老人

食材の幸せ

『食材の幸せ』

冬の冷たい風が窓の外を吹き抜けていた。古い木造の家の中は、暖炉の揺らめく火がポカポカと心地よい。床暖房の効いた居間で、古びたエプロンをつけた70歳の私は、穏やかな時間を過ごしていた。

大きな鍋に人参、玉ねぎ、そしてサツマイモを入れ、弱火でじっくりと煮込んでいる。その匂いがふんわりと部屋全体に広がり、心がふわっと温かくなった。

「いい匂いだな……」

誰もいない部屋に、私の呟きが小さく響いた。声をかける相手はいない。息子たちはもう大人になり、それぞれの家庭で忙しく過ごしているし、孫たちも最近はなかなか顔を見せない。

でも、こうやって食材を煮込んでいると、何よりも「今」が満たされている気がする。

「食べ物があるって幸せだな」

台所の向こうに立ちながら、ついその言葉が出た。人参のオレンジ、玉ねぎの透明感のある白、そしてサツマイモのほっくりとした色合い。それぞれが鍋の中で柔らかくなり、優しい甘みがスープに染み出している。

誰かと食べることがなくても、私にはこの幸せな匂いと味がある。食べ物があるって、ただそれだけで心が豊かになる。

鍋の中で具材たちは静かに踊っている。長年の人生で、何度も何度も、こうやって料理してきた。

「お前たちがいるだけでいいよ」

心の中で、人参、玉ねぎ、サツマイモに語りかける。料理する手間も、お湯の音も、すべてがこの暮らしの一部だった。独りになった今でも、鍋を見つめると穏やかな気持ちになる。

ふと、窓の外を見れば、灰色の空の向こうに、風が木々を揺らす音が聞こえた。独居の暮らしは寂しいこともある。でも、寂しさに押しつぶされることはない。

この食材たちが、私の中にある感謝や希望を支えてくれている。

「ありがとな」

また鍋の匂いが鼻腔をくすぐる。玉ねぎの甘さ、人参の素朴な風味、サツマイモの優しい甘みがすべて溶け合って、ほっこりとした幸せの味が広がる。

鍋を見ながら一口試食し、その味に心が安堵する。これから、このスープをゆっくりと食べる時間が待っている。

誰もいなくても、誰かに気を遣わなくても、食べ物があるからこそ、心は満たされる。

「明日も作るからな」

小さな鍋の中に、暖かな明日への約束を込める。

食べることの幸せ、それは人参と玉ねぎとサツマイモの甘さだけではなく、「ある」という安心感、暮らせることの感謝そのもの。

静かな冬の午後、温かい鍋の匂いと共に、穏やかな時間が流れていた。