いとなみ

未来へ進むために

「未来へ進むために」

凛（りん）は、冬の朝日が差し込むカフェの窓際で、手元のノートを見つめていた。ページには、彼女の過去が切り取られたかのような文字がびっしりと書かれている。その一つひとつが、かつて愛した人との思い出や、失恋の苦しみを描いたものだった。

「もう忘れた方がいいって分かってるのに……」

自分に言い聞かせるように呟いたが、心のどこかでは、その思い出にしがみついている自分がいるのを感じていた。

そのとき、カフェのドアベルが鳴り、冷たい風とともに一人の男性が入ってきた。彼は凛の隣の席に座ると、コートを脱ぎ、カバンから何かを取り出した。ふと気になった凛が目を向けると、それは同じくノートだった。

男性がペンを走らせる音が静かな店内に響く。何を書いているのだろう、とぼんやり考えながら、凛も自分のノートに戻った。

しばらくして、男性が声をかけてきた。

「それ、日記ですか？」

不意を突かれた凛は少し驚いたが、頷いた。

「ええ、まあ。日記というか……過去の整理みたいなものです。」

「過去の整理？」

「そうです。失恋のこととか、自分の弱さとか……なかなか前に進めなくて、思い出にとらわれてるんです。」

男性は少し考えるようにしてから、自分のノートを見せてくれた。そのページには、達成したい目標や、自分に向けたポジティブな言葉が綴られていた。

「僕も昔は同じように過去を振り返るばかりだったんです。でもあるとき、過去じゃなくて未来を書き留めてみようって思ったんですよ。そうしたら、不思議と心が軽くなってきて。」

凛はその言葉に興味を惹かれた。未来を書く――そんな発想はなかった。

「でも、過去を振り返るのも大事じゃないですか？そこから学べることもあるし。」

「もちろん。でも、振り返りすぎると足を止めてしまう。それなら、過去の教訓を心に留めて、未来に進むための地図を作る方がいいんじゃないかなって。」

男性の話を聞きながら、凛の中に小さな変化が芽生えた。彼の言葉は、今の彼女に必要な道しるべのように感じられた。

それから数日後、凛はカフェに再び足を運んだ。彼はそこにいた。前回と同じようにノートに向かって何かを書いている。

「あの……未来を書くって、どうやるんですか？」

思い切って声をかけると、彼は笑顔で答えた。

「例えば、1年後にどうなっていたいかを書いてみるとか。どんな場所で、誰と、どんな気持ちで過ごしていたいか、具体的に描くんです。」

その日から、凛は自分のノートに未来を描き始めた。最初はぎこちなかったが、次第に言葉がスラスラと出てくるようになった。彼女が描く未来には、もう過去の恋愛に囚われた自分はいなかった。代わりに、新しい可能性や自分らしさを追い求める姿がそこにあった。

彼――名を尚也（なおや）という――と共に、凛は少しずつ未来への歩みを始めた。互いに日々の進歩を共有し、励まし合う中で、二人の間には自然と温かい感情が芽生えていった。

「人生は、後ろ向きにしか理解できないが、前を向いてしか生きられない。」

ある日、尚也がカフェでこの言葉を口にしたとき、凛は深く頷いた。

「本当にその通りですね。過去を完全に消すことはできないけれど、それを背負いながらも前を向いて生きていく。そんな人生の方が、きっと豊かなんだろうなって。」

「だね。過去があるからこそ、未来を描けるんだ。」

凛は笑顔でノートを開き、新たな一文を書き込んだ。

「いつか、この未来が過去になったとき、振り返って誇れる自分でいられるように。」

その隣には、尚也の優しい笑顔があった。