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その他の悪役令嬢たち
守銭奴の日野富子
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「守銭奴の日野富子」
秋の深まる京の街並みに、薄紅色の雲が流れ、足利義政の妻・日野富子は、静かに目を閉じていた。義政の将軍としての力が日々衰え、彼の後継者問題が宮廷を震撼させるなか、富子は心の中で綿密な計算を重ねていた。
彼女の人生は、激流に流されることを嫌うその強い意思によって彩られていた。子を産んだものの、男の子を早々に失った時、富子は自らの運命を呪ったが、その怒りはすぐに他者への復讐心に転じた。義政の乳母を呪詛した者として追放し、将軍家の後継問題に絡む多くの側室を冷酷に宮廷から排除していった。だが、それで終わりではなかった。富子の欲望は、ついに彼女の生んだ子を次の将軍にするという無謀な計画に進んでいった。
応仁の乱――富子が投じた小さな火花が、瞬く間に京の都を巻き込んで戦乱の業火となった。彼女はその戦いのさなか、自らの実家・日野家の財力を使い、金融業を開始する。そして、驚くべきことに、自軍だけでなく敵対する軍にも高利で金を貸しつけ、利益を手にするという暴挙に出た。富子はその資金を京に至る関所の関税としても徴収し、国家への上納を避けて私腹を肥やしていった。
都の修繕に費やされるはずの資金を吸い取られた寺社や住民は、富子に対する怒りを募らせたが、彼女の野心は、止むことを知らなかった。富子は関税から得た莫大な財をため込み、その権力をますます強固なものとする。どれだけ人々が嘆き、京の都が荒廃しようとも、彼女の心には何の変化もなかった。
義政がついに将軍の座を息子に譲り、富子は「母」としての立場を利用し、権力の頂点に立った。その実権を揺るぎないものにするために、影で動く富子の姿は、周囲には冷徹な影そのものであった。しかし、頼みの綱であった息子も25歳で死去し、富子の権力は一瞬にして脅かされた。
彼女は考え抜いた末に、義政の弟の子を将軍から追い落とし、新たな甥を将軍に据えた(明応の政変)。新たな将軍・義澄を傀儡とし、富子は裏で室町幕府を操り続けた。かつて京の貧しい民が彼女に反旗を翻したことを、彼女は忘れていなかった。その報復のように、自らの金庫に貯めこんだ金は膨れ上がり、現代の価値で100億にも及ぶと言われている。
夫・義政が銀閣寺を建てると、富子は援助の手を一銭も差し出さなかった。義政が求めた銀箔を施すための資金は、富子の元には決して届かず、銀閣寺はその名に反し銀箔を貼らぬまま完成した。こうして、富子はついに「守銭奴」の悪名を背負いながらも、己の財力と権力を維持し続けたのである。
晩年の富子は、陰りゆく月を見上げた。人々が憎しみと恐れを抱く中で、彼女はただ一人、己の孤独と共に歩んでいった。誰に愛されることもなく、何一つ残すこともなく、ただ蓄えた財だけが彼女の生きた証となった。
夜が更けると、富子は広い屋敷の中で、一人静かに燭台の明かりを見つめていた。炎の揺らぎに映し出される影の奥で、彼女の心は波打っていた。財に執着するあまり、冷酷に見られてきた自分。それでも、なぜこんなにも金銭に執着してしまうのか──その問いの答えを、富子自身も明確には持ち合わせていなかった。
生まれつき富子は、ある種の不安を抱えて生きていた。将軍家に嫁いだものの、義政は芸術を愛し、政治に関心を持たなかった。すぐに亡くなってしまった最初の息子も、結局は流れに押し流されるかのように消え去った。富子の目には、誰一人として彼女の孤独を理解し、支えとなる者はいなかった。
義政の無関心と、宮廷内での冷ややかな視線が、富子に何かを証明するよう強いるきっかけとなった。自分が「存在する価値」を持つためには、何か不変の力が必要だった。富子が選んだその手段が、金だったのだ。金は彼女にとって、形あるものの中で唯一の「絶対」であり、誰にも奪われることのない力の象徴だった。
また、富子は宮廷における身分の上下や感情の移り変わりの激しさを何度も見てきた。その中で愛情も信用も儚く消えてしまうということを学んだ彼女にとって、人の心に頼ることは愚かに見えた。金さえあれば、誰もが自分に膝を屈し、必要な時に必要な者を手元に置くことができる。裏切りのない、それが富子の求める安心感だったのだ。
そして、彼女が応仁の乱をも金儲けの手段として利用したのも、富子の心の奥底にある不安から来ていた。乱が続く限り、彼女が関所や金融業から得る収入は途絶えることがない。それに対し、戦が終われば、何もかもが元の平穏に戻る。そうなれば、権力も財力も、時の流れに飲み込まれて消え去ってしまうかもしれないという不安があったのだ。
だからこそ、富子は貪るように財を蓄え続けた。どれだけ民が苦しもうと、自分がその中で安定を確保できるならば、その苦悩を知る必要もなかった。人々が失った家や食事よりも、彼女にとっては「権力に代わる不変の存在」が優先されるべきものだったのだ。
息子が死んだ後、彼女が「明応の政変」を起こしてまで権力に固執したのも同じ理由だった。孤独と不安の中で、誰も信じられず、誰も頼りにできなかった富子にとって、金と権力は唯一の拠り所だった。そしてそれは、裏返せば彼女の抱えた脆さの象徴でもあった。
晩年、富子は月の光が朧に差し込む庭を見下ろしながら、時折自分に問いかけることがあった。「この財も、権力も、私に何を残してくれるのだろうか」と。冷たい空気の中で問いかけられた言葉は、虚空に消え、答えは返ってこなかった。彼女がその答えを求めているのか、それともその答えを恐れているのか、それさえも曖昧なままで。
それでも富子は、最後まで金を手放さなかった。彼女の心の奥深くに潜む恐れと孤独は、財産の重みによって、かろうじて癒されているかのようだった。誰にも頼れない人生の中で、金だけが彼女の心の拠り所となり、無情の「守銭奴」としての道を突き進むことで、富子はその不安を覆い隠し続けたのである。
(周囲との関係)
富子の生涯は、常に誰かの影に潜むようなものであった。将軍足利義政との関係も、その象徴だったと言える。結婚した当初、富子は義政が新しい世を切り拓く将軍になることを期待し、彼の隣で支えとなることを夢見ていた。しかし、義政は政治の困難から距離を置き、芸術や詩歌の世界に逃げ込んだ。新しい寺院を建てることや庭園を整えることに心血を注ぐ彼の姿は、富子には浮世離れしたものに映った。
「どうして、この人は現実を見ないのか…」と富子は何度も自分に問うた。義政にとって富子は、政治の話をする相手ではなかった。夫婦でありながら、二人の心の間には深い隔たりができていた。富子が将軍家の財政を心配して進言をしても、義政はただ微笑むだけで、彼女の不安には耳を傾けることはなかった。
そのため、富子は義政に対して徐々に失望し、次第に冷ややかな目で彼を見つめるようになった。「私がこの家を守らなければ…」と富子は密かに決意を固めたが、その決意の背景には、夫への愛情が薄れゆく哀しみも隠れていた。
そんな中で、彼女がやっと手に入れた息子の義尚(よしひさ)は、富子にとって唯一の希望となった。しかし、将軍の妻として迎えた富子にとっても、息子はただの子ではなく、将来の将軍としての象徴だった。母としての愛情と将軍家の後継者としての期待が、義尚との関係を複雑にしていった。
義尚が成長するにつれ、富子はますます彼を厳しく育てた。彼女の心には、「あの頼りない義政のように、夢見るだけの人間にはさせたくない」という決意があった。しかしその反面、義尚がやがて成人するにつれて、彼女との距離は次第に広がっていった。彼は母の期待とプレッシャーに応えようとしたが、その心の中には次第に反発と孤独が芽生え始めていたのだ。
ある日、富子は義尚が義政のように和歌に没頭する姿を目にした。その光景に、彼女は衝撃を受けた。「また、父親と同じ道を歩んでしまうのではないか?」という不安が胸をかきむしった。しかし、息子に直接その気持ちをぶつけることはなかった。息子の幸せと、将軍家を守る重責との間で揺れる彼女の心は、ついに息子に真の愛情を注ぐことを許さなかった。
やがて義尚が戦の場に赴き、病に倒れた時も、富子は息子に寄り添うことができなかった。むしろ、彼が将軍職にある以上、弱さを見せるべきではないと心を鬼にして彼を励まそうとした。しかし、息子にとってそれは母親の愛情ではなく、無理強いと感じられたかもしれない。義尚が25歳で亡くなったとき、富子の心にはぽっかりと穴が開いた。その喪失感は、彼女の中にある孤独を一層深め、金に対する執着をますます強める結果となった。
周囲の家臣たちもまた、富子に対して心の底から敬意を抱いている者は少なかった。特に富子の莫大な財産が、彼女の権力の源泉であることは誰もが知っていた。そのため、家臣たちは彼女の意向には従ったが、それは忠誠というよりも恐怖や金銭的な利害に基づいたものであった。彼女がどれだけ金を配ろうとも、彼らは陰で富子の噂話をし、時にはその行動を非難した。
富子にとっては、周囲が自分に本当の信頼を寄せていないことを理解していたが、それでも彼女は「信頼よりも従わせることが重要」と割り切った。結果として、彼女はますます孤立し、愛する者も信じる者もいない「悪女」としての道を進んでいったのである。
晩年、富子が義政の銀閣寺に一銭も援助をしなかったのも、彼女なりの抵抗だったのかもしれない。彼女がどれだけ財産を築いても、義政や義尚との関係における孤独や不満を埋めることはできなかった。財産を抱え込みながらも、その心はまるで捨てられたように冷たく、どこにも居場所のない心境であった。
日野富子は生涯にわたって権力を求め、金に執着し続けたが、その奥底には満たされない愛情と信頼への渇望があった。しかし、彼女の選んだ道はその孤独を深めるばかりで、最終的には誰にも寄り添われることなく、時代の陰で静かに消えていった。
(歴史への影響)
日野富子の行動は、単なる「悪女」の物語にとどまらず、室町幕府の命運を左右し、ひいては日本全土を戦乱の渦に巻き込む一因となった。彼女の過剰なまでの権力欲と資産への執着は、幕府内のバランスを崩し、統治の根幹を揺るがす結果を招いた。義政の時代に始まった応仁の乱は、その典型的な例であり、富子が積極的にその火種を巻き起こし、さらに乱の延命を図ったことは、室町幕府の衰退に大きな影響を及ぼした。
応仁の乱は、義政が後継を弟義視(よしみ)に譲ろうとする一方で、富子が生んだ息子の義尚を後継者に据えようと画策したことから生じた。この二つの勢力が、幕府の内外で支持者を分け、それぞれの派閥が争う形で戦争が拡大した。富子は金を武器に、自らの派閥を支援したが、敵対する西軍にも融資し、戦火が収まらないように自らの利益に合わせて火を煽り続けた。この戦略によって、乱は11年にも及び、京の町や周辺の領地を荒廃させた。
さらに富子の行動が、戦国時代の到来に大きな影響を与えたのは、戦乱により幕府の権威が失墜し、各地の守護大名たちが自立の道を歩み始めたことだ。幕府はもはや全国を支配する力を失い、各地での群雄割拠が始まった。富子が将軍家の権力基盤を拡充するために築いたはずの金権政治は、皮肉にも幕府そのものを衰退させ、各大名が力を持つ戦国時代の引き金となった。室町幕府の統治に限界があることを大名たちは悟り、彼らは自らの領土と家名を守るために、独立性を高めざるを得なくなったのである。
加えて、富子が関税を独占し、民から重税を徴収して私腹を肥やしていたことも、民衆の反感を招いた。これにより、幕府や公家への信頼が失われ、人々は武家や地方の豪族を頼るようになっていった。富子の経済的な圧政は、中央集権の力を弱め、地方分権の機運を高めた。こうした政治的混乱が、最終的には信長や秀吉、家康の時代の到来へとつながり、日本の社会構造そのものを根底から変えることとなった。
富子の晩年、彼女が義政の甥・義澄を将軍に据えるために政変を引き起こし、自らが幕府の裏から手綱を握ろうとした時も、民衆や家臣たちの支持はすでに失われていた。義澄もまた富子の期待に応えることができず、室町幕府は次第に力を失い、やがて滅びの道を辿ることになった。彼女の行動は幕府を強化するどころか、逆に幕府の内部を分裂させ、統治能力を損なう結果となったのだ。
日野富子の人生を振り返ると、彼女はただ一人の「悪女」というだけでなく、日本史において幕府体制が変わり、戦国時代の幕開けを促す要因となった人物と言える。富子が放った炎は、たとえ意図していなくても、旧来の体制を焼き尽くし、新しい時代の到来を促す結果となった。彼女の冷酷で利己的な行動は、ある種の歴史的「触媒」として働き、幕府の崩壊と新しい権力の誕生を招いたのである。
このようにして富子は、皮肉にも時代を変える役割を担うこととなった。彼女が「悪女」として語られる背景には、単なる権力欲や金銭への執着だけではなく、その行動が日本の歴史に決定的な影響を与えたからこそ、後世においてもなお語り継がれているのかもしれない。
秋の深まる京の街並みに、薄紅色の雲が流れ、足利義政の妻・日野富子は、静かに目を閉じていた。義政の将軍としての力が日々衰え、彼の後継者問題が宮廷を震撼させるなか、富子は心の中で綿密な計算を重ねていた。
彼女の人生は、激流に流されることを嫌うその強い意思によって彩られていた。子を産んだものの、男の子を早々に失った時、富子は自らの運命を呪ったが、その怒りはすぐに他者への復讐心に転じた。義政の乳母を呪詛した者として追放し、将軍家の後継問題に絡む多くの側室を冷酷に宮廷から排除していった。だが、それで終わりではなかった。富子の欲望は、ついに彼女の生んだ子を次の将軍にするという無謀な計画に進んでいった。
応仁の乱――富子が投じた小さな火花が、瞬く間に京の都を巻き込んで戦乱の業火となった。彼女はその戦いのさなか、自らの実家・日野家の財力を使い、金融業を開始する。そして、驚くべきことに、自軍だけでなく敵対する軍にも高利で金を貸しつけ、利益を手にするという暴挙に出た。富子はその資金を京に至る関所の関税としても徴収し、国家への上納を避けて私腹を肥やしていった。
都の修繕に費やされるはずの資金を吸い取られた寺社や住民は、富子に対する怒りを募らせたが、彼女の野心は、止むことを知らなかった。富子は関税から得た莫大な財をため込み、その権力をますます強固なものとする。どれだけ人々が嘆き、京の都が荒廃しようとも、彼女の心には何の変化もなかった。
義政がついに将軍の座を息子に譲り、富子は「母」としての立場を利用し、権力の頂点に立った。その実権を揺るぎないものにするために、影で動く富子の姿は、周囲には冷徹な影そのものであった。しかし、頼みの綱であった息子も25歳で死去し、富子の権力は一瞬にして脅かされた。
彼女は考え抜いた末に、義政の弟の子を将軍から追い落とし、新たな甥を将軍に据えた(明応の政変)。新たな将軍・義澄を傀儡とし、富子は裏で室町幕府を操り続けた。かつて京の貧しい民が彼女に反旗を翻したことを、彼女は忘れていなかった。その報復のように、自らの金庫に貯めこんだ金は膨れ上がり、現代の価値で100億にも及ぶと言われている。
夫・義政が銀閣寺を建てると、富子は援助の手を一銭も差し出さなかった。義政が求めた銀箔を施すための資金は、富子の元には決して届かず、銀閣寺はその名に反し銀箔を貼らぬまま完成した。こうして、富子はついに「守銭奴」の悪名を背負いながらも、己の財力と権力を維持し続けたのである。
晩年の富子は、陰りゆく月を見上げた。人々が憎しみと恐れを抱く中で、彼女はただ一人、己の孤独と共に歩んでいった。誰に愛されることもなく、何一つ残すこともなく、ただ蓄えた財だけが彼女の生きた証となった。
夜が更けると、富子は広い屋敷の中で、一人静かに燭台の明かりを見つめていた。炎の揺らぎに映し出される影の奥で、彼女の心は波打っていた。財に執着するあまり、冷酷に見られてきた自分。それでも、なぜこんなにも金銭に執着してしまうのか──その問いの答えを、富子自身も明確には持ち合わせていなかった。
生まれつき富子は、ある種の不安を抱えて生きていた。将軍家に嫁いだものの、義政は芸術を愛し、政治に関心を持たなかった。すぐに亡くなってしまった最初の息子も、結局は流れに押し流されるかのように消え去った。富子の目には、誰一人として彼女の孤独を理解し、支えとなる者はいなかった。
義政の無関心と、宮廷内での冷ややかな視線が、富子に何かを証明するよう強いるきっかけとなった。自分が「存在する価値」を持つためには、何か不変の力が必要だった。富子が選んだその手段が、金だったのだ。金は彼女にとって、形あるものの中で唯一の「絶対」であり、誰にも奪われることのない力の象徴だった。
また、富子は宮廷における身分の上下や感情の移り変わりの激しさを何度も見てきた。その中で愛情も信用も儚く消えてしまうということを学んだ彼女にとって、人の心に頼ることは愚かに見えた。金さえあれば、誰もが自分に膝を屈し、必要な時に必要な者を手元に置くことができる。裏切りのない、それが富子の求める安心感だったのだ。
そして、彼女が応仁の乱をも金儲けの手段として利用したのも、富子の心の奥底にある不安から来ていた。乱が続く限り、彼女が関所や金融業から得る収入は途絶えることがない。それに対し、戦が終われば、何もかもが元の平穏に戻る。そうなれば、権力も財力も、時の流れに飲み込まれて消え去ってしまうかもしれないという不安があったのだ。
だからこそ、富子は貪るように財を蓄え続けた。どれだけ民が苦しもうと、自分がその中で安定を確保できるならば、その苦悩を知る必要もなかった。人々が失った家や食事よりも、彼女にとっては「権力に代わる不変の存在」が優先されるべきものだったのだ。
息子が死んだ後、彼女が「明応の政変」を起こしてまで権力に固執したのも同じ理由だった。孤独と不安の中で、誰も信じられず、誰も頼りにできなかった富子にとって、金と権力は唯一の拠り所だった。そしてそれは、裏返せば彼女の抱えた脆さの象徴でもあった。
晩年、富子は月の光が朧に差し込む庭を見下ろしながら、時折自分に問いかけることがあった。「この財も、権力も、私に何を残してくれるのだろうか」と。冷たい空気の中で問いかけられた言葉は、虚空に消え、答えは返ってこなかった。彼女がその答えを求めているのか、それともその答えを恐れているのか、それさえも曖昧なままで。
それでも富子は、最後まで金を手放さなかった。彼女の心の奥深くに潜む恐れと孤独は、財産の重みによって、かろうじて癒されているかのようだった。誰にも頼れない人生の中で、金だけが彼女の心の拠り所となり、無情の「守銭奴」としての道を突き進むことで、富子はその不安を覆い隠し続けたのである。
(周囲との関係)
富子の生涯は、常に誰かの影に潜むようなものであった。将軍足利義政との関係も、その象徴だったと言える。結婚した当初、富子は義政が新しい世を切り拓く将軍になることを期待し、彼の隣で支えとなることを夢見ていた。しかし、義政は政治の困難から距離を置き、芸術や詩歌の世界に逃げ込んだ。新しい寺院を建てることや庭園を整えることに心血を注ぐ彼の姿は、富子には浮世離れしたものに映った。
「どうして、この人は現実を見ないのか…」と富子は何度も自分に問うた。義政にとって富子は、政治の話をする相手ではなかった。夫婦でありながら、二人の心の間には深い隔たりができていた。富子が将軍家の財政を心配して進言をしても、義政はただ微笑むだけで、彼女の不安には耳を傾けることはなかった。
そのため、富子は義政に対して徐々に失望し、次第に冷ややかな目で彼を見つめるようになった。「私がこの家を守らなければ…」と富子は密かに決意を固めたが、その決意の背景には、夫への愛情が薄れゆく哀しみも隠れていた。
そんな中で、彼女がやっと手に入れた息子の義尚(よしひさ)は、富子にとって唯一の希望となった。しかし、将軍の妻として迎えた富子にとっても、息子はただの子ではなく、将来の将軍としての象徴だった。母としての愛情と将軍家の後継者としての期待が、義尚との関係を複雑にしていった。
義尚が成長するにつれ、富子はますます彼を厳しく育てた。彼女の心には、「あの頼りない義政のように、夢見るだけの人間にはさせたくない」という決意があった。しかしその反面、義尚がやがて成人するにつれて、彼女との距離は次第に広がっていった。彼は母の期待とプレッシャーに応えようとしたが、その心の中には次第に反発と孤独が芽生え始めていたのだ。
ある日、富子は義尚が義政のように和歌に没頭する姿を目にした。その光景に、彼女は衝撃を受けた。「また、父親と同じ道を歩んでしまうのではないか?」という不安が胸をかきむしった。しかし、息子に直接その気持ちをぶつけることはなかった。息子の幸せと、将軍家を守る重責との間で揺れる彼女の心は、ついに息子に真の愛情を注ぐことを許さなかった。
やがて義尚が戦の場に赴き、病に倒れた時も、富子は息子に寄り添うことができなかった。むしろ、彼が将軍職にある以上、弱さを見せるべきではないと心を鬼にして彼を励まそうとした。しかし、息子にとってそれは母親の愛情ではなく、無理強いと感じられたかもしれない。義尚が25歳で亡くなったとき、富子の心にはぽっかりと穴が開いた。その喪失感は、彼女の中にある孤独を一層深め、金に対する執着をますます強める結果となった。
周囲の家臣たちもまた、富子に対して心の底から敬意を抱いている者は少なかった。特に富子の莫大な財産が、彼女の権力の源泉であることは誰もが知っていた。そのため、家臣たちは彼女の意向には従ったが、それは忠誠というよりも恐怖や金銭的な利害に基づいたものであった。彼女がどれだけ金を配ろうとも、彼らは陰で富子の噂話をし、時にはその行動を非難した。
富子にとっては、周囲が自分に本当の信頼を寄せていないことを理解していたが、それでも彼女は「信頼よりも従わせることが重要」と割り切った。結果として、彼女はますます孤立し、愛する者も信じる者もいない「悪女」としての道を進んでいったのである。
晩年、富子が義政の銀閣寺に一銭も援助をしなかったのも、彼女なりの抵抗だったのかもしれない。彼女がどれだけ財産を築いても、義政や義尚との関係における孤独や不満を埋めることはできなかった。財産を抱え込みながらも、その心はまるで捨てられたように冷たく、どこにも居場所のない心境であった。
日野富子は生涯にわたって権力を求め、金に執着し続けたが、その奥底には満たされない愛情と信頼への渇望があった。しかし、彼女の選んだ道はその孤独を深めるばかりで、最終的には誰にも寄り添われることなく、時代の陰で静かに消えていった。
(歴史への影響)
日野富子の行動は、単なる「悪女」の物語にとどまらず、室町幕府の命運を左右し、ひいては日本全土を戦乱の渦に巻き込む一因となった。彼女の過剰なまでの権力欲と資産への執着は、幕府内のバランスを崩し、統治の根幹を揺るがす結果を招いた。義政の時代に始まった応仁の乱は、その典型的な例であり、富子が積極的にその火種を巻き起こし、さらに乱の延命を図ったことは、室町幕府の衰退に大きな影響を及ぼした。
応仁の乱は、義政が後継を弟義視(よしみ)に譲ろうとする一方で、富子が生んだ息子の義尚を後継者に据えようと画策したことから生じた。この二つの勢力が、幕府の内外で支持者を分け、それぞれの派閥が争う形で戦争が拡大した。富子は金を武器に、自らの派閥を支援したが、敵対する西軍にも融資し、戦火が収まらないように自らの利益に合わせて火を煽り続けた。この戦略によって、乱は11年にも及び、京の町や周辺の領地を荒廃させた。
さらに富子の行動が、戦国時代の到来に大きな影響を与えたのは、戦乱により幕府の権威が失墜し、各地の守護大名たちが自立の道を歩み始めたことだ。幕府はもはや全国を支配する力を失い、各地での群雄割拠が始まった。富子が将軍家の権力基盤を拡充するために築いたはずの金権政治は、皮肉にも幕府そのものを衰退させ、各大名が力を持つ戦国時代の引き金となった。室町幕府の統治に限界があることを大名たちは悟り、彼らは自らの領土と家名を守るために、独立性を高めざるを得なくなったのである。
加えて、富子が関税を独占し、民から重税を徴収して私腹を肥やしていたことも、民衆の反感を招いた。これにより、幕府や公家への信頼が失われ、人々は武家や地方の豪族を頼るようになっていった。富子の経済的な圧政は、中央集権の力を弱め、地方分権の機運を高めた。こうした政治的混乱が、最終的には信長や秀吉、家康の時代の到来へとつながり、日本の社会構造そのものを根底から変えることとなった。
富子の晩年、彼女が義政の甥・義澄を将軍に据えるために政変を引き起こし、自らが幕府の裏から手綱を握ろうとした時も、民衆や家臣たちの支持はすでに失われていた。義澄もまた富子の期待に応えることができず、室町幕府は次第に力を失い、やがて滅びの道を辿ることになった。彼女の行動は幕府を強化するどころか、逆に幕府の内部を分裂させ、統治能力を損なう結果となったのだ。
日野富子の人生を振り返ると、彼女はただ一人の「悪女」というだけでなく、日本史において幕府体制が変わり、戦国時代の幕開けを促す要因となった人物と言える。富子が放った炎は、たとえ意図していなくても、旧来の体制を焼き尽くし、新しい時代の到来を促す結果となった。彼女の冷酷で利己的な行動は、ある種の歴史的「触媒」として働き、幕府の崩壊と新しい権力の誕生を招いたのである。
このようにして富子は、皮肉にも時代を変える役割を担うこととなった。彼女が「悪女」として語られる背景には、単なる権力欲や金銭への執着だけではなく、その行動が日本の歴史に決定的な影響を与えたからこそ、後世においてもなお語り継がれているのかもしれない。
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