老人

春秋花壇

文字の大きさ
上 下
189 / 393

一瞬の輝き

しおりを挟む
一瞬の輝き

秋の夕暮れが町を染めていた。冷たい風が吹き始め、木々の葉は鮮やかな紅に染まりつつある。こんな日は、少し寂しさを感じるものだ。それでも、夕日に染まる風景はどこか美しく、ふと足を止めて見入ってしまう。私はいつものように、家路をたどりながらその景色に目をやった。

この年になると、人生に大きな期待など抱くことはない。かつての夢は遠い過去のものとなり、日々の暮らしの中で少しずつ磨り減っていった。若い頃には、未来に無限の可能性があると信じていた。けれど、年を重ねるごとに、希望は薄れ、現実がその重みを増してきた。

日々は同じことの繰り返しだ。朝が来て、仕事をして、帰宅して、また夜が訪れる。そんな生活を、ただ淡々とこなしていくだけ。特別なことは何もない。誰もが同じように生きていると思い込むことで、やり過ごしているに過ぎない。

そんな日々の中で、何も変わらない生活に何の意味があるのだろうと、自分に問いかけることもある。答えはいつも見つからない。それでも、一つだけわかることがある。瞬間瞬間を生きること、それが今の自分には唯一できることなのだと。

ある日、仕事帰りに立ち寄った小さな公園でのことだった。日が沈みかけた空は紫色に染まり、遠くの山々がシルエットとなって浮かび上がっていた。ベンチに腰掛け、ただぼんやりとその風景を眺めていた。何の意味もなく、ただそこに座っているだけだったが、不思議と心が落ち着いていくのを感じた。

公園には、子どもたちの声が響いていた。走り回る姿や、笑い声が風に乗って耳に届く。その無邪気さに、自分の幼い頃を思い出してしまう。何も考えずにただ遊びに夢中になっていたあの頃。人生にはまだ希望が溢れていた時代だ。

ふと、一人の子どもが私の近くに寄ってきた。彼は大きなシャボン玉を作り、それを眺めていた。シャボン玉は、夕日に照らされて虹色に輝いていた。彼の目には、その一瞬の美しさが映っていたのだろう。何の計算もなく、ただ純粋にその輝きを楽しんでいる姿に心が和んだ。

「きれいでしょ?」

突然声をかけられた。振り返ると、子どもの母親が微笑んで立っていた。彼女もまた、そのシャボン玉の輝きを見つめていた。私は何と答えていいかわからず、ただ頷いた。言葉はいらなかった。その瞬間、彼女と私は同じ美しさを共有していたのだから。

その瞬間、ふと考えた。もしかしたら、人生はこうした一瞬の輝きを積み重ねていくものなのかもしれないと。大きな希望や夢を持つことがすべてではない。時には、その一瞬一瞬の中にある小さな喜びを見つけることが、生きる意味なのかもしれない。人生のすべてが素晴らしいわけではないが、時に訪れるその一瞬が、人生を彩るのだ。

シャボン玉は風に乗ってゆっくりと舞い上がり、やがて消えていった。母親と子どもも手を取り合って去っていく。私はその背中を見送りながら、自分もまたその一瞬の美しさに心を打たれていたことに気づいた。特別なことではない。ただのシャボン玉。しかし、その一瞬の輝きは確かに私の心を揺さぶった。

家に帰る道すがら、これからも瞬間瞬間を大切に生きていこうと心に決めた。大きな希望はないかもしれないが、それでも人生には時折、こんな美しい瞬間が訪れる。それだけで十分ではないか。希望がなくても、一瞬の輝きを感じることができるなら、まだ生きていく価値はあるのだろう。

秋風が頬を撫で、木々の葉がざわめく音が心地よく耳に響く。家路を急ぐ足取りは自然と軽くなり、何かを期待するわけでもなく、ただその瞬間を味わっていた。人生は、何も大きなことを望む必要はないのだ。ただ、一瞬一瞬を生きること。それが、私にとっての生き方だと感じた。

その夜、ふと窓の外を見た。夜空には星が輝いていた。大きな星も、小さな星も、それぞれが瞬きながら空を彩っていた。その光は、遠い昔からずっと続いているものだろう。それぞれが一瞬の輝きを放ちながら、夜空を照らしている。

私もまた、そんな一つの星のように、一瞬の輝きを見つけながら生きていけばいい。明日がどうなるかはわからない。それでも、時折訪れる美しい瞬間を楽しむために、これからも瞬間瞬間を大切にしていこうと心に誓った。その決意は、小さくも確かな希望の光となり、私の胸に灯り続けていた。









しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

生きる

春秋花壇
現代文学
生きる

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

今日の授業は保健体育

にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり) 僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。 その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。 ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

処理中です...