上 下
67 / 231

67

しおりを挟む
みるくの家の近所にバラの館がある。

大きなマンションをいくつも有しておられて、

今はバラをまったりと手入れされている素敵なおじさま。

去年の秋、長雨が続いた。

「消毒大変じゃないですか」

「添付剤があるから……」

「燻炭やわらやヤシガラなどのマルチングしたほうがよくないですか」

「毎週、丁寧に消毒してるから平気だよ」

このおじさまは、とっても素敵な方だけど

少し頑固なのかな。

黒点病の恐ろしさを知らないのかも……。

消毒薬も、耐性ができないように何種類も買って工夫しておられるようだが、

薔薇の病気になりやすさったら、あざ笑うように

新型感染症のようにすさまじいものがある。

まして、腐葉土を漉き込んだり、天地ガエシをしたりしていないと、

土壌からの悪影響を逃れるのは難しい。

無事に冬を迎えることができるように

秋薔薇の深みのある色合いを愉しめるように

心から祈っていたのだが……。

案の定、何日かして尋ねると無残なまでに黒点病で打ちのめされ、

葉を落とした裸に近いバラの幹がたくさんあった。

痛々しそう……。

みるくは見てるのも耐えられなくて、少しだけ言葉を交わし、

早々に立ち去ったのだが、

我が子が病気になったように悲しみに打ちのめされたおじさまの姿を

見てるのは忍びなかった。

わたしだったら、天を呪っていたかもしれない。

わたしだったら、悲しみのあまり重い気分障害になっていたかも。

それでも、やっぱり気になって毎月のようにわざわざそこに出かけていた。

秋霖の時が過ぎ、去年の秋薔薇はぽつりぽつりとまばらだった。

長い冬を越して、少しずつ暖かくなり、

長く伸びた枝が剪定され、誘引されて

姿を変えていく。

新芽が出て、蕾を付け、シュートを伸ばし、

勢いを増していく。

そして、5月。

輝くばかりのバラの花園は見事に復活した。

芳香に思わず深呼吸してしまう。

この半年のおじさまの苦労を想うとき、

あの泣きそうな悲しみがあったから、

このバラたちはおじさまにとって

かつてないほど、輝いて見えるのだろう。

あの苦しみがあったからこそ、

今、喜びで満たされるのだろう。

順調に育った時の何倍もの歓喜に満たされているのだろう。

「バラたちも素晴らしい。

でも、あきらめなかったオジサマはもっと素晴らしい」

おじさまの瞳からは一筋の美しい涙が頬を伝う。

「見ててくださったんですね」

「はい、お祈りしていました。応援していました」

「おっしゃる通り、マルチング頑張っています」

そうね、マルチングすると泥が跳ねるのを防げるものね。

見渡す限りのバラの海におじさまと二人で

至福のハーブティーを頂きました。

投げちゃダメ

逃げちゃダメ

問題が起きたときに、問題が起きたことが問題じゃなくて

問題にどう対処するかが問題なのだから……。

ありがとうございます。


君のバラが、君にとって
かけがえのないものになったのは、
君がバラのために
費やした時間のためなんだ

大切な物は目に見えない

サン=テグジュペリの『星の王子さま』

何時の日か、達也さんと一緒にバラのお手入れとかできたら幸せだな。


お気に入り 1
初回公開日時 2021.08.15 22:28
更新日時 2021.08.19 08:08
文字数(公開) 91,148
文字数(非公開) 0
24h.ポイント 1,442 pt (1,189位)
週間ポイント 1,541 pt (6,039位)
月間ポイント 1,541 pt (15,973位)
年間ポイント 1,541 pt (55,924位)
累計ポイント 8,601 pt (45,286位)
しおりを挟む

処理中です...