いとなみ

蓼食う虫も好き好き

蓼食う虫も好き好き

「蓼食う虫も好き好き」、その言葉を彼女がふいに口にしたのは、秋の夕暮れ、木々が色づき始めた公園でのことだった。風に揺れる赤や黄色の葉の中、彼女はその穏やかな瞳を僕に向けながら、ほのかに微笑んでいた。

「どうして急にそんなことを言うんだ？」僕は不思議そうに尋ねた。

彼女はベンチに腰掛け、肩にかかる髪を指でくるりと巻きながら答えた。「うーん、最近いろんな人に批判されることが増えてきたからかな。でも、私が選んだ道だから、やっぱり自分の好きなことをやり続けたいなって思って。」

彼女はずっと、絵を描くことが好きだった。しかし、彼女の描く絵は、一般的な美しさからは遠く、抽象的で独特なタッチを持っていた。色と線が大胆にぶつかり合い、時には不快感を覚えるほどのコントラストを生む。その作品を見て「どうしてこんな絵を描くの？」と言う人もいれば、「理解できない」と首をかしげる人も少なくなかった。

けれど僕は、彼女の絵に魅了されていた。彼女の描く世界は、現実のものとは違う、心の中の感情や葛藤、そして夢が混ざり合ったようなもので、僕にとってそれは美しかった。彼女の絵には彼女自身の心が映し出されている。だからこそ、誰に批判されようとも、それを見つめていると僕は不思議と彼女の心に触れられる気がしたのだ。

「君の絵は、すごいよ。誰もが理解できなくても、君が自分で選んだ道なら、誰にも止められないと思う。」僕は素直な気持ちで言った。

彼女はしばらく僕の言葉に沈黙したあと、小さく笑って「ありがとう」と言った。

僕たちは長い付き合いではなかったけれど、彼女の不安や迷いを感じ取れるほどには、お互いを理解し始めていた。彼女はいつも、自分が選んだ道を突き進もうとする反面、世間の評価に敏感な部分も持っていた。特に、自分の作品に対しての否定的な意見には傷つきやすいところがあった。

「でもさ、本当に好きなことをやるのって、やっぱり難しいよね。みんながいいって言うものじゃないと、どうしても自信が持てなくなる時があるから。」彼女はそう言って、少しだけうつむいた。

「蓼食う虫も好き好きだよ。」僕は再び彼女の言葉を繰り返した。「他の人が理解できなくても、それが君の心に響くなら、それでいいんだよ。みんなが同じものを好きになるわけじゃない。むしろ、君が自分の好きなことを貫くからこそ、意味があるんじゃないか？」

彼女は驚いたように顔を上げ、僕を見つめた。彼女の瞳に映る僕の姿が、夕日の中で揺れている。

「私のこと、理解してくれてるんだね。」彼女の声は少し震えていた。

「君のこと、全部は理解できないかもしれないけど、少なくとも君がどれだけ一生懸命に自分の道を進んでいるかはわかってるよ。それだけで、僕は君のことを応援したいと思ってる。」

その瞬間、彼女の瞳に涙が浮かんだ。けれど、それは悲しみの涙ではなく、感謝と安心感に満ちたものであることがすぐにわかった。

「私、やっぱり絵を描き続けるよ。どんなに批判されても、私が好きなことだから。それに、君が応援してくれるなら、もっと頑張れる気がする。」彼女は涙を拭いながら、まっすぐに僕を見つめて言った。

「もちろん、僕はずっと応援してるよ。」僕は彼女の手を取り、ぎゅっと握った。

その手は少し冷たくて、秋の夕暮れの風を感じさせたけれど、同時にその手のぬくもりは確かに僕の心に届いた。

「ねえ、今度、僕も君の絵を一緒に描いてもいい？」僕は冗談めかして言った。

彼女は笑いながら首を横に振った。「それはちょっと困るかも。君の絵のセンス、見たことないからね。」

「じゃあ、今度は僕が君のために何か作るよ。僕なりの表現で。」

彼女は笑顔を浮かべたまま、また少し考え込むように遠くを見つめた。そしてふと「それもいいかもね」と言った。

僕たちはその後も、公園をしばらく歩き続けた。空には早くも星が輝き始め、秋の夜がゆっくりと降りてきていた。蓼のように辛いものを好む虫がいるように、僕たちも自分の好きを追い続ければ、それがどんな形であってもきっと幸せに繋がる。そう信じながら、僕たちは静かに歩き続けた。

秋風が、紅葉した木々を優しく揺らしながら、僕たちの背中を押していた。