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わたし、悪くないもん
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「わたし、悪くないもん」
「だって、わたしわるくないもん!」
口から飛び出したその言葉に、自分でも驚いた。鏡の中の自分が、まるで見知らぬ人のように感じられる。言い訳の響きが耳に残り、心臓が重くなった。
それは、幼い頃に友だちとの喧嘩で使ったような幼稚な言葉だった。まさかこの歳になって、同じセリフを吐くとは思わなかった。
全ての始まりは、同僚の浅井さんとの些細なトラブルだった。
会社で進行中のプロジェクトで、誰がミスをしたのかが問題になった。報告書に書かれたデータに誤りがあり、それが取引先に送られてしまったのだ。会議でその件が話題になると、浅井さんが冷たく私を見て言った。
「このデータ、あなたが確認したんですよね?」
確かに確認はした。けれど、間違いを作ったのは最初に入力した別のメンバーだったはずだ。私は、自分の責任ではないと思っていた。
「私は…ただ確認しただけで、入力したのは他の人です。」
その場では何とかやり過ごしたが、浅井さんの冷たい視線や他の同僚の表情が刺さるようだった。
家に帰り、ソファに沈み込んだ。テレビの音が遠く響く中で、頭の中はぐるぐると自己弁護の言葉でいっぱいになっていた。
「私のせいじゃないのに…。誰だって、最初の人がミスしたらわからないこともある。」
その言い訳が本当に正しいのか、自分でも分からなくなっていた。ただ、責任を認めたら何かが崩れそうで、必死に正当化していた。
ふと、リビングの棚に置かれた聖書が目に入った。最近読んだエレミヤ 17:9の言葉が思い出される。
「心は他の何物よりも不信実であり,必死である。だれがそれを知ることができよう。」
この言葉が頭の中で響くと同時に、胸の奥に鈍い痛みが広がった。
「わたしの心も不信実なの?」
エレミヤ書の言葉を心の中で反芻する。自分を正当化しようとする気持ちが、他の人を傷つけたり、真実を曇らせたりしているかもしれない。
次の日、会社に向かう電車の中でふと顔を上げると、窓ガラスに映る自分の姿が目に入った。昨日の「わたしわるくないもん」という言葉が何度も頭をよぎる。
会社に着くと、浅井さんが休憩室で一人コーヒーを飲んでいるのを見かけた。少し緊張しながら声をかける。
「浅井さん、少しお時間をいただけますか?」
彼女は驚いたような表情を浮かべながら、黙って頷いた。
「昨日の件なんですけど…私、確認をしたのに間違いを見落としてしまいました。それは私の責任です。」
浅井さんは少し驚いた顔をして、それから優しく微笑んだ。
「謝ってくれてありがとう。でも、あなた一人のミスではないわ。みんなでチェックするべきだったのよ。」
その言葉を聞いて、胸の中に溜まっていた重いものが少しずつ消えていくのを感じた。
その日の帰り道、私は再び聖書を開いた。今度は、エレミヤ 17:10 を読んだ。
「我エホバは心を探り,…各自にその道にしたがい,その行動の実にしたがって与えるためである。」
行動の実にしたがって報いを受ける。この言葉を深く考えたとき、自分がこれからどうあるべきかが見えてきた。間違いを認め、責任を果たすことが「正しさ」に近づく第一歩だと気づいたのだ。
帰り道の冷たい風が、頬を軽く撫でるように通り過ぎた。
「もう言い訳はやめよう。」
そう心に決めた私の足取りは、少しだけ軽かった。
終わり
「だって、わたしわるくないもん!」
口から飛び出したその言葉に、自分でも驚いた。鏡の中の自分が、まるで見知らぬ人のように感じられる。言い訳の響きが耳に残り、心臓が重くなった。
それは、幼い頃に友だちとの喧嘩で使ったような幼稚な言葉だった。まさかこの歳になって、同じセリフを吐くとは思わなかった。
全ての始まりは、同僚の浅井さんとの些細なトラブルだった。
会社で進行中のプロジェクトで、誰がミスをしたのかが問題になった。報告書に書かれたデータに誤りがあり、それが取引先に送られてしまったのだ。会議でその件が話題になると、浅井さんが冷たく私を見て言った。
「このデータ、あなたが確認したんですよね?」
確かに確認はした。けれど、間違いを作ったのは最初に入力した別のメンバーだったはずだ。私は、自分の責任ではないと思っていた。
「私は…ただ確認しただけで、入力したのは他の人です。」
その場では何とかやり過ごしたが、浅井さんの冷たい視線や他の同僚の表情が刺さるようだった。
家に帰り、ソファに沈み込んだ。テレビの音が遠く響く中で、頭の中はぐるぐると自己弁護の言葉でいっぱいになっていた。
「私のせいじゃないのに…。誰だって、最初の人がミスしたらわからないこともある。」
その言い訳が本当に正しいのか、自分でも分からなくなっていた。ただ、責任を認めたら何かが崩れそうで、必死に正当化していた。
ふと、リビングの棚に置かれた聖書が目に入った。最近読んだエレミヤ 17:9の言葉が思い出される。
「心は他の何物よりも不信実であり,必死である。だれがそれを知ることができよう。」
この言葉が頭の中で響くと同時に、胸の奥に鈍い痛みが広がった。
「わたしの心も不信実なの?」
エレミヤ書の言葉を心の中で反芻する。自分を正当化しようとする気持ちが、他の人を傷つけたり、真実を曇らせたりしているかもしれない。
次の日、会社に向かう電車の中でふと顔を上げると、窓ガラスに映る自分の姿が目に入った。昨日の「わたしわるくないもん」という言葉が何度も頭をよぎる。
会社に着くと、浅井さんが休憩室で一人コーヒーを飲んでいるのを見かけた。少し緊張しながら声をかける。
「浅井さん、少しお時間をいただけますか?」
彼女は驚いたような表情を浮かべながら、黙って頷いた。
「昨日の件なんですけど…私、確認をしたのに間違いを見落としてしまいました。それは私の責任です。」
浅井さんは少し驚いた顔をして、それから優しく微笑んだ。
「謝ってくれてありがとう。でも、あなた一人のミスではないわ。みんなでチェックするべきだったのよ。」
その言葉を聞いて、胸の中に溜まっていた重いものが少しずつ消えていくのを感じた。
その日の帰り道、私は再び聖書を開いた。今度は、エレミヤ 17:10 を読んだ。
「我エホバは心を探り,…各自にその道にしたがい,その行動の実にしたがって与えるためである。」
行動の実にしたがって報いを受ける。この言葉を深く考えたとき、自分がこれからどうあるべきかが見えてきた。間違いを認め、責任を果たすことが「正しさ」に近づく第一歩だと気づいたのだ。
帰り道の冷たい風が、頬を軽く撫でるように通り過ぎた。
「もう言い訳はやめよう。」
そう心に決めた私の足取りは、少しだけ軽かった。
終わり
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