老人

孤独な冬

『孤独な冬』

　「低体温症になったら、すぐに救急車を呼びましょう――」

　テレビから流れる防災情報が、冷え切った部屋の静寂を破る。石川誠一は、カタカタと震える手でリモコンを操作して音量を下げた。

　「意識が遠のいてる時に救急車なんて呼べるかよな……」

　ひとりごとを漏らし、苦笑した。寒さは骨の髄まで染み込んでいる。厚手のセーターに、昔娘が贈ってくれた毛糸のマフラーを首に巻いても、体の芯の冷えは解消されなかった。

　その日は東京の最低気温が3℃まで下がり、暖房のない部屋はほぼ屋外と変わらない寒さだった。石油ストーブの灯油も使い果たし、電気代を節約するためにこたつの電源すら入れられない。

　「これじゃ、凍死するのも時間の問題だな……」

　そう呟きながら、誠一は体を寄せ合う相手がいない孤独を噛みしめた。かつて妻と過ごした温かな日々を思い出しながら、冷たい布団の中に潜り込む。

　しかし、その日はいつもと違った。体が思うように動かないのだ。布団の中で手足をさすり、少しでも温めようとするが、指先の感覚は鈍く、冷たさが抜けない。

　「……おかしいな、動けない……」

　声に出そうとするが、唇も凍りついたように動かない。意識が薄れ始め、頭の中に妙な光景が浮かんだ。若い頃の家族との食卓、娘の笑顔、そして妻と過ごした寒い冬の夜――すべてが鮮明で温かな記憶だった。

　「こんな形で終わりたくない……」

　そう思う気力も、次第に薄れていく。

　その時、ふいに玄関のチャイムが鳴った。遠くで「お父さん！」と呼ぶ声が聞こえる。娘の声だった。

　「……夢か……？」

　薄れゆく意識の中で、誠一は全力を振り絞り、体を動かそうとした。だが、体はまるで鉛のように重く、目さえ開けることができない。

　玄関の音が続き、次第にドアを叩く音に変わった。

　「お父さん！ 開けて！」

　ついにドアの鍵が回り、娘が飛び込んできた。

　「お父さん！」

　駆け寄る娘は、冷たくなった父の体を見て、すぐに携帯を取り出した。

　「救急車！ すぐに！」

　緊急時の対応を知っていた彼女は、毛布を取り、誠一の体を包み込む。体表を直接温めるのではなく、断熱性を確保することで体温の低下を防ぐ――それが救命の基本だった。

　「お父さん、絶対に助けるからね！」

　救急車のサイレンが遠くから聞こえた。誠一の意識はかすかに戻りつつあったが、まだ言葉を発することができない。

　「娘が……来てくれたのか……？」

　彼の胸の中に温かな何かが広がった。家族が自分を見捨てていない、それだけで凍えた心が少しだけ解けた気がした。

　救急隊員が到着し、適切な処置を施す中、誠一の意識は再び遠のいた。だが、今度は孤独の中ではなく、愛する家族の声に包まれていた。

　数日後、病院のベッドの上で目を覚ました誠一は、隣にいる娘の姿を見て、薄く笑った。

　「……来てくれてありがとう」

　娘は涙を浮かべながら、誠一の手をしっかりと握りしめた。

　「お父さん、これからはちゃんと暖かくして過ごしてね。私、もっと頻繁に来るから」

　誠一は、今度こそ寒さに負けない決意を胸に、娘の言葉をかみしめた。

　孤独な冬は、家族の絆によってほんの少しだけ暖かなものへと変わり始めていた。