老人

水風呂の温もり

水風呂の温もり

東京都の外れにある小さな一軒家に住む田中正雄は、今年で七十歳を迎えた独居老人だ。妻を数年前に亡くし、子供たちも遠くに住んでいるため、訪問介護サービスを利用して日々の生活を支えている。

夏の盛り、東京の気温は連日三十度を超える猛暑が続いていた。その日も、正雄は朝からうだるような暑さに耐えながら、訪問介護員の山田さんの訪れを待っていた。

午前九時、山田さんが玄関のチャイムを鳴らすと、正雄はゆっくりと立ち上がり、ドアを開けた。山田さんはいつもと変わらぬ笑顔で挨拶し、手際よく掃除や料理の準備を始めた。

「今日は特に暑いですね、正雄さん。何か冷たいものでも飲みませんか？」

「ありがとう。でも、そんなことより、この暑さをどうにかしないとね。」

正雄の顔には汗が滲み、息も少し荒くなっていた。山田さんは心配そうに彼の顔を見つめながら、ふと考えた。

「そうだ、水風呂はどうですか？身体を冷やすには一番いいですよ。」

正雄は少し戸惑ったが、山田さんの提案を受け入れることにした。彼女はすぐに浴室の準備を始め、水を張った浴槽に氷をいくつか浮かべた。

「さあ、どうぞ正雄さん。ゆっくり浸かってくださいね。」

正雄は山田さんの手を借りて浴槽に入り、その冷たい水の感触に思わず身震いした。しかし、次第に身体が水に慣れ、冷えた感覚が心地よく感じられるようになった。

「これだ、これが欲しかったんだ。」正雄は安堵の息を吐きながら呟いた。

山田さんは正雄の傍らで安全を確認しつつ、彼がリラックスできるように静かに見守っていた。正雄は目を閉じ、水の中でしばしの安らぎを味わった。妻と過ごした日々や、子供たちが幼かった頃の思い出が次々と頭に浮かんでは消えていく。

「山田さん、本当にありがとう。こんなに気持ちがいいのは久しぶりだよ。」

「いえいえ、正雄さんが元気でいてくれることが何よりです。」

正雄は水風呂から上がると、山田さんが用意してくれたタオルで身体を拭き、リビングのソファに腰を下ろした。冷えた体がゆっくりと温まっていく中で、彼は心の中にほんの少しの温もりを感じた。

「山田さん、いつも本当にありがとう。君のおかげで、こうして一日一日を生きられているんだ。」

「正雄さん、その言葉が一番の励みです。これからも元気でいてくださいね。」

訪問介護のサービスが終わり、山田さんが帰ると、正雄はひとり静かな家の中で過ごす時間が戻ってきた。しかし、今日は何かが違う。身体の冷えと共に心の中にも小さな光が差し込み、孤独の中にも温かさが感じられた。

正雄はテレビのリモコンを手に取り、ニュースを見ながら静かに過ごした。外の暑さが続く中、彼の心の中には一瞬の涼しさと共に、山田さんの優しさがいつまでも残っていた。

その夜、正雄は久しぶりに深い眠りについた。夢の中で、彼は妻と再会し、昔のように手を取り合って歩く自分を見ていた。目が覚めると、彼は再び一人だったが、その夢が心の支えとなり、明日も頑張ろうと思える力を与えてくれた。

水風呂の後のひとときが、正雄にとってどれほど大切なものだったかを改めて感じながら、彼は再び新しい一日を迎える準備を始めた。