いとなみ

愛の不在

「愛の不在」

私は一人でバーのカウンターに座っていた。照明は薄暗く、古びたレコードプレーヤーからは、昔懐かしいバラードが流れていた。いつものようにウイスキーのロックを一杯注文し、グラスを回しながら、ただその琥珀色の液体を見つめていた。

ふと、隣の席に座った男が話しかけてきた。「一人で飲んでいるのかい？」

「ええ、そうよ」と私は答えた。愛想も何もない返事だったけれど、それ以上のことを話す気にはなれなかった。彼は少し微笑んで、自分も同じだと言った。そして、話の流れで恋愛の話になった。

「君は、今まで誰かを本当に愛したことがあるのか？」と彼は尋ねてきた。

私は一瞬、返事に詰まった。「愛？」私は自分に問いかけるようにその言葉を繰り返した。過去の記憶が頭の中を駆け巡った。彼と出会った頃、私は自分が恋に落ちたと思っていた。彼の笑顔やその仕草、そして夜遅くまで語り合った時間。すべてが私にとって特別だった。

でも、それは本当に愛だったのだろうか？

「彼の好きな色は？」突然、頭の中にその問いが浮かんだ。「彼の好きな食べ物は？」私は何も答えられなかった。彼のことを知っているつもりだったのに、実は何も知らなかったのだ。自分がいかに無知だったか、愚かだったか、今更ながらに気づかされた。

「私は彼を愛してなんかいなかった…」そう思った瞬間、私の中で何かが崩れ落ちた。私は彼を愛していたのではなく、ただ愛されることを求めていただけだった。自分が望んでいたのは、彼ではなく、彼に愛されているという自己満足に過ぎなかったのだ。

彼との関係は、最初から歪んでいた。私は彼に依存していた。彼の愛情を自分の価値の証明として求め、彼の言葉一つで一喜一憂していた。そして、彼が去ったとき、私はまるでぼろ雑巾のように捨てられた。そんなふうに思い込んで、自分を可哀想な子羊として自己憐憫に酔っていたのだ。

「もう誰も愛せない」と何度も自分に言い聞かせた。愛されないという恐怖が、私の心を蝕んでいたのだ。しかし、今、この瞬間に至って、ようやく気づいた。私は誰も愛してなどいなかった。愛されることしか考えていなかったのだ。

「答えは出たかい？」隣の男が再び尋ねてきた。

私は苦笑いを浮かべて答えた。「愛なんて、実際のところ、よくわからないわ。ただ、私は自分が思っていたよりもずっと自己中心的だったことには気づいたの。」

彼は静かにうなずき、グラスを持ち上げて乾杯の仕草をした。「少なくとも、真実に気づけたんだから、それも一歩前進じゃないかな。」

私は彼の言葉に少しだけ救われた気がした。何かが変わるわけではないけれど、少しずつでも前に進むことができるかもしれない。

しばらくして、彼は席を立った。「君が素敵な夜を過ごせることを祈っているよ。」そう言い残して、彼は去っていった。

私は一人になり、もう一度ウイスキーを口に含んだ。少し苦い味が舌に広がる。その苦味が、今の私の気持ちとぴったり重なっていた。私にはまだ、乗り越えるべきものがたくさんある。でも、まずは自分を見つめ直すことから始めようと思った。

カウンターの向こう側にいたバーテンダーが私を見つめていた。彼はにこりともせず、ただ黙って私の様子を見守っていた。

「もう一杯、お願い」と私は静かに頼んだ。バーテンダーは頷き、新しいグラスにウイスキーを注いでくれた。

「愛なんてものは、結局のところ、自分自身を愛することから始まるんだろうな」と私は心の中でつぶやいた。

今日から、私は自分を愛する練習を始める。誰かに依存することなく、自分のために生きる。それが、今の私にとっての新しい目標だった。

夜が更けていく。店内の薄暗い照明の中で、私は少しだけ未来に希望を見出すことができた。過去の傷はまだ癒えないかもしれない。でも、それでも私は一歩ずつ進んでいこう。少しずつでも、前に進む勇気を持つこと。それが、今の私にできる最善のことだから。

ウイスキーのグラスを見つめながら、私はゆっくりと息を吐き出した。これからの道は長いかもしれない。でも、私は歩き続ける。自分のために。