老人

凍える街の片隅で

『凍える街の片隅で』

　東京の冬は、冷たい風が骨の髄まで染み込む。今日は最低気温が3℃。70歳の山下信二は、狭いアパートの一室で膝を抱えて座っていた。暖房はつけていない。電気代がかさむからだ。節約生活を続けるため、暖房を我慢するのはもう慣れたことだった。

　毛布を肩にかけ、膝に小さな湯たんぽを抱える。それでも寒い。窓から漏れる隙間風が、彼の体温をじわじわと奪っていく。体が冷え切ると動くのも億劫になり、ただじっと座っているだけの日が増えていった。

　台所の隅には、残り少ない米と、賞味期限ギリギリの缶詰が一つ。食べる気力も湧かない。どうせまた明日も同じような日が続くのだ。生活保護で最低限の暮らしを維持しているが、家賃や光熱費を払えば残るのはわずかな食費。暖房なんて贅沢品だった。

　信二は手を伸ばして、壁にかけた古い時計を見た。針は午後10時を指している。外の冷え込みがさらに厳しくなり、窓ガラスが白く曇る。自分の吐息が薄い白い霧となり、すぐに消えていった。

　「これ以上寒くなったら……」

　信二はぼんやりと天井を見上げる。最近、体の震えが止まらなくなってきている。寒さに慣れているはずなのに、今日の冷え込みは特に厳しい。指先は痺れるように冷たく、感覚が薄れていく。身体全体が芯から冷え切っているのがわかる。

　低体温症。ニュースでよく耳にする言葉だ。体温が35℃を下回ると危険だと言われているが、自分の体温がどれだけ低下しているのか測る手段もない。こんな状況で病院に行く余裕なんてあるはずもない。近所の誰かに助けを求める勇気もない。孤独が彼をさらに追い詰めていく。

　その晩、信二はふと幼い頃の記憶を思い出した。暖かいこたつの中で、母が作ったおでんを食べた日のこと。具材から湯気が立ち上り、家族で笑いながら食事をした。そのぬくもりが今、どれほど恋しいことか。

　だが現実に戻れば、目の前にあるのは冷え切った部屋と、食べかけの缶詰だけだ。信二は小さな湯たんぽを握りしめ、目を閉じた。温かい記憶にしがみつきながら、寒さを少しでも忘れようとする。

　翌朝、近所の住人が信二の異変に気づいた。郵便物が溜まっているのを不審に思った配達員が、警察に通報したのだ。ドアを開けた警察官が見たのは、冷たい床に横たわる信二の姿だった。

　彼の体温はすでに28℃を下回っていた。呼吸は微かに残っていたが、意識は戻らない。救急車で病院に運ばれたが、医師の顔は厳しい表情を崩さなかった。低体温症の進行はすでに深刻だった。

　東京の冬は厳しい。そして、誰にも気づかれないまま孤独に耐え続ける高齢者が、信二のように凍える寒さの中で命を落としている。ニュースで取り上げられることもない、小さな悲劇。だが、これは現実だ。

　信二が目覚めることはなかった。そのアパートの部屋には、彼のぬくもりを感じさせるものはもう何も残っていない。ただ、一つだけ湯たんぽが転がっているだけだった。

　彼の死は、寒さだけが原因ではなかった。孤独と貧困が、彼を凍らせたのだ。東京という大都会の片隅で、静かに幕を下ろした一つの命。その悲劇は、これからも繰り返されるのだろうか。