都市伝説 短編集

春秋花壇

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中野区の影

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「中野区の影」

中野区に住む若者たちの間で、ある不気味な都市伝説が語られていた。それは、誰もが目を背けたがる、そして誰もが心の奥底で知っている話だった。

「中野駅近くのアパートの裏に、夜にしか現れない人物がいるんだ。」そう言うと、だいたい誰もが興味を示す。それは、普通の人々にとってはただの噂だが、ある一部の人々には、ただの噂では済まされない恐ろしいものだった。

その話を最初に聞いたのは、大学に通う久保田和真(くぼた かずま)だった。友達の田島翔(たじま しょう)と一緒に、昼間のカフェでだらだらと話している時、翔が突然、話を切り出した。

「お前、中野区の『影』って知ってるか?」

和真は一瞬、何のことかわからなかった。翔は普段から不気味な話をよくするので、あまり真剣に受け止めていなかった。

「影?何だ、それ。」和真は聞き返す。

翔は目を細め、周囲に誰もいないことを確認した。すると、声をひそめて言った。

「夜、あの中野駅近くのアパートの裏で、誰かが立っているって。最初は普通の人に見えるんだけど、どうも様子がおかしい。近づくと、顔が見えない。ただの黒い影みたいなんだ。目撃した人は皆、動けなくなる。最初は気づかないけど、目を離すと、影がゆっくり近づいてくる。そして、気づいた時には…」

翔はそこで言葉を止め、和真をじっと見た。和真はその場の空気が急に重くなるのを感じた。だが、翔はどこか楽しげに続けた。

「で、目が合うと、その人は…消えちまうんだ。」

和真は思わず笑いそうになったが、翔の真剣な表情を見て、冗談ではないことがわかった。

「それ、ただの噂だろ?」和真は軽く言った。

翔は黙って首を振る。少し間を置いてから、低い声で言った。

「いや、マジだ。お前、行ってみるか?」

和真は躊躇したが、翔の目が真剣そのものであることに気づき、少し怖くなった。

その日、和真はいつも通り夜に中野駅に向かうことにした。翔が言っていた場所が本当に存在するのか確かめたかったからだ。少し好奇心が勝っていた。

中野駅を降り、駅の近くを歩きながら、和真は何度も周囲を気にした。繁華街のネオンが煌めく中、アパートの裏通りに入ると、辺りは急に静かになった。車の音も、人の声もほとんど聞こえず、街灯の薄暗い明かりだけが頼りだった。

そのアパートの裏に到達すると、何も見えなかった。普通の裏口と駐輪場が並ぶだけだ。しかし、和真の足元に不意に違和感を覚えた。何かが足元を通り過ぎたような気配がしたが、振り返っても誰もいない。

その時、急に背筋を走る寒気が和真を襲った。目の前に立つアパートの建物が、まるで無機質な巨大な影のように見えてきた。背後に何かが迫ってくるような気がした。

不安を感じながらも、和真は振り返らなかった。数歩後ろを歩いた瞬間、前方の薄暗い影が動いたような気がした。心臓が跳ねるように速くなる。視線を上げると、影のような存在が確かに立っていた。見た目は普通の人間のようだったが、顔がまったく見えない。黒い影に包まれたような、その輪郭すら曖昧な存在。

「まさか、これが…?」

和真は思わず立ち止まり、足が動かなくなった。身体が硬直して、声も出せなかった。目の前の影が、ゆっくりとこちらに向かって歩き出した。歩みは不自然で、まるで地面を滑っているようだった。

その時、和真の背後で不意に足音が聞こえた。振り返ると、誰かがこちらに近づいてくる。顔を見た瞬間、和真は血の気が引いた。その人物もまた、顔がなく、ただの黒い影のように見えた。

「…どうしよう…」

和真は恐怖で足がすくんだ。振り返った瞬間、影が目の前に迫り、視界が一瞬で暗転した。

目を開けると、何もないはずのその場所には、すでにアパートがなく、ただの空き地が広がっていた。周囲にはただの雑草が生い茂るだけで、他に何も見当たらなかった。

和真はその後、その場から必死で走り去った。背後から誰かが追いかけてくる気配はなかったが、その恐怖の記憶は彼の中に深く刻まれた。

数日後、和真は翔にその話をした。しかし、翔は冷静に言った。

「お前、行ったんだろ?その場所。」

和真は頷いた。

「でも、あれはどういうことだ?顔がなかったんだ。」

翔は少し黙ってから、口を開いた。

「それが、『影』だよ。消えた人たちが、あの場所に引き寄せられて、もう出られなくなるんだ。」

その後、和真は二度とその場所に近づくことはなかった。しかし、彼の心にはいつまでもあの影のような存在が残り、時折夢の中に現れることがあった。

それ以来、和真は決して中野区のアパート裏に近づくことはなかった。そして、翔の言葉を思い出しながら、その恐ろしい「影」の伝説が本当であることを知ったのだった。







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