抱いて

冬の夜空と缶コーヒー

「冬の夜空と缶コーヒー」

どうしてこんなに寂しいんだろう
窓の外は、冬の静かな夜空が広がっていた。街の灯りが遠くで瞬き、冷たい空気が窓ガラスを隔てて伝わってくる。午後六時を過ぎたばかりだが、冬の早い日暮れが街全体を灰色に染めている。

菜穂はソファに深く沈み込み、スマートフォンの画面を眺めていた。上司からの冷たい言葉が頭を離れない。「やる気が感じられない」「プロジェクトの足を引っ張らないように」――心の中で何度も反論し、正当化しようとしたが、返ってくるのは自己嫌悪だけだった。

彼女はそっと目を閉じ、少し前の出来事を思い返した。仕事終わりの飲み会で、同期たちは笑顔で近況を語り合っていたが、菜穂はどうしてもその輪に入れなかった。「一緒にいても楽しくないんじゃないか」と考え、結局早々に帰ってきてしまった。

冷たい部屋に一人、今日もまた虚しさが胸を締めつける。
「どうしてこんなに寂しいんだろう。」

口にした言葉は空気に溶け、冷蔵庫の低い唸りだけが静寂を埋めた。

大学時代の恋人の顔が、不意に思い浮かぶ。陽一とは同じサークルで出会い、最初は些細な話題で盛り上がった。その後、寒い冬の日に温かい缶コーヒーを渡してくれた彼の手の温もりが、恋の始まりだった。

陽一は、何でも前向きに考える人だった。小さな失敗も笑いに変え、どんなに忙しくても菜穂に時間を作ってくれた。けれど、就職活動の時期にすれ違いが生じた。彼は地方の企業に内定が決まり、遠距離恋愛になると聞いた瞬間、菜穂は黙って頷くことしかできなかった。

彼を手放したくなかった。でも、電話を繋いでも彼の声が遠く感じられ、次第に連絡の頻度も減っていった。そして、自然消滅のように関係は終わった。

「もっと頑張ればよかったのかな。」

そう思うたびに、自分の未熟さや臆病さを責めた。彼と手を繋いで歩いた冬の夜、その温もりが今では痛いほど懐かしい。

スマートフォンが震えた。画面に「母」という名前が表示されている。少し躊躇してから通話ボタンを押す。

「もしもし、菜穂？」
「うん。」
「元気にしてる？最近忙しそうね。」
「まあ、なんとかね。」

母親の声は柔らかく、どこか安心感を与えてくれる。「ちゃんと食べてる？あんまり無理しないでね。」そう言ってくれる母親の言葉に、菜穂は胸の奥が温かくなるのを感じた。

「ありがとう、大丈夫だよ。」

電話を切った後、部屋に再び静寂が訪れる。それでも、さっきより少しだけその静けさが優しく思えた。

菜穂はスマートフォンを手に取り、同期のグループチャットを開いた。そこには「今夜、飲みに行かない？」という誘いのメッセージが表示されている。

「行ってみようかな。」

自分で自分に問いかけるように小さくつぶやく。そして短く「行きます」とだけ返事を送ると、すぐに「待ってるよ！」という返信が返ってきた。

母との電話で感じた温もりが、誰かと繋がることへの恐れを少しだけ和らげてくれたのかもしれない。菜穂はクローゼットからコートを取り出し、玄関のドアを開ける。冷たい風が頬をかすめる。それでも、心は少しだけ軽くなっていた。

冬の夜空には、月が静かに輝いている。