感情

春秋花壇

文字の大きさ
上 下
193 / 234

信頼

しおりを挟む
【信頼】

高橋健一は、長年にわたり勤めてきた会社での信頼を失うことは、自分にとって最大の恐怖だった。誠実に仕事に取り組み、同僚や上司からの信頼を得てきた彼は、50歳を迎える頃には営業部の中核として周囲から一目置かれる存在となっていた。

しかし、そんな彼にもある日突然、大きな転機が訪れた。会社の業績悪化に伴い、リストラの話が持ち上がったのだ。最初は自分とは無関係だと信じていた。自分はこれまでずっと真面目に働き、成果も上げてきた。社内でも信頼されているはずだ。そんな確信があった。

だが、ある朝、上司の田中から呼び出され、健一の予想外の話を聞かされることになった。

「高橋さん、今回のリストラ候補に名前が挙がっています。」

一瞬、何を言われたのかわからなかった。健一は愕然とし、思わず口をつぐんだ。社内での信頼が高いと感じていた自分が、どうしてリストラ候補に入るのか。何かの間違いだろう、と自分に言い聞かせようとしたが、現実は残酷だった。

「なぜ…ですか?」健一は、かすれた声で聞いた。

田中は一瞬、言葉を選ぶように黙り込んだ。そして、ゆっくりとした口調で話し始めた。

「高橋さんがこれまで会社に貢献してきたことは、皆が認めています。しかし…今の会社の状況では、年齢や役職に応じた給料が厳しい。私も苦しいですが、決定を覆すのは難しいんです。」

健一は、自分が年齢と経済的な事情で切り捨てられようとしていることを悟った。これまで信じていた「信頼」とは、業績や結果に基づくものであって、個人の存在そのものを保証するものではなかったのだ。信頼というものは、今この瞬間、目の前で崩れ去ろうとしているかのように感じられた。

家に帰ると、妻の彩子が心配そうに彼を出迎えた。健一は無言で部屋に入り、ソファに深く腰を下ろした。信頼を失う恐怖と、自分自身の価値が揺らいでいる感覚が、重くのしかかってきた。

「どうしたの?今日はいつもより疲れてるみたい。」彩子は優しく問いかけた。

「リストラ候補に入ってしまったんだ。」健一は、絞り出すように答えた。

彩子は一瞬、言葉を失ったが、すぐに健一のそばに座り、その手を握った。「それでも、あなたが今まで積み上げてきたことは、変わらないわ。どんな結果になったとしても、私たちは一緒に乗り越えられる。」

健一は、彩子の言葉に涙が溢れそうになった。彼は、仕事を通じて得た信頼ばかりを追い求めていたが、最も大切なものはすぐそばにあったのだと気づかされた。彩子は何も変わらず、自分を信じ、支えてくれている。

数週間が過ぎ、健一は自分の去就について考え続けた。会社に居続けるために、どんなに努力しても信頼を取り戻せないのなら、別の道を探すしかないのかもしれない。しかし、そこでまた彼は彩子の言葉を思い出した。

「信頼とは、結果だけで築かれるものではない。お互いを信じ、支え合う心が根底にあるものだ。」

それを考えるうちに、健一は次の一歩を踏み出す覚悟ができた。彼はリストラという不安に立ち向かうために、自分自身の価値や経験を信じることを選んだ。そして、彩子と共に新たなスタートを切る準備を進めた。

最終的に、健一は自ら退職を決意し、新しい挑戦に踏み出すことを決めた。小さな会社の経営コンサルタントとして、これまで培ってきた経験と知識を活かす道を選んだのだ。

数年後、彼は多くの中小企業から信頼を得るコンサルタントとして成功を収めていた。その道のりは決して平坦ではなかったが、彼には一つの確信があった。それは、信頼は単なる業績や肩書きではなく、相手を信じ、相手に誠実であることから生まれるということだった。

そして、彼のそばには、いつも彩子がいた。彼女の支えが、健一にとっての真の信頼の象徴だった。

「信頼は、壊れることもある。しかし、本当に大切な信頼は、一度壊れたとしても、必ず再び築き上げられる。」

健一はそう信じ、これからも前を向いて進んでいく決意を新たにした。









しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

隣の人妻としているいけないこと

ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。 そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。 しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。 彼女の夫がしかけたものと思われ…

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

処理中です...