いとなみ

秋風の約束

「秋風の約束」

街角に秋の風が吹き抜け、葉が舞い散る午後、佐藤は古びたカフェの窓から外を眺めていた。喧騒から少し離れたその場所は、彼女にとって特別な意味を持つ場所だった。ここで彼と出会い、彼と別れた。

その日は、偶然の再会から始まった。あの日と同じ、秋風が吹き抜ける日だった。

「佐藤さん、久しぶりですね。」

名前を呼ばれ、彼女は驚きのあまり、カップを少し揺らしてしまった。目の前に立っていたのは、五年前に突然姿を消した桐山だった。彼の顔に浮かぶ笑顔は、変わらず温かかった。

「桐山…？」

言葉が出ない。五年前、桐山は突如として東京を離れ、彼女に何も告げずに去った。どれほど悔しく、悲しかったかを、彼は知っているはずだ。しかし、彼は今、何事もなかったかのように目の前に立っている。

桐山は座席を勧め、ゆっくりと座った。「ごめん、急に来て驚かせてしまったね。でも、どうしても話さなきゃいけないことがあって。」

佐藤はその言葉を聞き、胸の奥で何かが揺れるのを感じた。未だに桐山のことを完全には忘れられていない自分がいた。彼に何も言わずに去られたことが、あれからずっと心に残っていた。だからこそ、再び目の前に現れた桐山に、どうしても答えが欲しかった。

「なぜ、あんなに突然…」

桐山はゆっくりと息を吸い込み、少しの間沈黙を守った。そして、目を逸らすことなく答えた。

「君に言わずに行ったのは、君を傷つけたくなかったからだ。俺、君にふさわしい男じゃないと思ったんだ。」

その言葉は、佐藤の心に深く刺さった。桐山は、何を言いたかったのだろうか。彼女は言葉を探し、やっと口を開いた。

「それって…つまり、私が足りなかったってこと？」

桐山は首を横に振った。「いや、君は素晴らしい女性だ。俺が君を幸せにできないと思ったからだ。」

その言葉に、佐藤は胸が苦しくなるのを感じた。あの日からずっと、桐山のことを考え続けていた自分が情けなく思えてきた。しかし、同時に彼がどれほど真摯に悩んでいたかも分かった気がした。

桐山は静かに続けた。「でも、もう一度やり直したいと思ってる。今なら、君を幸せにできるかもしれないって。」

その言葉に、佐藤は言葉を失った。心の中で、喜びと疑念が入り混じり、うまく整理できない。五年前、彼が去って行った理由を無理にでも納得しようとした自分にとって、この瞬間が一番辛かった。

「でも、桐山…あなたが去った時、私は本当に辛かった。」

「分かってる。でも、君に言いたかったんだ。君が今も心のどこかで俺を待っているのなら、俺もそれに応えたい。」

佐藤は彼を見つめた。桐山の瞳に、懐かしさと共に深い誠実さが宿っていることを感じた。彼の言葉が本気だということが、何よりも伝わってきた。だが、その一方で、彼に背を向けたあの決断が間違いではなかったのかと思う自分もいた。

「本当に、あなたが戻ってきたことを信じていいの？」

桐山はしばらく黙った後、ゆっくりと頷いた。「信じてほしい。今度は、君を裏切らない。」

秋風がまたカフェの窓から入り込んできた。冷たい風と共に、桐山の温かい言葉が佐藤の胸に染み込んでいくのを感じた。彼が去ったあの日から、何度もそのことを考え、悩み続けてきた。今、目の前にいる桐山が本当に戻ってきた理由は分からなかった。でも、彼の真摯な眼差しが、少しだけ信じてみようと思わせてくれた。

「じゃあ、もう一度、始めてみようか。」

佐藤がそう言うと、桐山は笑顔を見せた。その笑顔は、五年前と同じように、どこか儚く、でも深い愛情を感じさせるものだった。

カフェの外で、秋風が木の葉を揺らす音が聞こえた。それは、まるで新しい物語が始まる予感を告げているかのようだった。