いとなみ

Ne Me Quitte Pas

「Ne Me Quitte Pas」

パリの空は、どんよりとした灰色の雲が垂れこめ、冷たい雨が静かに降り始めていた。カフェの窓際に座るマリーは、カフェ・オ・レを片手に窓の外を見つめながら、心の奥底に押し込んだ思いを振り払おうとしていた。窓ガラスを流れる雨の雫が、涙のように見えたのは気のせいだろうか。

その時、ドアが開く音がして、外から吹き込んだ冷たい風と一緒に、彼が現れた。長いコートを着て、少しだけ肩を落とした彼。フランソワが、静かに席に着くと、ふたりの間には言葉にできない沈黙が漂った。

「…マリー、来てくれてありがとう。」彼がやっとの思いで口を開いたが、その言葉に彼自身も虚しさを感じているようだった。マリーは微かに笑みを浮かべて、カップに手を伸ばした。

「どうしてこんなに遠く離れた場所で会うの？」彼女の言葉には、彼との距離に対する寂しさと疑念がにじんでいた。

フランソワは深く息を吐き、苦しそうに彼女を見つめた。「君にとって僕は、ただの迷惑でしかないんだろうと思っていた。でも、最後にどうしても、君にちゃんと伝えたかったんだ。」彼の声は低く、絞り出すようだった。

「私の心があなたのものでないと思うの？」マリーの目に、悲しみと怒りが浮かんだ。「私は、あなたが好きで、ずっと一緒にいたいと思っていた。それなのに、あなたはいつも『別れた方が君のためだ』なんて…。」

フランソワは俯いた。彼の心の中には、彼女を手放すべきだという思いと、彼女を永遠に失いたくないという思いが激しく交錯していた。しかし、彼は冷静を装い、覚悟を決めて口を開いた。「マリー、僕には、君を幸せにする自信がない。君にはもっと輝く未来があるはずなんだ。」

マリーは顔をしかめ、フランソワの手を強く握りしめた。「私の未来は、あなたなしでは何の意味もないの。Ne Me Quitte Pas…お願い、私を置いていかないで。」

彼の瞳には一瞬、ためらいが見えたが、それもすぐに消えた。フランソワは静かにマリーの手をほどき、立ち上がると、カフェのドアに向かって歩き出した。その背中を見つめるマリーの目に、涙が溢れ出した。

彼が去ってしまう現実に直面した時、彼女の心は張り裂けそうだった。彼女が最後に見たのは、彼が振り返りもせずにカフェの外へと消えていく姿。雨がさらに強く降り出し、冷たい風が彼の匂いをさらってしまったようだった。

「さようなら、フランソワ。」マリーはつぶやき、静かに席を立ち、カフェを後にした。