いとなみ

婚約破棄と記憶の消去

婚約破棄と記憶の消去

その知らせは、まるで突然、アリシアの心に嵐が吹き荒れるような衝撃だった。王宮の広大な庭園で、青空が広がり、木々の葉が風に揺れている中、フィリップ王子が彼女に向かって冷たく言った。「婚約を解消させていただきたい。」
その言葉が耳に届いた瞬間、アリシアは一瞬、全ての音が止まったかのような錯覚に陥った。王子の目にはもう、かつて彼女に向けられた愛情の欠片も見当たらない。彼の心の中には、もう別の誰かがいることを、彼女は直感的に理解した。

「申し訳ない、アリシア。僕たちはただの幼なじみだったんだと思う。君を愛したつもりだったが、それは本物の愛ではなかったんだ。」
その言葉はまるで鋭い刃のようにアリシアの胸に突き刺さり、彼女が信じてきたもの、すべてを粉々にした。しかし、涙は出なかった。彼女は静かに、無表情にその場を離れた。泣くことは許さなかった。泣いてしまったら、彼に負けたことを認めることになるからだ。

その夜、アリシアは一人で部屋に籠もり、深い沈黙の中にいた。壁に飾られた彼との思い出の写真や手紙、すべてが目に入り、心に重くのしかかってきた。だが、もうそれらは無意味だった。愛も、希望も、未来も、全ては今一瞬で崩れ去った。

そこに静かに入ってきたのは、唯一アリシアの本当の心を知る侍女、リディアだった。彼女は王宮の中で唯一、アリシアの心の痛みを理解してくれる友人であり、また、魔法使いでもあった。
「アリシア様、お気持ちはお察しします。しかし、ただ苦しむだけでは王子に復讐したことにはなりませんわ。」
リディアの冷静で力強い瞳に、アリシアは心を動かされた。

「私には、王子の記憶を消す魔法がございます。彼がアリシア様とのすべての記憶を失うようにすることができますよ。もちろん、その代償は大きいですが…。」
その言葉が、アリシアの心を打った。王子が彼女のことを忘れてしまう――その考えは、初めは信じられなかった。だが、全てを裏切られた今、彼を心から許すことはできない。自分の痛みを和らげるためには、彼が何も覚えていない方がよいのではないか、と感じた。

アリシアはしばらく黙って考えた後、決意を固めた。「お願い、リディア。王子の記憶をすべて消して。私たちの思い出も、私に抱いた感情も、何もかも。」
リディアは静かにうなずき、魔法の儀式を始めた。アリシアの手をしっかりと握り、古代の呪文を口にする。その言葉が空間を歪め、暗闇が二人を包み込んだ。その瞬間、アリシアの胸の奥で、何かが軽くなるのを感じた。

「彼は、私を忘れる。」
その思いがアリシアの心を支配した。過去が消えていくことで、彼の胸の中で彼女の存在が消える。彼が思い出すことはない。彼が後悔することもない。それが彼女の望みだった。

そして、王子の記憶は完全に消え去った。アリシアは、王宮を後にする決意を固め、新たな人生を歩む準備をした。王子が彼女を裏切ったとしても、アリシアにとってはもう関係ない。彼女には新しい未来が待っている。
その後、フィリップ王子は他の恋人を見つけ、新たな幸せを築いたかもしれない。しかし、ふとした瞬間に、心にぽっかりと空いた穴があることに気づくことはなかった。彼は一度愛した誰かを忘れてしまったことに、永遠に気づくことはないだろう。
そしてアリシアは、誇りを持って前を向いて歩き始めた。

「これが本当の『ざまぁ』だ。」
彼女は心の中で呟いた。それは復讐ではなく、自分を取り戻すための勝利の宣言だった。