老人

春秋花壇

文字の大きさ
上 下
275 / 545

まるでおままごとをしてるみたいだな

しおりを挟む
「まるでおままごとをしてるみたいだな」

70歳の春樹は、妻を亡くしてから一人暮らしが始まった。子どもたちはみな町を出て、遠くで暮らしている。家は古びた木造で、廊下はところどころ軋むが、長年住んできた馴染みの家だ。それでも、以前は賑やかだった空間が今はひっそりとしており、どこか心細い思いもあった。

ある日の昼下がり、春樹は台所で食事を作っていた。老人には少し腰に負担がかかる作業だが、毎日のささやかな楽しみでもある。妻が生きていた頃、料理は専ら彼女の担当だったが、今は自分一人分の食事をこつこつと作っている。小さな鍋で味噌汁を温め、薄く切った野菜を炒め、最後に器を並べて、食卓を整えた。

その日は、慎重に選んだ季節の野菜を並べて、いつもより少しだけ丁寧に盛り付けた。「たまにはいいだろう」と独り言をつぶやき、茶碗に新しいお米を盛り、ついでに漬物も小鉢に少量ずつ用意した。小さな花模様の茶碗は、妻が愛用していたもので、こうして出すたびに彼女を思い出す。

食卓の上に並んだ料理を見つめ、春樹はふと口を開いた。

「まるでおままごとをしてるみたいだな」

自分の言葉に少しだけ笑ってしまった。まるで子ども時代に戻ったかのように、ただ一人で小さな食卓を整え、座る様子がどこか滑稽だったからだ。若い頃は、こんなひとりぼっちの食事なんて考えもしなかったし、こうして料理をするのも当たり前のことと思っていた。だが、今やその当たり前が遠くなり、ひとつひとつが新しい発見になっている。

スプーンを手に取り、少しずつ食べ始めた。自分が作った味噌汁の味は少し薄いけれど、それもまたいい。昔の味と比べるのはもうやめよう、と思ったが、自然と妻がよく作ってくれた具沢山の味噌汁が頭をよぎった。

食べ終えた後、皿を洗いながらふと視線を上げると、窓の向こうに咲く小さな庭の花が目に入った。妻が好きだった庭で、四季折々の花が静かに咲いている。特に春から初夏にかけては色とりどりの花が顔を出し、庭に柔らかな明るさを添えていた。

「今日は良い天気だな」

そう言って、少し庭に出てみようかと思い立った。杖をつき、庭へと続く小道を歩いていくと、風に乗ってほのかな花の香りが漂ってきた。小さなベンチに腰をかけ、空を見上げると、雲ひとつない青空が広がっている。

ベンチに座りながら、春樹はしばらくじっと庭を眺めていた。心の中で妻に話しかけるようにして、「ここに座るのも、まるでおままごとみたいだな」と呟いた。まるで、妻が隣にいるかのように。

ふいに、春樹の口元に微かな微笑みが浮かんだ。昔は二人でこのベンチに座り、花を眺めては、些細なことを話したり、たわいもないことで笑い合ったりした。今はもう、その声は聞こえないが、二人で過ごしたその時の温もりは心の奥に今も残っている。

「おままごと、って、案外悪くないな」

庭の花や家の隅々にある小さな思い出のひとつひとつが、春樹にとってはまるでおままごとのように懐かしく、温かいものであった。独りぼっちの家でも、こうして小さな時間を積み重ねることが、彼にとっての日常の充実であり、妻との静かな絆を感じるひとときだったのだ。

ふと空を見上げると、どこからか小鳥の声が聞こえ、春樹は静かに目を閉じた。








しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

注意欠陥多動性障害(ADHD)の日常

春秋花壇
現代文学
注意欠陥多動性障害(ADHD)の日常

生きる

春秋花壇
現代文学
生きる

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ギリシャ神話

春秋花壇
現代文学
ギリシャ神話 プロメテウス 火を盗んで人類に与えたティタン、プロメテウス。 神々の怒りを買って、永遠の苦難に囚われる。 だが、彼の反抗は、人間の自由への讃歌として響き続ける。 ヘラクレス 十二の難行に挑んだ英雄、ヘラクレス。 強大な力と不屈の精神で、困難を乗り越えていく。 彼の勇姿は、人々に希望と勇気を与える。 オルフェウス 美しい歌声で人々を魅了した音楽家、オルフェウス。 愛する妻を冥界から連れ戻そうと試みる。 彼の切ない恋物語は、永遠に語り継がれる。 パンドラの箱 好奇心に負けて禁断の箱を開けてしまったパンドラ。 世界に災厄を解き放ってしまう。 彼女の物語は、人間の愚かさと弱さを教えてくれる。 オデュッセウス 十年間にも及ぶ流浪の旅を続ける英雄、オデュッセウス。 様々な困難に立ち向かいながらも、故郷への帰還を目指す。 彼の冒険は、人生の旅路を象徴している。 イリアス トロイア戦争を題材とした叙事詩。 英雄たちの戦いを壮大なスケールで描き出す。 戦争の悲惨さ、人間の業を描いた作品として名高い。 オデュッセイア オデュッセウスの帰還を題材とした叙事詩。 冒険、愛、家族の絆を描いた作品として愛される。 人間の強さ、弱さ、そして希望を描いた作品。 これらの詩は、古代ギリシャの人々の思想や価値観を反映しています。 神々、英雄、そして人間たちの物語を通して、人生の様々な側面を描いています。 現代でも読み継がれるこれらの詩は、私たちに深い洞察を与えてくれるでしょう。 参考資料 ギリシャ神話 プロメテウス ヘラクレス オルフェウス パンドラ オデュッセウス イリアス オデュッセイア 海精:ネーレーイス/ネーレーイデス(複数) Nereis, Nereides 水精:ナーイアス/ナーイアデス(複数) Naias, Naiades[1] 木精:ドリュアス/ドリュアデス(複数) Dryas, Dryades[1] 山精:オレイアス/オレイアデス(複数) Oread, Oreades 森精:アルセイス/アルセイデス(複数) Alseid, Alseides 谷精:ナパイアー/ナパイアイ(複数) Napaea, Napaeae[1] 冥精:ランパス/ランパデス(複数) Lampas, Lampades

体育座りでスカートを汚してしまったあの日々

yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。

【Vtuberさん向け】1人用フリー台本置き場《ネタ系/5分以内》

小熊井つん
大衆娯楽
Vtuberさん向けフリー台本置き場です ◆使用報告等不要ですのでどなたでもご自由にどうぞ ◆コメントで利用報告していただけた場合は聞きに行きます! ◆クレジット表記は任意です ※クレジット表記しない場合はフリー台本であることを明記してください 【ご利用にあたっての注意事項】  ⭕️OK ・収益化済みのチャンネルまたは配信での使用 ※ファンボックスや有料会員限定配信等『金銭の支払いをしないと視聴できないコンテンツ』での使用は不可 ✖️禁止事項 ・二次配布 ・自作発言 ・大幅なセリフ改変 ・こちらの台本を使用したボイスデータの販売

妻と愛人と家族

春秋花壇
現代文学
4 愛は辛抱強く,親切です。愛は嫉妬しません。愛は自慢せず,思い上がらず, 5 下品な振る舞いをせず,自分のことばかり考えず,いら立ちません。愛は傷つけられても根に持ちません。 6 愛は不正を喜ばないで,真実を喜びます。 7 愛は全てのことに耐え,全てのことを信じ,全てのことを希望し,全てのことを忍耐します。 8 愛は決して絶えません。 コリント第一13章4~8節

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

処理中です...