いとなみ

春秋花壇

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婚約破棄 如月

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それは、ビル風の強い如月、寒い寒い晩のことでした。

高層マンションの一室で、

松島 和弘 33歳。プログラマー。

神田 美和子 26歳。芸者。

二人は、一緒にお酒を飲んでいた。

つまみは、氷下魚。

美和子が、自分の住むマンションの住人から

貰った干物だった。

木槌で、軽くたたいてあぶって食べるという。

たらを少しさっぱりさせた感じ。

木槌で加減しながら叩くのが楽しかった。


みかんが三日も見っかんねぇ
ダイコンだらけで大混乱
名がレモンで、流れもん
紀香嬢に、海苔過剰
皆さんから総スカンの美奈さんから、ソース缶
「真鯛、高!」という人が、まだ居たか
椎茸の、下に敷いた毛
キーマカレー好き今カレ
甲州かシラーに関する講習かしらぁ?
ミカン製品が未完成品だった

寒い寒いダジャレを言い合ってる。


和弘は、だるまの水割り。

美和子は、広島の酔心。

二人で、JBLのスピーカーから流れてくるウーハーの聞いた

低音を楽しんでいた。

ここは、和弘のマンション。

二人は、婚約したばかりだった。

その、和気藹々とした楽しい雰囲気を破るように、

和弘の固定電話が鳴る。

楽しそうに笑って話している。

美和子は、初め、和弘の仕事関係の人かなと思っていた。

20分くらいたったろうか。

電話を切った、和弘が、美和子のほうを向いて、

「悪い、君とは一緒になれない。婚約は破棄する」

と、いった。

美和子が何が起こっているのか、一瞬わからず、

立ち尽くしている。

「もう一度いう。君とは一緒にはなれない。

これから、九州に彼女を迎えにいく。

婚約は破棄してくれ」

美和子は、顔を覆って、

バックだけ撮ると、泣きながら走り出してしまった。

コートも着ないで。

すぐそばに、美和子が住むマンションはあった。

小さな男の子と、老婆が住んでいる。

美和子は、彼らを養っていた。

芸者には、やめるときに、お祝いの、引きの式なるものがある。

平たく言えば、引退式である。

その日取りも決まっているのに。

いまさら、だめでしたといちいち伝えなければならない。

みわこは、子連れの婆つきだが、人気芸者であった。

それが証拠に、この春からの指圧の専門学校の入学金、授業料、

全納してくれたお客様までいる。

いろんなお客様が、美和子を盛り立ててくれていた。

自分のマンションに帰ると、美和子は、黙って泣いていた。

老婆が、尋ねても、何もいわないでただただ、泣いていた。

息子がそばに寄ってきて、

ティッシュで涙を拭いてくれている。

「ちゃーちゃん、泣かないで。

ぼくが必ず幸せにするからね」

その日から、息子は、和弘のマンションの前で一日中待っていた。

和弘のマンションのオーナーが、息子に

「何をしているの?」

と、聞くと、

「パパを待っているの」

と、いうのだった。

和弘は、オーナーから連絡を受けると、

九州に迎えに行った女性のことを

興信所で調べ始めた。

彼女には、やくざの紐がいた。

和弘は、その女性に毎月30万円の生活援助をしていた。

息子が慕ってくれることも考え、

和弘は、美和子の元に戻ってきてくれた。

ところが、美和子は……。

失語症になるほどのショックを受けていたのである。

もともと、美和子は男を愛したりできなかった。

なぜなら、3歳、8歳、16歳と監禁されたり、

レイプされそうになったりしていたからだ。

でも、子供もなついているし、信じられるかな。

信じてみようかなと和弘を愛そうとしていたのである。

話は何事もなく進み、引きの式も終わり、

美和子は、指圧の専門学校に行きながら、

和弘との、新婚生活を楽しんでいた。

一年がたち、2月になった。

美和子は、突然、重症のうつ病になった。

話すことも泣くことも笑うこともできなかった。

子供のため、老婆のため、

美和子は自分の気持ちを押し隠してきたのである。

2月の寒い寒い風が吹くと、フラッシュバックして思い出してしまう。

そして、

「ひーーーーー」

と、震え上がってしまうのだ。

精神科に通い、主治医やカウンセラーがどんなに慰めても、

何度も何度も走馬灯のように頭の中で繰り返された。

「君とは一緒になれない」

「君とは……」

涙で一杯になる。

いつか、この人は、わたしを捨てて

他の女の人のところに行ってしまう。

恐ろしいほどの見捨てられ不安。

主治医は悲しそうに、

「時間に解決してもらうしかないですね」

と、いうのだった。

和弘は、一軒家を借りて、引っ越したのだが、

6年たった今も、毎年2月になると、

妻の美和子は一日中泣き出してしまう。

彼女が笑える日が必ず来ると、

和弘は老婆と息子の手を取り、

入院先の病院に見舞いに行くのであった。

人の心の真は奥深い。

いつか、この冬ぐもりの重く垂れ込めた雲も晴れますように。

今日もどこかで、白梅の匂いがする。

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