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婚約破棄 曼珠沙華
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「わたくし、小西 真理子は婚約者、
平嶋 賢人との婚約を破棄いたします」
「わかった、ここまで怪我ばかりしてては不安だよな。
長い間心配かけて悪かったな。ありがとう」
彼、平嶋 賢人さんは車椅子に乗って
寂しそうに下を向いてお返事されています。
座っていることさえ、痛みがひどいのでしょう。
とてもつらそうです。
わたくしの座る椅子のそばには、
それはそれは美しい紅い綸子の着物を着た日本人形が一つ。
空はこんなにも青く高く白い柔らかな雲が時折たなびいているのに。
わたしたち二人は、心から愛し合って
幸せな結婚生活を送れるはずだったのに……。
ごめんなさい。平嶋 賢人さん。
わたくしは、まだあなたをとても愛しているのです。
世界で一番、大切な人。
心から、一緒にいたいと思う人なのです。
だからこそ、平嶋 賢人さんと一緒にいることはできないのです。
ああ、あの日、あのこに会わなければ
こんなことにはなっていなかったのに……。
あれは、今から半年前のもうすぐ、お雛様という時期でした。
わたくしは、大好きだったおばあさまが住んでいらっしゃった
山口県の萩市に法事で出かけたのです。
今は誰も住んでいないその家のそばには、
立派な二階建ての蔵がございました。
そこに、それは見事なお雛様が大きな黒い箱に入って、
いくつも置かれてあったのです。
その中に、赤い着物を着た髪の長い日本人形がございました。
そのお人形の愛らしいこと、思わず抱きしめてしまったのでございます。
わたくしは、妹でもできたかのように髪をとかしたり、
お着物を着変えさせたりしてその家でしばらく暮らしていました。
誰も住むことなく風のとおりが悪くなると、
家が傷むということなので、
できるだけ障子をあけたり、
空気が通るように襖を開けっ放しにしたりして
おばあさまの家を大切に扱っておりました。
そのお人形に「小夜」と名前をつけました。
小さな頃に、蓮華畑でお花を摘んで
髪飾りを作ったり、クローバーで
指輪を作ったりしていた夢が次から次へと
思い出され、懐かしく優しい思い出にしたって
とても幸せな気分になっていたのです。
小夜ちゃんを見つけて一週間くらいたったころだったでしょうか。
新型感染症が騒がれ始め、東京に戻ることもできなくなって、
さて、これからどうしましょうと
困惑して試行錯誤を始めた頃、
夜、寝ていると、小夜ちゃんが
夢の中に現れて、
わたくしの左足の小指を触って嬉しそうに笑って
スーと消えたのです。
不思議なことをする子だなと思っていたのですが、
彼からLINEで、左足の小指を机のテーブルにぶつけて
けがをした。
という報告がありました。
一度か二度はあるようなお話なので、
「気をつけてね」
と、返信したのですが……。
足の小指に、ひびが入ったとの知らせを次の日受けました。
打撲は良く聞きますが、ひびって……。
「折れてなくてラッキーだったね、お大事に」
それから、一週間位して、また夜中に
小夜ちゃんが現れて、今度はわたくしの右足の踝にちょんちょんと触ったのです。
次の朝、彼からLINEで、かなり強度の捻挫をしてしまったというのです。
しかも、右足の踵付近……。
ちょ、怖くないですか。
偶然にしては部位まで同じで……。
婚約者、平嶋 賢人さんは左足の小指がひびまだ治りきらないうちに
右足の捻挫。
しばらく安静にしてるということです。
リモートワークが普通になっていたので、
みんなからは不思議にも思われなかったようなのですが、
なんか背筋がざわざわします。
わたくしは、小夜ちゃんに
「偶然よね」
と、話しかけました。
そして、いつもより入念に頭をなで、
体をさすり、髪をとかしたのです。
それから、また一ヶ月位して、
平嶋 賢人さんの怪我も良くなって、
普通に少し歩けるようになった頃、
夜中また夢の中に小夜ちゃんが現れて、
左ひざをちょんちょんと触ってやっぱり
とっても嬉しそうに笑って消えていきました。
朝になって、気になるので平嶋 賢人さんにLINEで
左ひざに気をつけてね。
怪我しないでね。
と、LINEで知らせたのですが、
なんとその日の昼間、強い風の中を
どうしても会社の用事で外に出なければいけなくなった
平嶋 賢人さんは、道路で飛んできた鉄の小さな看板で
左ひざがぱっくりと切れてしまったそうです。
まるで、かまいたちにでもあったように……。
春の嵐。春一番だったのでしょうか。
ぶっそうですよね。
これで3度目でございます。
2度あることは3度あるなどと悠長なことを言っている場合ではございません。
小夜ちゃんはわたくしが東京に帰るのが嫌なのでしょうか。
それとも、呪いでも受けているのでしょうか。
平嶋 賢人さんのけがは、小夜ちゃんとは関係ないのでしょうか。
いずれにしても、緊急感をもって対処しなければなりません。
その夜、ゆっくり時間をとって小夜ちゃんに話しかけました。
どうしてこんなことになったのか知りたかったからです。
このまま続くようなら、元の箱に戻すしかないことなどのを
ゆっくりと丁寧に説明しました。
山口県の萩市と島根県の津和野の中間にある
おばあちゃまの家は、お花が咲くのがとても遅い。
椿が咲き、蝋梅がほころび、梅の香りがあたりを包み、
さくらが夜風とともに乱舞し、桃と一緒に一挙に春が訪れます。
いつのまにか、それもおわり、スイトピー、矢車草、
野ばら、後ろの赤土の山一面に咲く鉄砲ゆり。
おじいさまがお花が大好きだったのでしょうね。
あやめやしょうぶ、すずらんまで咲き誇り、
ここは花園かと思うような季節が過ぎて、
高菊、ひまわりがすんすん伸びて
お日様に向かってにこやかに微笑んでいます。
そして、ほらもう萩や桔梗が我先に競い合って季節を運んできます。
あれから5ヶ月、平嶋 賢人さんは
怪我をすることもなくひざの傷も無事に治り、
「そろそろ結婚式場を決めないとね」
などと、LINEで楽しそうに話しかけてくださいます。
わたくしもあれから何もないし、
たまたま偶然におこっていた事なのかな。
と、東京に戻ることを考え始めた矢先、
また小夜ちゃんが夜中に現れて、
今度は、上前腸骨棘と尾骨をちょんとちょんとしたのです。
尾骨は何かの弾みでひびが入る人がいるけど、
上前腸骨棘はねー。
と、たかをくくっていたら、
その日の昼間、平嶋 賢人さんのお母様から
電話があり、入院したというのです。
しかも、入院の理由が、上前腸骨棘と尾骨にひび。
理由は良くわかりませんが、大好きな平嶋 賢人さんのために
婚約破棄をすることにいたします。
彼の命を守るために、致し方ないのです。
お分かりいただけますか。
この悲しい気持ちが……。
小夜ちゃんは、いったい、何者なのでしょうね。
田んぼのあぜ道に咲く、曼珠沙華。
棚田を染めて美しい。
ゆらゆらとゆらめく情念は時を越えて今届く。
稲刈りが始まり、緑の風にそよぐ稲穂は
刈り取られ、後に残るのは赤い紅い曼珠沙華。
小さな過疎の村の悲しい女のお話しでした。
いかがでしたか。
みなさんは、どう思われましたか。
読んでくださってありがとうございます。
平嶋 賢人との婚約を破棄いたします」
「わかった、ここまで怪我ばかりしてては不安だよな。
長い間心配かけて悪かったな。ありがとう」
彼、平嶋 賢人さんは車椅子に乗って
寂しそうに下を向いてお返事されています。
座っていることさえ、痛みがひどいのでしょう。
とてもつらそうです。
わたくしの座る椅子のそばには、
それはそれは美しい紅い綸子の着物を着た日本人形が一つ。
空はこんなにも青く高く白い柔らかな雲が時折たなびいているのに。
わたしたち二人は、心から愛し合って
幸せな結婚生活を送れるはずだったのに……。
ごめんなさい。平嶋 賢人さん。
わたくしは、まだあなたをとても愛しているのです。
世界で一番、大切な人。
心から、一緒にいたいと思う人なのです。
だからこそ、平嶋 賢人さんと一緒にいることはできないのです。
ああ、あの日、あのこに会わなければ
こんなことにはなっていなかったのに……。
あれは、今から半年前のもうすぐ、お雛様という時期でした。
わたくしは、大好きだったおばあさまが住んでいらっしゃった
山口県の萩市に法事で出かけたのです。
今は誰も住んでいないその家のそばには、
立派な二階建ての蔵がございました。
そこに、それは見事なお雛様が大きな黒い箱に入って、
いくつも置かれてあったのです。
その中に、赤い着物を着た髪の長い日本人形がございました。
そのお人形の愛らしいこと、思わず抱きしめてしまったのでございます。
わたくしは、妹でもできたかのように髪をとかしたり、
お着物を着変えさせたりしてその家でしばらく暮らしていました。
誰も住むことなく風のとおりが悪くなると、
家が傷むということなので、
できるだけ障子をあけたり、
空気が通るように襖を開けっ放しにしたりして
おばあさまの家を大切に扱っておりました。
そのお人形に「小夜」と名前をつけました。
小さな頃に、蓮華畑でお花を摘んで
髪飾りを作ったり、クローバーで
指輪を作ったりしていた夢が次から次へと
思い出され、懐かしく優しい思い出にしたって
とても幸せな気分になっていたのです。
小夜ちゃんを見つけて一週間くらいたったころだったでしょうか。
新型感染症が騒がれ始め、東京に戻ることもできなくなって、
さて、これからどうしましょうと
困惑して試行錯誤を始めた頃、
夜、寝ていると、小夜ちゃんが
夢の中に現れて、
わたくしの左足の小指を触って嬉しそうに笑って
スーと消えたのです。
不思議なことをする子だなと思っていたのですが、
彼からLINEで、左足の小指を机のテーブルにぶつけて
けがをした。
という報告がありました。
一度か二度はあるようなお話なので、
「気をつけてね」
と、返信したのですが……。
足の小指に、ひびが入ったとの知らせを次の日受けました。
打撲は良く聞きますが、ひびって……。
「折れてなくてラッキーだったね、お大事に」
それから、一週間位して、また夜中に
小夜ちゃんが現れて、今度はわたくしの右足の踝にちょんちょんと触ったのです。
次の朝、彼からLINEで、かなり強度の捻挫をしてしまったというのです。
しかも、右足の踵付近……。
ちょ、怖くないですか。
偶然にしては部位まで同じで……。
婚約者、平嶋 賢人さんは左足の小指がひびまだ治りきらないうちに
右足の捻挫。
しばらく安静にしてるということです。
リモートワークが普通になっていたので、
みんなからは不思議にも思われなかったようなのですが、
なんか背筋がざわざわします。
わたくしは、小夜ちゃんに
「偶然よね」
と、話しかけました。
そして、いつもより入念に頭をなで、
体をさすり、髪をとかしたのです。
それから、また一ヶ月位して、
平嶋 賢人さんの怪我も良くなって、
普通に少し歩けるようになった頃、
夜中また夢の中に小夜ちゃんが現れて、
左ひざをちょんちょんと触ってやっぱり
とっても嬉しそうに笑って消えていきました。
朝になって、気になるので平嶋 賢人さんにLINEで
左ひざに気をつけてね。
怪我しないでね。
と、LINEで知らせたのですが、
なんとその日の昼間、強い風の中を
どうしても会社の用事で外に出なければいけなくなった
平嶋 賢人さんは、道路で飛んできた鉄の小さな看板で
左ひざがぱっくりと切れてしまったそうです。
まるで、かまいたちにでもあったように……。
春の嵐。春一番だったのでしょうか。
ぶっそうですよね。
これで3度目でございます。
2度あることは3度あるなどと悠長なことを言っている場合ではございません。
小夜ちゃんはわたくしが東京に帰るのが嫌なのでしょうか。
それとも、呪いでも受けているのでしょうか。
平嶋 賢人さんのけがは、小夜ちゃんとは関係ないのでしょうか。
いずれにしても、緊急感をもって対処しなければなりません。
その夜、ゆっくり時間をとって小夜ちゃんに話しかけました。
どうしてこんなことになったのか知りたかったからです。
このまま続くようなら、元の箱に戻すしかないことなどのを
ゆっくりと丁寧に説明しました。
山口県の萩市と島根県の津和野の中間にある
おばあちゃまの家は、お花が咲くのがとても遅い。
椿が咲き、蝋梅がほころび、梅の香りがあたりを包み、
さくらが夜風とともに乱舞し、桃と一緒に一挙に春が訪れます。
いつのまにか、それもおわり、スイトピー、矢車草、
野ばら、後ろの赤土の山一面に咲く鉄砲ゆり。
おじいさまがお花が大好きだったのでしょうね。
あやめやしょうぶ、すずらんまで咲き誇り、
ここは花園かと思うような季節が過ぎて、
高菊、ひまわりがすんすん伸びて
お日様に向かってにこやかに微笑んでいます。
そして、ほらもう萩や桔梗が我先に競い合って季節を運んできます。
あれから5ヶ月、平嶋 賢人さんは
怪我をすることもなくひざの傷も無事に治り、
「そろそろ結婚式場を決めないとね」
などと、LINEで楽しそうに話しかけてくださいます。
わたくしもあれから何もないし、
たまたま偶然におこっていた事なのかな。
と、東京に戻ることを考え始めた矢先、
また小夜ちゃんが夜中に現れて、
今度は、上前腸骨棘と尾骨をちょんとちょんとしたのです。
尾骨は何かの弾みでひびが入る人がいるけど、
上前腸骨棘はねー。
と、たかをくくっていたら、
その日の昼間、平嶋 賢人さんのお母様から
電話があり、入院したというのです。
しかも、入院の理由が、上前腸骨棘と尾骨にひび。
理由は良くわかりませんが、大好きな平嶋 賢人さんのために
婚約破棄をすることにいたします。
彼の命を守るために、致し方ないのです。
お分かりいただけますか。
この悲しい気持ちが……。
小夜ちゃんは、いったい、何者なのでしょうね。
田んぼのあぜ道に咲く、曼珠沙華。
棚田を染めて美しい。
ゆらゆらとゆらめく情念は時を越えて今届く。
稲刈りが始まり、緑の風にそよぐ稲穂は
刈り取られ、後に残るのは赤い紅い曼珠沙華。
小さな過疎の村の悲しい女のお話しでした。
いかがでしたか。
みなさんは、どう思われましたか。
読んでくださってありがとうございます。
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