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傾国の美貌、楊貴妃の嘆き

「傾国の美貌、楊貴妃の嘆き」

楊貴妃は、玄宗の命により長安の後宮に迎え入れられた夜のことを、今も忘れることができない。もともとは玄宗の息子の妻として名を馳せていた彼女だったが、玄宗がその美貌に魅了され、彼女は無理やり皇帝の側室として迎えられることとなった。周りの男たちは皆、彼女の美しさに心奪われ、いつしか彼女を中心とした宮廷ができあがっていた。

彼女が望むことはささやかな愛と平穏だけであったが、周囲の熱狂は次第に彼女の意志を越え、奔流のごとく膨れ上がっていった。皇帝はすっかり楊貴妃に夢中になり、彼女の一族、特に従兄の楊国忠を要職に就け、楊家の力を次第に増大させていく。日を追うごとに、楊貴妃は宮中での立場が増していく一方、重圧を感じるようになっていた。宮廷での生活は贅沢そのものであったが、彼女が一歩外に出れば、世間は彼女とその一族への嫉妬と憎しみで満ちていた。

「美貌とは、呪いのようなものだわ…」

楊貴妃はひそかに溜息をついた。日々、玄宗に愛される喜びと、それ以上に自分が王朝を揺るがす存在になりつつある恐怖が彼女を苦しめていた。ある夜、彼女は庭園に佇み、月光を浴びながら自身の運命を嘆いていた。ふと背後に誰かの気配を感じると、そこにいたのは玄宗だった。

「愛しい楊貴妃よ、なぜそんなにも憂いに沈んでいるのか？」

玄宗の優しい声に、楊貴妃は心の中で複雑な思いを抱えながらも微笑みを浮かべた。彼の温かな手が彼女の肩に触れ、安心感と共にわずかな恐怖が胸をかき乱す。しかし、楊貴妃は彼の前では口に出すことができなかった。もし、自らの心中を打ち明ければ、彼がまた新たな憂いを抱えてしまうと知っていたからだ。

「何も心配いりません。私はただ、この美しい庭園で、月の光に浸りたかっただけです」

その言葉に、玄宗は満足したかのように微笑み、彼女を優しく抱き寄せた。

しかし、その穏やかな日々は長くは続かなかった。宮廷内で権力を手にした楊国忠は、周囲に敵を作り出していた。そして、安禄山という将軍が楊国忠に不満を募らせ、やがてそれが宮廷を揺るがす反乱へと発展していった。時が経つにつれ、長安の平穏は破られ、街は恐怖に包まれるようになった。

やがて、反乱が本格化し、玄宗と楊貴妃は長安から逃れることを余儀なくされた。その道中、反乱軍の攻撃が次第に迫り、臣下たちは彼女を「国を乱した元凶」と非難し始めた。楊貴妃は、自分自身に向けられる冷たい視線に胸を締め付けられながらも、ただ玄宗に寄り添うしかなかった。

そしてついに、反乱を鎮めようとする臣下たちは「楊貴妃を処罰すべきだ」と迫り、玄宗もまた苦悩の末、彼女の命を断つ決断を下した。彼の心中には未練と愛が渦巻いていただろうが、皇帝としての責務が彼を縛りつけていた。

楊貴妃は運命に抗うことなく、その夜、月明かりに照らされて静かに命を閉じた。彼女が望んだのは平穏であり、決して国家を揺るがすことではなかった。しかし、その美貌が生んだ狂おしい愛と争いの連鎖は、彼女の意志を超えて歴史の流れを変えてしまったのだった。

彼女の死後、玄宗は彼女への愛を忘れることができず、後に「長恨歌」として彼女を詠む詩が生まれた。楊貴妃が引き起こした波乱は、単なる美貌の影響ではなく、周囲の人間たちが彼女を巡って争い、己の欲望に翻弄された結果だったのだ。彼女は今も、人々の記憶の中で美しき「傾国の美女」として語り継がれているが、果たして彼女が本当に罪深い悪女であったのか、誰も知ることはない。

そして今宵もまた、月光が長安の廃墟を照らし、風が彼女の美しい面影をかすかに描き出しているかのようだった。