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春秋花壇

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白いカレー

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「白いカレー」

70歳の杉本徹は、誰にも気づかれずにひっそりと暮らしていた。毎日の生活は、数年前から変わり果てた。妻はとっくに他界し、子供たちは遠くで忙しくしていて、訪ねてくることは滅多にない。家の中には、古びた家具と散らかった書類、思い出がたくさん残っていた。しかし、それでも彼は毎日を懸命に過ごしていた。

ある冬の日、杉本はふとした思いつきで、長らく試していなかった「カレー」を作ることを決めた。しかし、普通のカレーではない。彼の頭に浮かんだのは、「白いカレー」だった。

台所に向かい、杉本はまず冷蔵庫を開けた。残り物の野菜、鶏肉、少しだけ残った牛乳――これらをどうにかしておいしい料理に変えようと考えたのだ。少しばかりのタイム、ガラムマサラ、ローズマリー、バジル、パセリ、コリアンダー、オレガノ、そしてゲッケイジュ(ローリエ)――家にあったハーブ類を取り出して、何か特別な一皿を作ることにした。

「これで、ちょっと特別な気分になれるだろう。」

杉本は、自分の年齢を気にすることなく、料理を楽しむことができる少数の人間の一人だ。体力が衰えてきたことは感じていたが、心の中ではまだ若いころのように夢を抱いていた。もちろん、金銭的にはかなり厳しい状況だった。しかし、食事だけは贅沢をしてもいいと思っていた。

お鍋に少しのオリーブオイルを引き、鶏肉と野菜をことことと煮込む。野菜から染み出る甘い香りと、鶏肉の脂が溶け出す音に、杉本の心がほっと温まる。タイム、ガラムマサラ、ローズマリー、バジル、パセリ、コリアンダー、オレガノ、そしてゲッケイジュ――それぞれのハーブをひとつひとつ加え、ふんわりとした香りが台所を包み込んでいった。

「うわっ!」

杉本は思わず叫んでしまった。その香りの強さに、驚きと興奮がこみ上げてきた。今までにないふくよかな香りが、家中に広がる。それはまるで、どこか高級なレストランで出されるような一品のようだった。貧しい家庭の中で、こんなにも豊かな香りがするなんて、杉本自身も信じられない思いだった。

次に、カレーのルーを入れる。あまり高価なものではなかったが、それでも十分にコクがあり、まろやかな味わいが感じられる。ルーを加えた後、少し置いて、味がなじむのを待つ。杉本はその間に、ご飯を炊き、食器を整える。

しばらくして、カレーの具材がすっかり煮込まれたところで、牛乳を注いだ。お鍋の中で、具材がカフェラテ色に変わっていくのを見て、杉本は思わず顔をほころばせた。

「これで決まりだな。」

杉本は、自分の作ったカレーがどんな味になるのか、ますます楽しみになった。金銭的にはきっと余裕がないが、料理という「幸せ」を手に入れることができる今、彼にはそれが何よりも貴重な瞬間だった。

皿にご飯を盛り、その上にカレーをかける。ニンニクと生姜とハーブのハーモニーが、何とも言えない美味しさを作り出していた。杉本はスプーンを持ち、ひとくち食べる。

「うまいぞーー!」

思わず声を上げた。だんだんと上がるテンションに、心が弾んでいくのがわかる。こんなにもおいしいカレーが、自分の手で作れるなんて――まるで夢のようだ。しかし、それは現実だった。お金がなくても、少しの工夫と愛情で、こんなにも幸せを感じられるとは思わなかった。

杉本は一人で笑みをこぼしながら、そのカレーを堪能した。年齢を重ねると、いろいろなことが変わっていく。肉体は衰え、経済的にも厳しくなる。しかし、それでも食べ物から感じる喜び、日々の小さな幸せは、決して失われることがない。

「お金なんてなくても、こんな幸せがあれば十分だな。」

杉本はそう思いながら、もう一度カレーをかき込み、満足げな顔をした。夜が更けても、台所にはふわりと香るハーブの匂いが残り、温かなぬくもりが広がっていた。

それは、どんな高価なものにも勝る、何にも代えがたい幸福感だった。





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