いとなみ

お盆の逢瀬

「お盆の逢瀬」

お盆の夜、月明かりが庭を優しく照らす中、彼は庭先で迎え火を焚いていた。煙が夜空へとまっすぐに昇っていき、その先でふわりと揺れ、姿を現したのは、彼のかつての恋人、玲子だった。

「また、帰ってきたんだね。」

彼の声は穏やかで、どこか懐かしさを含んでいた。玲子は微笑みながら、静かに彼の傍らに立った。その姿は透き通るように儚く、夏の風にさらされることなく、ただそこに存在していた。

「ええ、今年も。結婚しても、こうして私を忘れずに迎えてくれるから、私はまたあなたに会いに来たの。」

玲子の声は柔らかく、彼の心に直接響くようだった。彼は彼女に手を伸ばし、その手がすり抜けるのを知りながらも、目を閉じてその冷たい気配を感じ取ろうとした。

「君の体は冷たくて、気持ちいいね。」

彼は微笑みながら、まるで現実のように玲子の存在を感じた。玲子もまた、彼の言葉に応じて微笑みを返した。彼女の冷たさは、今の彼にとって何よりも心地よく、安心感を与えてくれるものだった。

玲子は彼と過ごすこの短い時間を大切にしていた。彼が迎え火を焚く限り、毎年こうして彼の元へ帰ってこられる。それが彼女にとって唯一の喜びであり、また哀しみでもあった。

「奥様には申し訳ないけれど、私の方が先なのだから…」

玲子はふっとその言葉を口にした。彼女がこの世を去ったのは、彼が結婚するずっと前のこと。彼が新しい家庭を築き、新しい愛を見つけるのは当然のことだと理解していた。それでも、彼女の心の奥底には、小さな嫉妬の種が残っていた。

「少しの間だけ、私に返してね。」

玲子の言葉に、彼は一瞬だけ何かを考える素振りを見せたが、すぐにその思いを打ち消した。彼もまた、玲子のことを忘れたわけではない。この一夜限りの逢瀬が、彼にとってもまた、大切な時間だったのだ。

「玲子…」

彼は静かにその名を呼んだ。玲子が彼の元を去ってから何年も経ち、その間に彼の人生は大きく変わった。結婚し、家庭を持ち、仕事にも追われる日々。しかし、こうして毎年お盆になると、彼は必ず迎え火を焚き、玲子を迎える。それが彼にとって、過去と現在を繋ぐ大切な儀式だった。

「玲子、君がいなくなったときは、本当に辛かった。でも、今こうして君に会えることが、僕にとっては救いなんだ。」

彼の言葉に、玲子はそっと微笑んだ。その微笑みには、愛情と哀しみが混ざり合っていた。彼女はもう彼の現実の世界には存在しないが、こうして心の中に深く刻まれている。

「ありがとう、玲子。君のことは、ずっと忘れないよ。」

その言葉に、玲子は静かにうなずいた。彼が忘れていない限り、彼女はこうして帰ってこれる。それが彼女にとっての慰めであり、また、彼にとっても同じだった。

玲子の姿が少しずつ薄れていく中、彼は再び目を閉じ、彼女の冷たい気配を感じた。その冷たさが、彼にとっては何よりも温かいものだった。玲子は、彼に少しでも自分の存在を感じて欲しいと願いながら、静かに彼の側を離れていった。

「また来年…」

彼の呟きに応えるように、玲子は消えゆく中で微かに微笑みを浮かべた。その微笑みは、彼の心の中に深く刻まれた。

そして、玲子の姿が完全に消え去ったとき、彼は一瞬の寂しさを感じたが、すぐに送り火の火を見つめ、その炎が消えないようにと静かに手を合わせた。

送り火の炎が揺れる中、彼は玲子との逢瀬を胸に刻み、再び現実の世界に戻っていった。お盆の夜は、彼にとって特別な時間であり、玲子との絆を確認する大切な儀式だった。

玲子は、来年もまた彼の元へ帰ることを約束し、静かにその夜を終えた。