いとなみ

春秋花壇

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摂食障害 ラストクリスマスは似合わない

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「ばかやろう」

今にも叫びだしたい気分。

「なんかむかつくんだよな」

どうして、腹を立てているのか俺自身理解できていない。

「別に金がないわけじゃないから、たくさん食べたことに

イライラしてるわけじゃないんだよな」

青磁の皿に美しく盛られたふぐの刺身と、皮。

黄色の菊が添えてある。

ひれ酒の香ばしさが食欲をそそる。

もみじ卸の赤が鮮やかに華やかさを醸し出す。

こんなにおいしい心のおもてなしを前に腹を立てているのには

きっと理由がある。

頭ではわかっているのに、やっぱりそんな状態に彼女がなってしまうのか

よくわからないのであるのだろう。

俺の名前は、細野 正樹(ほその まさき)30歳。会社経営。

目の前にいるのは婚約者、山口 律子(やまぐち りつこ)29歳。

二人は、幼馴染で正式に婚約して1年が過ぎようとしていた。

「こんなご時世だから、式は新型感染症が落ち着くまで

お預けかしら」

とっても残念そうに少し口をとがらせている。

その素振りは子供っぽくてかわいいんだけど。

問題はー。彼女の食事風景である。

彼女は、幼稚園のころから色白で小太りのよく笑う子だった。

その天真爛漫さが俺は好きで、そばにいるときは底抜けの明るさに

癒されることが多かった。

それが、中学くらいからだろうか。

太っていることでたびたびいいじめにあい、

少しずつ性格が歪んでいった。

二人が、両親を疎ましく思う中二病真っ盛りのころ、

彼女は不登校になった。

その時には、確か、朝起きられない。

倒れてしまうという病状だったと思う。

そして、お決まりの引きこもりへ。

そんな彼女が心配で、ノートをよく持って行って、

学校の様子を知らせたりするのが俺の常だった。

まあ、幼馴染を守ってやれなかったという良心の呵責もあったのだが。

不登校1年くらいたったころ、病院に通うようになった彼女。

起立性調節障害(OD)という起立時にめまいや動悸、

失神などが起きる自律神経の病気だそうだ。

まあ、いろんな病気があるんだろうな。

いつか治るさ。

俺は気軽に考えていた。

何度も誘って、散歩に行ったり、買い物に行ったりしていたのだが、

ある時、ファミリーレストランで食事の最中に、

俺がいつになくあまり食欲がなくて、

食べ物を残したんだ。

「食べないんなら、もらってもいい?」

って聞くから、

「どうぞ」

って言ったら、ぺろりとおいしそうに平らげたんだ。

食べ終わるとにこにこしながら、

「お手洗いに行ってくるね」

と、席を立った。

その時、初めて気づいたんだ。

昔のふくよかな面影はどこにもない。

骨の上に皮がくっついているんじゃないか。

「肉はどこへいったーーー」

と、言いたくなるほど、ひょろひょろになっている。

あんな体系じゃ、貧血だって起こしかねない。

ひ弱で今にも倒れてしまいそうなか細い女性。

という容姿だった。

さすがの俺もちょっとびっくり。

「いつあんなにやせたんだ?」

毎日一緒にいると、気が付かないことってあるよね。

「あんなに細くなっちゃって」

「俺の好きだった肉まんみたいな律子ちゃんはどこいったー」

それから、何度も一緒に食事をしたけど、

透き通った肌から血管が浮き出るくらいやせっぽちになっていって、

全く違う人みたいになったんだ。

それでもなんとか、二人有名私立大学に入学できて、

楽しい大学生活を送ることができた。

高校の頃は、いじめもなかったから、

ふつーうに学園生活をエンジョイできたと思う。

律子ちゃんは、ファッションモデルじゃないかと思うような

線の細い美しいお嬢さんに成長していった。

まあ、一緒に連れ添って歩くのも嬉しいくらいの

変わりっぷり。

芋虫が、さなぎから蝶に早変わりしたのかな。

くらいにしか考えていなかった。

俺は、大学卒業と同時に、父の経営する会社の経営をゆだねられていった。

大学を卒業してからは、忙しさも手伝って、毎日あんなにあっていたのに、

一週間に一回になり、二週間に一度になり、

しまいにはひと月に一度に。

律子ちゃんは、寂しかったのかもしれない。

ある日、電話があり、

「入院したの」

って。

周囲も親も俺たち二人が結婚するもんだと思っていて、

俺たちもその気でいたから、

「少し放置しすぎたかな」

と反省しながらお見舞いに行ったんだ。

「この一か月の間に何があったー」

と、大声を出しそうになるのをぐっとこらえなきゃならないほど、

以前よりもすごく痩せていた。

肌の艶もなく、点滴の跡が痛々しい。

血管がもろくなっていて、洩れちゃうんだって。

どうやら今度は、同じODでも、

摂食障害になったみたいで、自助グループに通っているという。

「わたし、もっときれいになれば、正樹に愛してもらえるかと思って

頑張ったんだけどな」

縋りつくような目で俺を見る。

そういう問題じゃないだろう。

不安だったんだね。

「正樹に取り残されるような気がして

とっても怖かったの」

長いまつげの大きな目からは一滴の涙が流れている。

その涙がきらりと光って、

「ああ、俺は、この人のそばに連れ添いたい」

心からそう思ったんだ。

「あのさ、俺の嫁になるつもりなら、

一人に少しはなれないとな」

「う・ん」

悲しそうに頷く彼女を

「やっぱり、ほっとけない」

と、思った。

ここら辺からかな。

俺と彼女の共依存関係。

俺は、てっきり彼女の摂食障害は

こんなに瘦せているんだから、

拒食症なんだとよく聞きもしないで思い込んだんだ。

だから、時間を作っておいしいものを食べに一生懸命誘った。

彼女は、本当にうれしそうに俺の誘いを心待ちにしてくれていた。

ところが、何度か食事に行って、彼女は前と同じように

俺が残したものまで食べる。

ならば、病気もきっとよくなっているんだと安心していたんだ。

ある時、デートの途中で彼女の通っている自助グループに行ってみたいな。

と、思った。

OA オーバーイーターズ・アノニマス

Overeaters Anonymousは、強制的な過食症、過食症、過食症、拒食症などの

食品に関連する問題を抱える人々のために1960年に設立された

12ステップのプログラム。

食べ物との関係に問題がある人なら誰でも歓迎する。

原宿の教会をお借りして行われていたんだが、

そこで話された事柄は、想像を絶するほど、

すさまじい戦いの葛藤だった。

話を聞きながら、俺はいつしか恥ずかしいが涙を流していた。

衣食住。

そのもっとも基本的な事柄で、彼女たちは毎日

こんなに苦しみ、喘ぎ、克服しようとしている。

目から鱗という感じ。

「太ったね」

些細な一言がどれほど、怖い言葉の兵器なのかを感じた。

もっと、気を使ってあげないと。

俺は彼女がよくなるためなら、なんでもするようになった。

それが愛だと思っていたんだ。

俺がもっとしっかりして、彼女を支えてあげなければ。

彼女の苦しみを少しでも減らしてあげなければ。

イネーブリングと呼ばれる言葉がある。

心理療法、精神保健の文脈で使われるイネーブリング(Enabling)には

二種類の意味がある。

イネーブリングを与える者はイネーブラー(Enabler)、

支え手(ささえて)と呼ばれる。

ポジティブな文脈においては、個人の成長・自立を促す反応パターンを指す。

ネガティブな文脈では、個人のある種の問題の解決を手助けすることで、

実際には当人の問題行動を継続させ悪化させるという、問題行動を指している。

彼女の責任まで取り上げて、俺が世話をしてしまうために、

彼女にも転ぶ権利があり、責任を取ることを回避させてしまう。

ということらしい。

そして、摂食障害にもいろんなパターンがあり、

どうやら彼女は、拒食ではなく、過食嘔吐をしてしまうようなのだ。

たくさん食べて吐くを繰り返す。

はきだこまでできていた。

俺は馬鹿だから、何かの作業でタコができているんだと

思い込んでいたんだ。

それを知った時のショックたるや……。

「食べれるようになった。元気になっている」

と、思い込んでいたのは俺の大きな間違いである。

結局、俺は彼女の中学時代のいじめの問題に

何もできなくて無力を味わったために、

有力になりたかっただけなんだ。

そして、なんとかできる。

彼女を変えることができのは俺だけだと。

彼女の俺への依存を助長しているだけなんだと。

ああ、なんて、馬鹿な。

浅はかな。

おぞましい。

オレノバカバカバカー。

今日は、クリスマス。

街角のスピーカーからWham! - Last ChristmasのBGMが流れる。

ラストクリスマスにはしたくない。

原宿の街路にイルミネーションがとても幻想的な世界へといざなう。

雲一つない夜空から星々が共鳴してくれている。

天籟(てんらい)が聞こえる。

君の光も闇も全部まるごとひっくるめて愛せる男に成長するんだ。

待つこと。続けること。

子供と大人を分けるプロセスである。

俺は断腸の思いで彼女に告げたんだ。

「なあ、律子、1年間会わないでいよう」

「え、捨てちゃうの」

「君がそうとしか思えないなら仕方がない」

「おいていかないでよ」

「約束しよう。連絡はいつでもオーケー」

「うん」

「1年後に笑っていられるように。それができたら結婚しよう」

「できなかったら?」

「婚約破棄だ」

「ええええええええ」

「信じているからな。

絶対お前は乗り切るって」

よっぽどつらい言葉だったんだろうな。

泣きじゃくりながら、

「病的な美しさじゃなくて、健康的な美人に絶対なるから」

「ああ」

「ひまわりみたいに明るくて笑顔の似合う人になるから」

「楽しみに待ってるな」

あれから、毎週一通のはがきが来る。

それは、彼女の命を懸けた航海日誌だった。

もうすぐ、一年、クリスマス。

パンジー・ビオラ、アリッサム、プリムラ、ガーデンシクラメン

宿根ネメシア、さざんか、ストック、ハボタン。

君の大好きな冬の花壇が季節の旬と彩をはんなりと添えている。

よく頑張ったよな。

楽しみだなー。

ありがとうな。
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