き盛りであり、肥料撒きに疲れる素振りも見せない。
「おう、太郎。若いお前には分からんだろうが、この歳になると腰が言うことを聞かんのさ」与平は冗談めかして笑った。
「いやいや、与平さんほどの腕を持った人はいませんよ。今年もいい稲ができるに違いない」
太郎の言葉に与平は少しだけ肩の力を抜いた。確かに、長年この村で働いてきた自分の技術には自信がある。だが、それでも年々、体力が衰えていくのを感じると、どうしても不安になるのだ。いつか自分がこの仕事を続けられなくなる日が来るのではないか、と。
「ところで、与平さん、最近はどうです?調子は」太郎がふと尋ねる。
「まあ、悪くはないが、やっぱり歳には勝てんよ。腰が痛いし、夜になると膝もガクガクだ」
「それでも、この村で与平さんにかなう人はいませんよ。俺たち若い者が追いつくには、まだまだ時間がかかりそうです」
太郎の言葉に与平は少し照れくさそうに笑った。確かに、自分の技術が若い者に尊敬されていることは嬉しい。だが、彼はそれ以上に、自分の技術を次の世代に伝えることに意義を感じていた。自分がいなくなった後も、この村の田んぼは豊かに実り続けるのだろうか?そんな思いが、彼の心の片隅にいつもあった。
その日の夕方、与平は家に帰ると、妻の千代が夕飯を用意して待っていた。粗末だが温かい食事を前に、与平はふと、村の未来について考える。
「なあ、千代。俺ももう歳だ。いつまでもこの仕事を続けるわけにはいかんだろう」
千代は箸を止め、与平をじっと見つめた。
「そんなこと言わんでよ。まだまだ元気なんだから、与平さんならやれるさ」
「そうかもしれんが、若い連中が育たんことには、この村もいつかは終わりだ」
「それなら、若い人たちにもっと教えてあげればいいじゃないの。与平さんの知識や技術を、ちゃんと伝えなきゃ」
千代の言葉に、与平は少しだけ救われた気がした。確かに、自分ができることはまだある。自分がこの村で培ってきた技術を若い者に伝えること、それが今の自分にできる最も大切な仕事だ。
その夜、与平は疲れた体を横たえながら、明日もまた糞尿を撒くための力を蓄えた。彼はただの農夫かもしれないが、この村の未来を支えるために、自分ができることをし続ける。それが与平にとっての生き甲斐だった。
「俺はまだ、やれるさ」
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