いとなみ

春秋花壇

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失われた風景 柚子

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「柚子って儲かるのかな?」

田んぼのあぜ道に腰掛けて、ゆきちゃんと俺は柚子にかぶりついていた。

舌の上を激しい雷が香りを纏って走り出す。

柚子の皮のあのぷちぷちの中に含まれているのだろうか。

ビリーヤードの玉のように頬のあっちこっちを駆け巡る。

獲れたての柚子をほおばる。

まさにスローライフの醍醐味。

子供の頃から、稲刈りの日の大切な俺の中のご褒美。

そういえば時たま、柚子や夏みかんを湯船に入れると

痛くてたまらない時があるけど、シャワーのないこの家では

そんな時、水でも被るのかなと脈絡のない想像をしていく自分が面白かった。

「東京にいる時、柚子を買った?」

今日のゆきちゃんは、首に巻いたガーゼのカラフルなチョークドットがかわいい。

朝、俺が雪ちゃんの首に巻いて上げた。

「稲刈りの時の必需品なんだ。籾のイガイガでかゆくなるからね」

ゆきちゃんは恥ずかしそうにこくりと頷いた。

愛おしい。

大切な我が子のように慈しみたい。

愛が育っていくのを感じる今日この頃。

ゆきちゃんのお父さんは、ゆきちゃんが小学校に上がる前に

出稼ぎに行ったまま帰って来なくなった。

おかあさんは、今年の春まで一緒にいたのだが、

弟だけを連れて出ていってしまった。

光が当たりますように。

水を注ぐんだ。

ちゃんと育ちますように。

祈りを込めて……。

根が出て、芽が出て葉が出始めた状態かな。


今日は二人で稲刈りをしている。

母親が急に身罷って突然、この過疎の村に戻る事になった俺は、

不慣れな農業に日夜悪戦苦闘していた。

違うな。楽しんでいる。

「たまに送られてくるくらいで、買った事はないな」

「なくて困るってもんじゃないしね」

「あ、そう言えば、去年の冬至の日。

何時になく気になって買いに行ったら、お昼過ぎたばかりなのに売り切れていてない。

「昼過ぎたばかりなのにな、もう売り切れか」

と、ぼやいたら

そばに居た女の人が、

「お友達の家で頂いたんです。よかったらどうぞ」

って、柚子をいくつかくれたんだ。

全く知らない人だったのに、東京にもこんな人がいるんだって

すごく嬉しかったな。

って話をしたら、ゆきちゃんが

「おにいちゃんは、背は高いしイケメンだからな」

って揶揄ってきた。

「おうおう、俺はイケメン。妻の名はゆき」

っていったら、恥ずかしがって

「さきにいってまーす」

だって。やっぱり可愛い。


俺の名前は、矢次誠一32歳。

ニート歴10年の自宅警備員のプロだ。

俺は今、陰キャ引きこもりニートから必至に

回復しようとしている。


隣に座っているのは、ゆき(15歳)中学3年生。

すぐ近所の子で、母親はある日突然帰って来なくなった。


「話違うけど、明日三者面談でしょう」

「うん」

「俺行くから」

「ありがとう」

「高校どうしようか」

「行かないの、お金もないし」

「すまん、俺も戻って来たばかりだしな」


ここから行ける高校は、隣の地区の定時制か萩市内の公立高校、普通、商業、工業。

山口市内の私立が二つかな。

あ、忘れてた。水産高校も確かあったな。

あと、高専も。

「萩だと下宿だよね」

公立とはいえ、制服など含めると初年度の納入金は結構まとまったお金が掛かるかも。

「ゆきちゃんをお嫁さんに貰うにしても、16歳だと親の許可がいるしな」

(独りだったら、さっさと決断して、ダメだったら次善の策ってできるけどな~)

(ああ、まともに働いていたら貯金くらいできただろうに)

俺は俺をぶん殴りたくなる。

大学卒業後就職してボロ雑巾のように働いて

重症うつ病になって何も出来なくなった10年前が走馬灯のように駆け巡る。

「ゆきちゃん、ごめん。

先に家に帰ってお風呂をわかしてくれないか」

「はーい」

「俺自身を整理したい」

「ゆきちゃんも心の整理をしてみて」

「う・ん」


俺は、失敗する事を恐れてはいない。

10年もニートだったのだから、這いずってでも前進するだけだ。

でも、ゆきゃんを巻き込んでしまうのがとてもつらかった。

それは愛なのかな?

体裁なのかな?

見栄なのかな?


腰に下げていたタオルを口に押し当て、

「うおーーーー」

と、叫んで大泣きに泣いた。


(こええんだよー)

(不安なんだよー)

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